バンザイクリフ1 3 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。


 3

 

 次の朝、俺とジョニーが籐製のベンチに仲良く座ってコーヒータイム中、

 フロントのフィリピン女性のジニーが「ミスター」と声を掛けた。

8時前に現れた小柄な中国系の男がレンタカーの使者だった。
 


 

 急いでコーヒーを飲み干し、紙コップをゴミ袋に投げ入れ、
 我友ジョニーに「行ってくるよ」視線を送った。




 

 ガラパンの外れの「マイアミ・ビーチ」の椰子の木陰で、
 男はすぐさまこう切り出した。



 

 中国訛りの強い英語を要約すると、
「シャトルバスが発着しているリゾートホテル内にオフィスを構えているので、

そこまで同行して、契約を結びたいのですが?」




 

 あくまで、昨日の約束どおり、「メインオフィスまで行くこと」 俺はジャパニーズ・イングリシュで応えた。
 外人に対し、まして慣れない外国の地において、
 契約に関する事柄では、日本人は強く自己主張する必要がある。
 



 

 中国人にしてはあっさり了解して、俺は男の白い小型車に乗り込み、ホテルからビーチロード沿いを南下した。
 ビリーのシャトルバスの眺めと同じく、今朝の通り沿いの海には数隻の船が浮かんでいた。
 漁船にも客船にも見えず、たぶん米軍の艦だろう。




 

 黙ったまま車を走らせた男は3角コーナーを左折し、
 そこがレンタカーのメインオフィスだった。
 男は車で立ち去った。


 

 


  出迎えたのは、若いフィリピーナのスリム美人で、
 ジョニーから話しは聞いていると、フレンドリーに出迎え握手を求めた。
 それにしても、よくフィリピーナに会う。
 俺が知っている限り、フィリピン以外でこれほど彼女たちが多いのは、歌舞伎町とサイパンぐらいだろう。



 

 次に控えていたのが、地元のデブな女で、自らファーストネームを名乗ったが、

 興味のなさから右の耳から流れた。
 その女に日本の免許証とクレジットカードの提示を求められた。

 ここの女たちは、日本人客に手慣れている。



 

 日本人はサイパンで国際免許の必要がないので、
 レンタカーの利用の際には、ホテルの宿泊と同じようにパスポートも必要なく、いわゆる顔パスだ。
 それより、クレジットカードが物をいう。



 

 必要事項をパソコンに記入しながら、
「ヤスダさん、一人? 家族は?」チラリとこちらを見たデブな女の妙な日本語を曖昧にかわし、

俺は渡されたキーを手にして事務所を出た。




 

 車はここまで運んで来た中国人と同じ車種の色違いで、
 日本ではほとんど見たことがない、カローラを一回り小さくした、 シルバーのTOYOTA・ECHOだった。



 

 正直に言おう、左ハンドルも、外国で車を走らせるのも初めてだ。
 左の運転席のシートに身を委ね、エンジンキーを回し、
 オートマのポジションをPからRに入れ、車を下げ、
 ポジションをDに戻し、レンタカーの駐車場から通りに出た。
 車はアメリカナイズされて右側通行である。





 

 昨夜のこと。
 中華を食べてまっすぐホテルに戻り、
 ゆっくりバスタブに浸かって英気を養うため早めにベッドに入った。



 

 案の定、今日のドライブが気になり眠れない。
 TVを付け、ザッピングしても、言葉の問題を抜きに、
 どれもこれも下らなかった。
 メジャーリーグ・ダイジェストと日本人向けの観光案内の後、
 気象衛星からの映像を流し続けるサイパン・グァムの天気予報専門チャンネルの予報士が言うには、マリアナ諸島付近はここしばらくは晴れが続きますと。
 



 

 俺は東京の図書館で借りたガイドブックをコピーして、
 赤いアンダーラインを入れた箇所を読み返した。

『サイパンドライブの旅・必勝法』
 サイパンでの自動車運転初心者の心得として、



 

 ポイント① ここは擬似アメリカのサイパン。
 左ハンドルの右にワイパー、左にウインカー。
 ワイパーが揺れるのに気を取られない。
 


 

 何度も頭に叩き込んだのに、目の前でワイパーが踊っていた。
 ご愛嬌、ご愛嬌、
 



 

 右折ラインに入った俺は、


 

 

 ポイント② 『まず左を確認する』を思い出し、
 左を左後方を見、心得を忠実に実行し、ウインカーを点灯した。
 車が来てないなことを確認し、
 右折して二車線の右ラインに入り無難に走り続けた。
 



 

 レンタカーのオフィスを出て、ここまでの5分ほどの間に、
 擦れ違う何台ものECHOを見た。
 日本名を知らないが、このサイパン島では人気車なのだろう。
 


 

