新高山登れ1(日本)14 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 14
 
 横浜港から清水港までの船内でダウンしたのが嘘のように、
 渋谷ツヨシは気丈に踏ん張っていた。
 零時を挟んで、仕事の切りがよいところを見計らって、
 内田さんが食事にしてくれて、心も体もリフレッシュできた。
 清水港から乗り込んだ仕事も折り返し点を過ぎて、
 もうひと頑張りすれば、太陽が東の空に昇る頃までには神戸港に着く。
 それで仕事が終わる。

 
 食事が終わり、深夜の甲板で内田さんとフィリピン人の船員のジミーや横浜港の立ちんぼの女について語り合っている間、
 昨年の3月、ユウジと一緒に新門司からトレノでカーフェリーに乗り込んだことを、ツヨシは思い出した。
 

 凪のように静かな瀬戸内海の優しい風に当たり、
 それにも飽きて、フェリーの中の銭湯に行くと、
 五月蠅い中国人と遭遇して、とにかく最悪だった。
 あんな奴らと東京まで一緒かとユウジにこぼしていたら、
 金比羅参りか、鳴門の渦潮でも見物するのかは知る由もないが、
 団体で徳島で降りてくれて本当に助かった。
 
 
 隣のエンジン音が唸る。
 ツヨシは内田さんに付いて、言うがままに動いている。 
 少しは仕事に慣れたとはいえ、船のエンジンのことなどさっぱり解りはしない。
 何がどう動いて、どうなって、船が動いでいるのか、
 ド素人のツヨシに理解出来るはずもない。
 トランクスの中まで汗でびっしょりだ。
 

 そういえば、ジョンとユーさんの焼き肉屋でたらふく食べて以来トイレに行ってなかった。
 考えてみれば、横浜でこの船に乗り込んで以来、
「ソウル」という名の焼き肉店でした小便が一度切りである。
 大は出ていない。
 これだけ汗が出れば、人間の体は出るものもでないかもしれいない。
 
 
 内田さんがツヨシに近寄り、声を掛けた。
「もうすぐ終わるぞ。あと30分だ」
「神戸港に着くんですか?」
 ツヨシの声が弾んだ。
「そうだ。
 船はもう大阪湾内に入っているだろう」
 
 エンジンのクリーニングは終わった。
 

 ツヨシとユウジは船内のトイレで小便を済ませ、
 シャワールームに入った。
 頭髪にシャンプーリンスをぶっかけ、髪をまぶし、
 タオルをボディシャンプーで泡だらけにして、
 汗と油をさっぱりと流し落とした。
 船底に積まれた2台のエンジンの1台を動かし航海しながら、   
  もう1台のエンジン停止して、クリーニングするという、
 牢獄のようなアルバイトからようやく解放された。
 

 あえて名前も覚えなかった貿易船はこれから荷物を積み込み、
 門司港に寄って、台湾の基隆に向かうそうだ。
 二人が丸2日半を過ごした錨を降ろした船の周りでは、 
 ジミーたちフィリピン人の船員が急がしそうに這いずり回っていた。

 
 ツヨシとユウジはお世話になった内田さんと白井さんに挨拶して、
 バイトを斡旋した事務所に寄って、各々5万のバイト代を受け取り、路線バスで神戸の街に出た。
 

 初めての神戸。
 船が着いたのが六甲アイランドかポートアイランドなのか、
 それとも別の場所だったのか、まったく知らないほど、
 神戸という街は二人に未知の土地だった。
 中学校の修学旅行で古き良き日本の伝統文化を知る機会として、 京都と奈良に行き、大阪に寄って、神戸はスルーして長﨑に戻って来た。
 
 
 路線バスを三宮で降り、
 取るものも取りあえず、目に付いた喫茶店に入り、
 横浜の伊勢佐木町で内田さんが若いウェイトレスにぶち切れた「冷コー」を注文した。
「なかなかいけるじゃないか!」
 独り言のようにユウジが呟いた。
「いける!」と、ツヨシも相槌打った。
 それから、モーニングセットを食べ終えて店を出た。
 

 商店街をぶらぶら歩きながら、寄り道ついでに、
 朱色に塗られた鳥居に引き込まれるように生田神社を参った。
 道に迷いながらも迷宮のような長﨑を想わせる細い坂道を登り、
 風見鶏に出会い北野天満宮を参って、見知らぬ人の結婚式に遭遇した。
 

 古い木造の西洋建築が並んでいる、これが有名な異人館。
 しかし、それがこの狭いエリアの総称なのか、
 特定の建物を指すのか、二人はとんと解らなかった。
 不思議なことに、震災で被害に遭わなかったのだろうか。
 言葉も交わすこともなく、細い坂道の街からゆっくりと降りた。
 若いサラリーマンに尋ねて、ようやく目的地である中華街の南京町に辿り着いた。
 
 
 神戸の中華街は彼らが生まれ育った長﨑の中華街よりは多少大きくても、横浜から比べるとずっと小ぶりだった。
 これで二人は長﨑、横浜に続き、神戸の中華街である南京町を訪れ、念願の日本三大中華街を制覇したことになる。
 冷やかしついでに南京町を2度3度と往復した。
 

 中国人が下手な日本語で客を呼び込み、
 もう一人の男が簡易なカウンターキッチンで料理を作っていた。
 こいつらに比べれば、
 今朝、言葉も交わさず別れたフィリピン人の船員ジミーが何倍も 洗練せれ、かつ上品だった。
 
 
 身を乗り出して、ユウジが内田さんの口調を真似て麺を二杯注文して、もう一人の垢抜けない男から釣りを受け取った。
 数分後、薄めの出汁と細い麺が入った薄い小ぶりなプラスティックの容器をまずユウジが受け取り、ツヨシが続いた。
 割り箸で、するするとと麺と飲み込み、ユウジがスープを啜った。
「見掛けによらず、いけるね。
 ツヨシも食べな」
 

 ユウジに奢ってもらって、中華街からメリケン波止場に出て、
 幼くて遠い記憶しかない、阪神淡路大震災の被害を改めて知った。
 それから、三宮に戻った。
 夜通し貿易船の船底でエンジンのクリーニングに携わっていたので、さすがに眠さには勝てず、サウナで暫しの眠りを貪った。
 
 
 二人は神戸から横浜に戻って来た。
 新神戸から新幹線のぞみに乗り、
 3時間足らずで新横浜まで戻ってしまうのがなごり惜しく、
 わざわざ三宮から高速バスに乗り込み、
 夜通し揺られ、横浜に辿り着いた。
 
 
 横浜に着くなり、吉野家に寄った。 
 二日半、船の底でエンジンをクリーニングするというハードなバイトで苦労して手に入れたバイト代には頓着しなかったが、 
 二人は封に入った5万円にびた一文触ることなく、
 牛丼の大盛りだけを注文し、さっさと平らげ、
 お冷やのお替わりとお茶を飲み干した。
 

 神戸の中華街南京町で奢ってもらった麺のお返しに、
 ツヨシが店員に、「二人分」と言うのも聞かず、
 ユウジは「割り勘」と言葉を挟み、千円札を差し出しお釣りを貰い、爪楊枝をくわえ、店を出た。
 夜の万国入り乱れた立ちんぼの顔を眺めることなく、
 ツヨシとユウジは朝の横浜駅に向かって歩いた。
 

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