太平洋のさざ波1(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 2章 日本   

 1

 ハワイから帰国した。
 偏西風の影響か関空からホノルル空港まで要したより2時間余計な時を過ごした。
 そのせいか往きで利用しなかった有料の機内食のカップヌードルを頂いた。



 関空で入国審査を受け、国内線に移り、ホノルル発と同じくLCCで成田空港に到着し、電車を乗り継ぎ船橋市内の賃貸マンションに辿り着いた。
 成田のコンビニでサンドイッチを食べた切りで腹が空き過ぎ、
 食べる気力も湧かず、シャワーを浴び、ぼーっとTVを観ている。

 1週間が過ぎた。
 ハワイから真冬の日本に戻り、ありきたりの日常生活を取り戻したようで、どこか浮ついたような気分が残っている。
 朝から雨が降ったり止んだりの気まぐれな天気に遠出することなく、部屋で映画でも観ようと、駅前から引き返した。


 不動産の前を通り過ぎようとすると、
 紺のスーツの細面の若い男性に声を掛けられた。

 


「この辺りでお部屋をお探しですか?」

 


 一瞬、言葉が出なかった。

 


「初めて、西船橋に降りたって、右も左もわからないのですが」

 


 自分でも不思議なほど、口からでまかせの台詞を吐いた。

 


「そうなんですね、宜しければ中に入られせんか?」


 
 想いもしなかった展開にどぎまぎしながらも、
 なるようになれと開き直った気分になり、彼の誘いに乗ることにした。

 


「店長はたった今、お客様と一緒にお部屋に出掛けています」

 


 彼の勧めに従い、10畳大ほどの細長い店内の背もたれのあるグレーの椅子に腰掛けた。
 もう一人の先輩も客を連れて席を外し、暫くの間、彼と二人切りだった。


 
「お飲み物は何を飲まれますか?」

 


 そう言われるままに、俺は小さく頷いた。

 


「お取引の方に頂いたのですが、
 ハワイのドリップコーヒーはいかがでしょう?」

 


 親切な彼に甘え、ハワイのコーヒーを頂くことにした。
 間が持てなく、白い壁に貼られいている物件を見ているうちに、従業員と客を隔てたテーブルの内側から彼の声がした。


 
「ミルクと砂糖はどうされます?」

 


 淡いブルーのソーサーとコーヒーカップが白いテーブルの上に置かれ、酸味のする香りが漂った。

 


「ストレートで結構です」

 


「ご遠慮なく、召し上がって下さい」
 俺はカップの取ってに右の人差し指を入れた。


「西船橋が初めてと伺いましたが、
 今はどちらにお住すまいですか?」

 


「杉並です」

 


 まったくのでまかせでもなく、
 西船橋に引っ越す前、杉並のアパートに6年間住んでいた。

 


「そうですか、わざわざ遠くからお出で頂いて、ありがとうございます。
 近いようで、都内と船橋は随分と違うでしょう?」

 


 俺は黙って頷いた。

 


「わたしは千葉市の向こう、のどかな田舎町に両親と妹、家族4人で暮らしているのですが、大学も地元で一人暮らしの経験もありません。
 この仕事に就いてからは家と仕事場の往復で東京に出ることもめっきり減りました。



 それで、どのようなお部屋をお探しでしょう?
 アパートとかマンションとか。
 お一人でお住まいになるとか、パートナーとご一緒とか、
 ご予定がありましたら」

 


「そうですね」

 


 ここで、俺は言葉を切り、コーヒーに口を付けた。
 酸味が心地良く、美味しい。
 ハワイではラハイナのホテルのキッチン、ワイキキビーチのホテルのフリースペースと、ありきたりなインスタンドコーヒーばかり飲んでいた。



「一人で住む予定です。
 今、2階建て2階の木造アパートに住んでいますが、
 2階では下の音は聞こえないと想いきや、
 どうした訳か、1階からの物音に、
 例えば、風呂場や掃除機を掛ける音に悩まされているので、
 鉄筋で防音の優れたマンションが希望です。
 と言うわけで、今日は都内から船橋まで遠征した次第です」

 


「そういうご事情ですね。
 ご予算はいかがですか?」

 


「この辺りで、マンションタイプの1Kやワンルームはどれくらいするんのでしょうか?」


「そうですね」

 


 彼は仕切りとなったテーブルから手を伸ばし、棚のファイルを取り出した。

 


「今はネットの時代ですが、西船橋界隈では学生さん、社会人の一人暮らしに加え、ファミリー層も多いので、このお店ではこうしてアナログな情報もお客様に提供しています」



 彼から手渡された臙脂色の単身者向けの1Kやワンルームタイプのファイルにはネット上の物件をA4サイズにコピーしてエリア別、 値段別、アパート、マンション別に分け、大きな写真を貼り付け顧客に見せているのだ。



