バンザイクリフ2(テニアン)11 | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 11

 

 山下重吉と中村はテニアンから再びサイパンに戻っていた。
 この1年間というもの、

兄弟のように着かず離れずの親密な関係にあった二人が次第次第とよそよそしくなった。



 

 中村は重吉との間を測ったように確実に距離を置き始めた。
 特に米軍に関する事柄に触れないように仕向ける、
 時に鋭利な刃物のように尖った中村の息使いが嫌でも重吉に届いた。

 このような事態に重吉は今後の自分の取るべき進路を思い悩んだ。



 

 自分にとって中村は信頼出来る友人ではなくなったのか。
 そんなはずはない。
 相反する想いに、今一つ確信が持てないまでも、
 鋭い感性を持ち合わせない重吉でさえ、
 波間のように伝わる空気によって、中村の心の淵を知るようになった。
 



 

 愛しあった男女が相手に未練を残しつつも、徐々にではあっても、
 心が離れ、どちらからともなく、あるいは一方から、
 別れを言葉を、最後通牒を突きつけられるまで、
 その時が来るの待ち兼ねているかのようでもあった。
 




 

 世間話しのように重吉が中村と語り合った。




 

 彼が生を受け、両親の愛に育まれ、薩摩の土地で育ち、
 小学校に上がり、上の学校の中学で学び、軍隊に入り、
 生活の中で勉学の中で、ごく短かったとは軍としての教えを請い、


 

 それまで学んだすべての事柄が入り混じった日本の情報が間接的であっても、

同じ日本人の血が流れる中村のフィルターを通して、

 敵の栄養分となり、B29の燃料タンクに注入されて精力を増し、
 愛する両親が待つ日本を破壊した。




 

 その時はまだ、重吉は己の後ろめたさに気付かなかった。
 命を救ってくれた義兄弟ともいえる中村に対し、
 自分がやれる事を精一杯にしたまでで、
 そうすることが、当然としか考えなかった。



 

 ただ、こうは想った。


 

 父と母は、まだ生きているのであろうか。
 鹿児島の街は喜入の町は大丈夫であろうか。
 我が家は焼け落ちていないのだろうか、と。




 

 重吉が本気で自分自身の行く末に気が気でなくなったのは、
 テニアンの滑走路から真一文字に母国日本へ目掛けて飛び立った爆撃機を真近で目に触れたことで。



 

 それが帝都東京をはじめとして本土の各都市を焼け野原とし、
 広島、長崎に歴史的悪夢の原子爆弾の投下を許し、
 有史以来の大戦争に終わりを告げた、
 あの敗戦の8月15日、
 天皇陛下の玉音放送をノイズの中に聴いた時である。




 

 しかし、重吉が本当にそう感じるようになったのは、
 それから一ヶ月ほど経ち、サイパンに舞い戻って、
 中村の視線が態度が一変したからである。

 中村は正しく優秀な男だった。




 

 彼は黄色い顔をした、日本人の顔をしたアメリカ人であり、
 悪魔だった。
 善良な日本人の山下重吉には生まれながらにアメリカナイズされた中村を理解するのは不可能だった。




 

 それはまるで、カルト教団による洗脳のように、
 無意識の中にも繰り返された、
 中村によって叩き込まれた重吉の心根というのは、
 表現が拙く、恐縮するのだが、
 日本の無能な上層部が新聞やあらゆるメディアや機関を操って、

 軍を手段として使い、国民や兵士に対して行った、
 幼子から壮年、老人に至るまで愛国の民へと導いた洗脳と同じことである。


 
 


 

 戦後50年を過ぎて振り返れば理解出来る事柄も。




 

 若かった当時の重吉は、
 日本では求めても叶える事ができなった、 
 アメリカが待っているはずの個人の自由や物質面においての豊かな生活と、

それがアメリカ建国の理念なのか、理想なのか、 
 ただの建前であるのか、疑問にすら感じなかった。




 

 浅はかな上辺だけの民主主義とやらが、夢想人の理想的な生活が、 

今ここにいる米兵としての中村と一緒にアメリカに渡り、
 彼の両親のようにアメリカに永住することで夢が実を結ぶと想ってしまった山下重吉。




 

 夢が現実として目の前に浮かんだその時になって、
 中村の態度に変化が生じようとは、夢幻の如く、
 まさに皮肉としか、言いようがなかった。





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