 ものの30分前、中国人と走ったばかりのビーチロードの反対車線を走ってはいても、

 運転に集中し、海の景色は目に入らず、
 そのままガラパンの繁華街を抜けていた。



 

 突き当たりのアメリカン・メモリアル・パークを右折して、
 短い通りを駆け抜けた。
 信号待ちで左折、景色が一変、そこからは一路北へ進む。
 建造物が激減し、歩いている人は皆無と言っていい。
 昨日ビリーと過ごしたアップダウンの通りをバンザイクリフへ向かって走り続けた。



 

 

 

 太平洋に臨む、サイパン島の北端に位置し、
 バンザイクリフに設置してある階段下のスロープから、
 一人、世界最深ともいわれるマリアナ海峡を見ている。



 

 やっと念願のこの地に辿り着き、感無量だ。
 この崖に建てられた数々の慰霊碑を拝み終わり、階段下に進んで、
 マリアナ海峡の遙か彼方に浮かぶ日本を静かに眺めていた。
 何も考えず、海風と潮香と崖下からの波音を聴いた。
 


 

 観光バスが到来しない時間を狙って、早めに来たつもりだが、
 20分、30分した頃だろうか、
 奇声に何事かと後ろを振り向くと、
 トイレ横に設けられた駐車スペースに、ミニバンの他に、
 赤、青、黄と信号色が揃ったVWニュービートル、
 ムスタングのオープンカー、ハーレーの大型バイク、
 中国語朝鮮語を発する若い男と女の群れが蟻の大群のように、

 崖に向かって歩いて来ていた。
 



 

 ECHOは一台もなく、俺の車の隣に駐める輩もいない。
 えらく羽振りは良さそうで場慣れしている。
 彼らの国で南海の孤島へ足を運ぶのはある程度の階層の者達なのだろうが、

 サイパンが属するアメリカと同じ車右側通行であることが日本人よりこの環境に適しているのかもしれない。
 


 

 それにして外国人観光客が多い。
 サイパンでは日本人も外人に分類されるが、
 ここで言う外人とは中国人と韓国人だ。
 はっきりと言おう、奴らは邪魔者以外の何者でもない。




 

 世界中のどこでもここでも、ピーチクパーチクと五月蠅く纏る油ぎった中国人の男たちの群れ。
 それに比べ 半ズボンにスニーカー履きの個人ガイドを付け、
 デジカメを渡しポーズをねだる韓国人カップル。
 一様に男の体はスポーツ選手か軍人のように逞しく反して顔のほうはお粗末で、

 切れ目の女は整形手術が効いた人工モデルだ。
 儒教の国での新婚旅旅、婚前旅行の存在を、俺は知る由もない。
 

 


 

 さっきから『ゲラゲラゲラゲラ』と笑い声を立て、
 うすら笑いを浮かべて目の前を通りすぎる。
 奴らが手にするガイドブックには、
 この断崖から母なる国に向かって身を投げた、
 ここに眠る日本人に唾を吐けと記され、『ざまあ見ろ』と嘲笑っていることだろう。
 


 

 崖下に押し寄せる波間のように絶え間なく押し寄せる人の波波波。

 1時間の間に彼らの大群がどれほどが通り過ぎても、
 こちらの正体を知ってか知らずか、声を掛ける者などない。
 



 

「日本の方?」

 

 若い女声に振り向くと、30前後の日本人カップルだった。

 

「私たちは名古屋からで深夜着いたばかりで、
 ホテルからツアーバスでここまで来ました。
 御一緒でしたか?」女は執拗だった。


 

「いいえ、先ほどレンターカーで来ました」

 

「わたしたち新婚旅行なのですが、
 お一人ですか?」

 

「はい」


 

「東京ですか?」

「はい」



 

 女の質問攻めに少々いらついていたところに、
 痩せの旦那が首から下げたデジカメを手に取って歩み寄って来たが、気分が乗らず、

 「失礼」崖の上から立ち去った。





 

 サイパンの激しい太陽光を避けるため、
 ECHOはメインの駐車スペースから外れたトイレ裏の半木陰に駐めたといえは、

 熱で蒸し返り、シートに座れる状態ではなかった。



 

 エアコンで車内を冷ます間、
 持ち歩いていたABCの袋に入れたペットボトルを一気に飲み干し、喉から体全体に水分を回した。
 気を取り直し、ショルダーバッグからキャメルの箱から1本抓んで、ライターの炎に先端を突き出し、

 一息二息煙の煙で気分転換を図った。





 

 シートに戻ると、派手な車が去ったスペースの向こうに、 
 今度は日本の観光バスが目に入った。



 

 俺はUターンし百メートル先に車を停めて、
 手回しでウインドーを開けると同時に熱風に煽られた。
 エンジンを止め車外に出て、海鳥が踊る青い空と深青の大海原を見、その漣を聴いた。
 