 ぺらぺらとファイルをめくっているうちに、
 今、俺が住んでいる賃貸マンションの空き部屋が提供されていたので手を止めた。
 住んで早2年近く、この5月が更新月だが、家賃に変化はないとはいえ、雑費、電灯代、参加しているかどうかも定かでない町内会費などで若干の値上げ予定だ。



「もう2月に入り、私立の大学入試も始まり、
 この界隈の不動産屋でも人出のピークを迎え、
 例年なら、狭いこのフロアに溢れんばかりのお客様がお出でになっている時期だと、店長は言うのですが、今年は人出が遅いのでしょうか、ぱっとしない天気のせいもあるのかもしれませんが、このように半ば開店休業のような有様です」



 それで、彼は暇そうに街を彷徨う俺に声を掛けたのだ。


 
「そういえば、大学入試の季節ですね」

 


 俺は10年前、広島から上京した当時をぼんやりと思い出した。

 


「わたしは付属高校からエレベーターで進学して経験がないのですが、人によっては大変そうですね。
 自宅通学はともかく、地方から上京されると、慣れない土地で少ない時間で、お部屋をお決めにならないといけないのですから。
 わたしたち、この店のスタップも、少しでもそのようなお客さまのお手伝いができましたら、日々を過ごしております」



 店長から教育されているのだろう、
 若いのにしっかりとした受け答えに感心しながらも。



「西船橋といえば、街の北側と南側で若干の違いがあると、
 ネットで知ったのですが?」

 


「そう言われれば、そうかもしれません。
 今、お出でになっているこのお店は西船橋駅の北口で少々下町っぽいといか、生活感溢れています。

 


 バスのターミナルがあって、その周りにスーパー、居酒屋、
 ファミレス、コーヒーショップが並び、
 北口は一人暮らしや学生さん向けの物件が多く、駅の南口は整然としていて、ファミリータイプのマンションが多いですね」



「海が近いのはどちらですか?」

 


「南口です。
 今日、来られた西船橋にはメインの地下鉄、東西線、総武線と供に、今、お住まいになっている杉並から西に向かわれた東京の多摩地区から埼玉、千葉を駆け抜けるような武蔵野線をご利用になれます。

 


 西船橋の次の南船橋駅を降りると、
 IKEA、複合型のショッピングセンターのららぽーと等、
 ちょっとした賑わいあって、南船橋を通るメインの京葉線沿線にはディズニーランドのある舞浜や幕張メッセや野球場がある海浜幕張もあり、そちらの沿線沿いもこちらのお店で御紹介させて頂きます」

 


 彼が丁寧に説明しているうちに、スーツ姿の女性と若い女性客が戻ってきた。



 ここで、俺は席を立った。
「長々とお邪魔になってしまって。
 ハワイのコーヒーが美味しかったです。
 またお邪魔します」


 不動産の前から通りに出た。
 彼にハワイのコーヒーを頂いたので、スタバに寄る手間も省けた。
 

 土曜日の午後、小雨の中、傘を差したまままっすぐ部屋に戻った。
 冷凍パスタをチンして食べながら缶ビールを飲んでいる。
 TVモニターに映っているのはハワイに出掛ける1年以上前に録画したBSのオアフ島の映像である。



 あの時はまさか自分がハワイに行くようなことがあるとも想わず、暇ついでに録画したままになっていた。

 


 ハワイに向かう前に予行演習気味に観てもよかったが、
 実際に自分の目で見てみないかぎり、
 ワイキキビーチ、カラカウア通り、クヒオ通り、
 ダイヤモンドヘッド、アラモアナショッピングセンターと、
 ハワイの観光名所をピックアップして映像化し、

 紹介されたところで、中学、高校で英語を6年間も習いながら、右の耳から左の耳へ、英語が通り過ぎてしまように、

 実感のないままいつまで経っても、日本でイメージ化されたハワイが頭の中で広がっているだけで、

 くっきりと澄み渡った青空の下のビーチの影で自分の頭の中は霞み続けていたに違いない。



 映像は人里離れたビーチに切り替わり、
 二人のハワイアン男性がウクレレを弾いて、3人のハワイアンの女性がフラダンスを踊っている。

 


 これと似たような景色を観た既視感に囚われたが、これも一つのハワイだ。

 


 タバスコとチーズの香りがもう一杯のビールを要求するので椅子から立ち上がった。
 冷蔵庫を開けると、あったつもりのビールはなく、
 代わりに赤いコカコーラの缶を手に取った。

 

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