太平洋のさざ波 4(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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 南船橋駅に戻り、気分転換を兼ねて都心に向かうことにした。
 IKEAに見参して、船橋オートレース場跡地に建った冷凍工場群と船橋競馬場を遠目に眺め、船橋の名所の一つでもある、
 ららぽーとに入店してショップ巡りも一息つくと、
 船橋はもうお腹一杯になってしまったのである。


 
 日々、都心まで通勤する身の上でわざわざ、土曜日の午後の地下鉄に乗った。
 西船橋から東西線に乗り、日本橋で銀座線に乗り換え、銀座で下車した。
 一瞬、我が目を疑った。
 これが銀座ですか?

 


 船橋にいた既視感が残っていたのかもしれないが、自分がどこにいるのか感知できなかった。
 歩きながら、今日は土曜日で銀座は歩行者天国だと気がついたら、外れまで歩いていた。

 



 すぐに引き返した。
 ウインドーショッピングしながら銀座をぶらぶらすると、人の数が増えている。
 銀座4丁目の交差点を渡り、そのまま暫く歩き続けた。
 レストラン前で立ち止まり、ガラス窓の中に陳列された美味そうなステーキを見ながら、値段も張ることから銀座での食事を諦めた。



 西船橋から銀座に出て、都心の風に当たり、人の往来を確かめ、これで銀座はもう止しと、自分の中で区切りを付けた。

 


 渋谷を目指し、地下鉄に乗り込んだものの、誰かに背中を押されようにして、一つ手前の表参道で降りていた。
 地下道の地図を見ながら、表参道から原宿に行くべく出口を探っていたら、若い白人のカップルに声を掛けられた。
 数年前まで、外国人観光客に行きたい場所や店がどこにあるのか尋ねられもしたが、最近ではすっかりご無沙汰たった。
 

 当然のように、カップルもスマホを持っていた。
 背が高く透き通るように肌が白い男性がグーグルマップを指した。

 


「明治神宮が行きたいのですが?」と、英語ではなく、
 少し癖のある日本語で尋ねてきた。

 


「僕も行こうと思っていますが、
 明治神宮に行くにはここから少し歩きます。
 表参道から千代田線に乗って明治神宮前で降りればいいのですが、歩いても近いので一緒にここから地上に出ましょう」



 俺とカップルは地下から表参道に出た。
 今年初めての表参道は銀座と変わらないほどの人だかりだった。
 若干平均年齢が下がった気もするが、
 大人カップルの姿もちらほらと見られる。

 


「この通りをまっすぐ歩くと、原宿の駅の近くに出ます。
 明治神宮は原宿駅の向こうにあります」

 


「ありがとうございます」

 


 それまで無言だった、アジアテイストの小柄な女性が日本語で言った。



「わたしたちはチェコから来ました。
 大学で日本語を学んでいますが、初めて日本にやって来ました。
 楽しみにしていた原宿のショップを見てから、
 対照的な明治神宮を参拝して、渋谷に行きます」

 


 長身の彼につられるように彼女も頭を垂れた。

 


「どういたしまして」

 


 言葉を返すと、カップルは小さく頷いて原宿方面に体を向けた。
 手を繋ぎながら、楽しそうに歩き出した。



 姿形と表情から東欧圏の人だろうと当たりを付けていたら、
 チェコのカップルだった。
 チェコ人と出会うのは初めてかもしれない。


 
 公衆トイレに寄って用を足し、表参道に戻ると、腹が鳴った。
 部屋で遅めの朝食兼昼前を兼ね、トーストを食べて以来、何も食べていなかった。
 通りを眺めても、銀座に負けない小綺麗なショップやレストランが並ぶばかりで、俺に合いそうな庶民的な店が見当たらなかった。

 


 銀座で食べることに比べれば表参道なんて、
 想っているうちに明治通りとの交差点まで来ていた。



 騒音のようなデモ行進のような騒ぎに何事かと足を止めると、
 右翼の街宣車だった。
 すぐ側に明治神宮があるとはいえ、靖国神社から走って来たのか、 誰にも楽しい一時が待っているはずの土曜日の午後に興ざめものだ。


 クレープでも摘まめばいいと開き直り、
 明治通りを新宿方面に進み、竹下通りに入った。
 表参道の熱気にも似た人通りに比べて、通りは静かだった。

 