 

 とりあえず、今日はサイパンでの大目的である、
『バンザイクリフ』を見る事ができた。
 予定通りを無事終えた安堵感に浸り、車に戻り、アクセルを踏み込んだ。




 

 5月とはいえ、夏の盛りのサイパン。
 車中、太陽光が強く、エアコン入りの車の中とはいえ、
 Tシャツの背中に冷たい汗の粒が目に浮かぶ、手に取るように感じられる。




 

 サングラス越しの眺めはマリアナ海峡への崖伝いから復路の街道沿いに戻り、

 右手にビリーに連れられたリゾートホテルと左手には鬱蒼と繁るジャングルの山立ちが見えた。
 



 

 次の日系ホテルの道路向かい、ガイドブックAで目をつけていた、
 ショッピングセンターに車を進めた。
 ここはサイパンの中心部ガラパンからは隔絶された僻地であるが、
 砂漠のオアシスを思わせるように、カラフルな色彩に溢れた施設なのである。



 

 ブランド物やカジュアル、土産物など一通りざっと見渡し、
 階段伝いに3階に上ると、昨夜に続いての中華料理は止して、
 日本レストランに飛び込んだ。




 

 若い女がメニューを持って現れ、俺の目を見て言った。
「ご注文がお決まりなったら、お呼びください」
 若い女はその容姿と完璧な言葉から日本人だ。
 日本語と英語が併記されたメニューからすぐに注文を決め、
 女を呼んだ。
 


 

 女はメモを取る代わりに、注文を2度読み上げ、
 端末に入力を済ませ、「以上でよろしかったでしょうか?」
 手際よく去ってゆく。

 


 

 10分後、女がテーブルに料理の皿を並べ終え、
 下がろうとするのを見図って、


 

「日本からここに来て働いているの?」
 不躾ながら尋ねた。

 

「はい」
 低いハスキーな声の女はまだ二十歳そこそこに見える。


 

「昨日の深夜に着いて、この島の事情がまだ飲み込めないんだ。
 君さえよければ、店が退けたら、付き合ってくれないかな?」

 

「一人旅ですか?」女は低い声で、仕事言葉を止めた。

「ああ」


 

「そうですか。
 わたしでよければ。
 夜9時に仕事が終わります。
 ここへはどうやって来ましたか?」


 

「レンタカーだよ」


 

「そうですか。
 それなら、9時に2階のタクシー乗り場の隅で待っていて下さい」


 

「解った。約束する」

 

 肉とポテトと頬張りながら、テーブルから立ち去る女の振る舞いを見ていた。
 バランスが取れた身体で、尻の筋肉は張っている。



 

 食事を終えキャメルに火を付けのんびりタバコを楽しみ、
 伝票を持ってレジに進んだ。
 女も気付いたようで、すっと、機械の中に身を入れる。


 

 彼女の笑顔と20ドル札から釣りを受け取り、
「ありがとう」
「どういたしまして」

 

 一通りの言葉のキャッチボール。



 

 店から出て階段で2階に降り、待ち合わせのタクシー乗り場を確認した、

 砂漠のオアシスの外は熱風が吹き荒れていた。
 待ち合わせまで、まだ8時間近くある。



 

 帰りもアップダウンの連続、直線のようで緩やかにカーブした一本道から、

 アメリカン・メモリアル・パークを横目に、
 ガラパンを抜け、「マイアミ・ビーチ」に植えられた椰子の木の側に車を駐めた。
 
 
 


 

 フロントを覗くと、今朝ホテルで見送ってくれたジョニーとジニーは不在で、

 代って深夜にカードをチェックした大男がにこりと笑った。




 

 ぐっすり夢も見ず、2時間後の電子音に腕を伸ばし、
 目覚まし時計裏のスイッチをOFFに戻した。


 

 真新しいTシャツにエアコン干のジーンズに足を突っ込み、
 ドアロックして、フロントの大男に目線を送り、
 車でビーチロードに出た。



 

 再度アメリカン・メモリアル・パークを横切り、
 左折してそのまま北へ走り続ける。
 今日2度目の走行ということもあり、
 アップダウンにも多少の余裕であたりの景色も映えて見える。
 


 

 午後4時過ぎ、まだ陽の光は半端ではなく、ぎらりぎらりとこの顔を射す。
 そのまま道なりに走り、左にカーブすると、またあの断崖が見えてきた。





 

 空いていた事もあって、メイン駐車場に車を駐め、
 時が過ぎるのも忘れ、海風にあたり、階段下から、
 もう一度数ある石碑の文面を読み、車に戻る時だった。



 

 車椅子のおばあさんが碑に蝋燭と線香の火を灯し、
 手を合わせ長い時間のお祈りのあと、婦人に車椅子を押され、
 戻ってこようとする姿が目に入った。




 

 会釈された婦人に続き、おばあさんは深く頭を下げる。

 

「どちらから来られましたか?」小さくもはっきりした声で言った。


 

「東京です」その目を見据えて、俺は応えた。


 

「今日は随分と暑いですね」


 

「ええ、真夏のように。
 おばあさんはどちらから?」


 

「わたしたちは、沖縄です。
 娘と孫娘に引かれて、やって着ました。
 明日、日本に帰るので、今日最後のお別れに来たのです」

 

「そうですか」やや感慨を込めて、俺は言った。

 


「サイパンは初めてですか?」
 娘さんと想われる婦人が言葉を掛けた。


 

「はい、そうです」俺は言った。


 

「わたしたちは、昔サイパンに住んでいました。
 サイパンを離れたのが、わたしが2歳になる直前で、
 この島の暮らしはほとんど覚えていません。
 


 

 わたしがは母のお腹の中にいた昭和19年の夏の事です。
 アメリカ軍のサイパン上陸による日本軍の陥落で、
 両親は近所の民間人たちと、ジャングルで逃げ惑う中、
 父は母とお腹のわたしを庇って、米兵の銃で負傷しながらも、  

 母の肩を借りて、ここバンザイクリフまで辿り着きました。



 

 あそこに崖が見えますね。
 ここバンザイクリフと同様、多くの人が身を投げたスーサイドクリフです」


 

 彼女の言葉につられて、この断崖絶壁の背後に位置する、
 サイパンのもう一つの象徴である、スーサイドクリフに顔を向けた。



 

「父と母はあの崖の頂上のマッピ山から連なるサイパン最高峰、 
 タポチョ山の麓のジャングルを伝ってここまで逃げてきたそうです。


 

 途中で何度も米兵に追い詰められ、洞窟に立て篭もり、
 61年前の6月から1ヶ月ほど、ほとんど雨が降らない中、
 鼠や干からびたカタツムリなどの小動物を捕え、
 苔をむしって喉の渇きを癒し、やっとの思いで、
 日本に最も近いこの地に辿り着いたのです。




 

 銃弾を受け負傷した父の右足は、腐敗し蛆がわき、
 全身へと菌が巡り、激痛からだんだんと痛みも感じなくなり、
 すでに死が近いと、自ら悟っていたようです。




 

 その頃、日本の軍部では、『捕虜になるより名誉ある死を』標語に、

 軍人に対してだけでなく、民間人はおろか、女子供にまで、  

 その教えは徹底していたそうです。


 

 家族全員がダイナマイトで亡くなり、ある人たちは手榴弾で死に、
 片手だけが吹っ飛んだ者は気が狂い青酸カリでようやく最期を遂げ、

 ある人は、我子を崖から突き落とし、
 ある人はぐずる我子の首を鎌で切り落とした後、
バンザイクリフから身を投げました。



 

 しかし、父の考えは少し違っていたようです。
 父はさとうきび畑で働くしがない小作農に過ぎなかったかもしれませんが、

 内地の軍人を信じていなかった。



 

 父と母は米軍に追われました。
 ついに、バンザイクリフの手前まで追い詰められました。


 

 そして、一瞬の隙を見つけた父は、足の悪い自分が居ては足手纏いだと思って、

 母とお腹のわたしが生きることを願い、
『天皇陛下万歳』の決まり文句を言う事もなく、痛い足を引き摺って、

 無言のまま、この絶壁から身を投げたのです」





 

「ヨシミ、もういいでしょう」

 

 俯いたまま、搾り出すように声をだしたおばあさんの車椅子を、
 ゆっくりと押し進めて、彼女は駐車場の方に向かった。




 

 彼女たちに付いて後を追った。
 娘さんが車椅子を停め、
 ジョニーのと同じ車種のトヨタのミニバンのサイドドアを開け、
 一人でおばあさんの体を持ち上げる気配に、


 

 見ず知らずとはいえ、傍観もできず、


 

「すみまません」一言入れて、おばあさんの体を後ろから抱え、
 二人で細い小さな体を後部座席に無事乗せることができた。



 

 少し日焼けたおばあさんの頬には、涙の汗が流れていた。

 小さな声で、「ありがとう」おばあさんは、声を絞り出すかのようだ。



 

「手伝っていただいて、ありがとうございます。
 お一人ですか?」
 娘さんの問に、「はい」手短に応えた。




 

「よろしかったら、食事を御一緒にどうでしょう?」
 娘さんの言葉に頷いて、
「御迷惑でなかったら、宜しくお願いします」



 

 女と会う9時まで時間を潰すにはちょうどよかった。

 彼女が主のいない車椅子をハッチドアの方へを運ぶのを見て、
 ドアを開けるの手伝い、バンザイクリフを後に一路南へ走った。





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