 銀座が大人の街だとすると、表参道は若い社会人の街、
 原宿はティーンズの街だとイメージしていたが、
 現実の世界ではそれが崩れているのかもしれない。
 銀座にもティーンズはいるし、表参道にも年配者はいる。
 竹下通りにも少数ではあるが、大人の男女はいる。
 それ以上にどこの街にも外国人が多いことだ。

 


 観光客なのか日本在住なのか、長身の黒人男性に気を取られている間に竹下通りが終わり、吉野屋の牛丼で腹拵えすることにした。



 木々に囲まれた、都心とは想えないほどの静けさの中、
 ゆっくりと明治神宮を参拝することにしよう。

 


 参道といえばよいのか、無知で恥ずかしい限りだが、
 左右に別れた道を、右と左のどちかを歩けばよいのか思案しながら、戻られる人、向かう人も、右にも左にも見られるようで、
 右側の道を数分も歩くと、神宮の入り口に見られたような大きな鳥居が現れた。



 一礼して、そのまま歩を進める。
 ここでも何も知らない本領を発揮して、周りを伺い、人を真似、明治神宮を参った。
 ここを訪れるのは3度目。
 最初に訪れたのは確か、高校生1年の夏休み、
 初めて家族で東京を訪れた時だった。 



 思えば、あの時と季節は真逆で、
 いつ雪が降り出しておかくない空模様である。
 午後、船橋で降った雨が明治神宮の森で雪になればと、
 願っていた訳ではないが、御神籤をどうしようかと思案していたら、空から冷たい滴が落ちてきた。
 

 二つの鳥居を潜り、代々木公園を歩いている。
 NHKの前を通り、渋谷公会堂の前まで来ると、
 人通りが少なく、イメージの中の渋谷が音を立てて崩れた。
 高校時代まで広島の片田舎で過ごしていたとはいえ、
 渋谷が東京の中心だと想っていた。

 


 待ち合わせの定番のハチ公前から、スクランブル交差点を渡って、今となっては数多く訪れる外国人観光客と変わらないイメージを渋谷の街に膨らませていたのである。


 日本の十代の若者に公共放送と問えば、
 YOUTUBEと応えるという笑い話があるほど、
 中国や北朝鮮など一部の例外はあるが、
 YOUTUBEの世界的な隆盛は凄まじいものがある。

 


 高校入学時に貯めたお金と両親と折半して、自分専用のノートパソコンを手に入れた。

 


 今から一昔前の日本の地方住みの高校生には、
 東京から発信されるTV、FMラジオの発信元であるNHKがある渋谷に、田舎の高校生として幻想に近い憧れを持っていた自分にとって、産声を上げて数年のアメリカ西海岸発の動画サイトがここまで巨大な影響力を持つとは想像すらできなかった。



 しかしながら、時代は大きく移り変わった。
 テレビと新聞は供に時代遅れの産物となり、
 マスコミがマスゴミと罵られ、NHKは犬HKと言われる始末で、国民に知らせるべき大事な情報も権力者の顔色を窺うのにかまけ、あえて報道しない、所謂、報道しない自由が周知に晒されてしまい、オールドメディアは地に墜ちた。



 政府、官邸のご機嫌取り、片棒担ぎに過ぎない、機能しないマスコミは大本営の悪夢が蘇るようにまさに戦前戦中の再来である。

 


 時を同じくして、ネット世界の主役を入っていたパソコンに取って代わり、携帯電話をガラパゴス化せてたスマートフォンが時代の主役に躍り出た。

 


 足を止めれば、戦後の音楽史、芸能史を刻んだ渋谷公会堂が建て替え中である。
 2度3度ライブで訪れがことがあるが、これも時代の変化だろう、次ぎにこの前を訪れる時には新しい公会堂の姿が見られるのかもしれない。


 公園通りを下りながら、俺が生まれた前後のバブル時代には、
 この辺りのビルのショップが原宿と供に日本のファッションをリードしたというなごりを嗅ぎながら右折した。

 


 その昔、この先を下った所にタワーレコードがあったはずだ。
 そう想いながらも、手前で左折すると、急に人が増えてきた。
 華やかなりし時代を知らないまでも、今は今の渋谷があり、
 今は今の日本がある。



 時代が変わったんだ。
 悲観することもない。
 スクランブル交差点が目の前に来ていた。
 珍しく、信号が青で、渡る途中で、周りで早足になり、
 つられるに足を速めたら、渋谷駅の前まで来ていた。

 


 そのまま、ハチ公に近寄った。
 相変わらずの人気者で、今では日本人より多くの外国人に囲まれ、銅像となって余生を過ごしている。

 

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