20
「祥二、誕生日おめでとう!」
「男に祝ってもらってもな」
「そう言うなよ、はい、これプレゼント」
「何、開けてもいい」
「どうぞ、どうぞ」
「かわいい、ハーモニカ」
「後で、吹けよ」
「どこで手に入れた?」
「それは言えないけど、そのハーモニカ、黒人やフォークの連中が使ってる奴なんだ。
探すのに少しばかり苦労したけど」
「そりゃ、ありがとう」
「焦げるから、早く食えよ」
「ああ、うまい。ここのホルモン最高だろう。家族でたまに来るんだ」
「京城か!」
「京城?」
「店の名だよ」
「そうだった」
「父ちゃんは昔、朝鮮にいたんだ、戦争中のことだけど。
当時のことはあまり話してくれなかった、ただ朝鮮にいたとしか」
「それで、親父さんどうしてる? 連絡あるのか?」
「まったくない」
「元気だといいがな。達が親父さんの話しをするのはめずらしいな。 そう、あれは確か、ジョーの家に遊びに行って以来」
「ジョーの家以来か!」
僕たちは店から路地に出た。
「いいもん、見せてやろう]
「なに?」
「これだ!」
「タバコ」
「父ちゃんのパクッてきたんだ」
祥二はタバコに火を点けた。
「止めとけ」
「誕生日ぐらい、いいだろう、達もどうだ」
「にいちゃん、俺に一本くれよ。早く、早く。なんなら、銭でもいいぞ」
「お金なんか、持ってません」
「さっきのホルモンうまかったか! ちよっと、顔貸してもらおう」
僕と祥二は二人の不良の後をトボトボ歩いた。
いったいどこに連れて行く気か。
二人はこの町の人間じゃない。
それは確かだ。見当もつけず歩く。そんな歩き方だ。
キャバレーを、寿司屋を過ぎ、かれこれ5分は歩いた。
「バタン」
ドアが開く。
「お前たち、こんな所で何してんだ。いいから中へ入れよ。
これ、友だちか?」
「ちぇ、余計なのが」
僕たちは『クロスロード』の中に入った。
祥二はその場に座り込み、僕は一気に水を飲み干した。
「どうした?」
「悪いけど、もう一杯水くれない」
僕は2杯目の水を一口、二口、飲んだ。
「たかられたんだ」
「奴らにか!
それを早く言え。追いかけてぶん殴ってやったのに。
いいか、今度、何かあったら、俺に言ってくるんだ」
いつもは優しいジョーが声を荒らげて僕に言った。
祥二はまだ座り込んだままだ。
「なにか食べるか?」
「もう食べた、今日、祥二の誕生日だから二人でホルモンを」
「誕生日にホルモンか、色気ねえな。じゃ、今日は、パッといこう。
祥二、そこに座れ」
祥二は漸く立ち上がり、ふらつきながらも椅子に座った。
この日、初めて僕はクロスロードに入った。
カウンターと丸いテーブルが一つあるだけの狭い店だ。
「おばんさんは?」
「いつも8時過ぎかな。この時間は暇なんだ、いいから、ゆっくりしてけよ」
ジョーはグラスにビールを注ぎ、
「達、コーラでいいか」
「うん」
「祥二は」
「俺も」
ジョーの音頭で、
「祥二、11歳、最初の夜に乾杯!」
「乾杯」
祥二は少し落ち着いてきたようだ。
「いい話しがある、聞いて腰を抜かすな。いいか、いいか・・・」
「もったいぶって」
「いいか、いいか。あのローリング・ストーンズが、この日本にやって来るんだ」
「へぇ!」
「祥二、へぇ、はないだろう。夏に聴かせてやったろう」
「僕は好きだな」
「達、家で聴いたことあるのか?」
「このまえ、FMで聴いたよ。ブラウン・・・・」
『ブラウン・シュガー』
「それ、どういう意味?」
祥二の突っ込みにジョーは、
「俺に尋くなって」
やはり、ジョーは英語がダメらしい。
「茶色の砂糖じゃない」
「そんなもん、あるか」
「それが、あるんだね。イギリスに」
「嘘、いえ」
「イギリスにはあるかもしれないな」
「持って来てよ」
「わかった、黒砂糖のことだ。あれなら茶色いし」
「もう、いいよ」
僕はジョーに『ブラウン・シュガー』を注文した。
「ちょっと待って、電話するから」
「どこに?」
「有線」
「レコードないの?」
「ここには、ない」
「ブラウン・シュガーしか聴こえない」
「俺もそうだ。
俺は『ブラウン・シュガー』を観に行く、東京の日本武道館まで」
「ジョー、東京、行ったことあるの?」
「一度もない」
「田舎者なんだ」
祥二がジョーをからかって笑いながら言った。
「うるさい! 来年1月、俺は生まれて初めて東京へ行く。
それが悪いか」
「ごめん、ついでに、もう一つ尋いていい。切符はどうやって手に入れるの?」
「死んでも、手に入れてやる」
「僕、陰ながら応援する。
ローリング・ストーンズ、ローリング・ストーンズと唱えながら」
「それは、いい心掛けだ」
「終わったけど」
「もう一回聴くか」
店内に再び、ブラウン・シュガーが流れ、時計は7時半を指している。
まだ、客は一人も来ない。
ジョーは楽しそうにビールを飲んでる。
祥二は悪夢から解放されたかのように誕生日を満喫している。
「達、コンサート観たことあるか?」
「コンサート?」
「人が歌ったり、楽器を弾いたりする、あれだよ」
「あるよ、ピアノ・コンクールなら」
「黙れ!」
「いいから言え」
「クラスに祥二の好きな弓子という娘がいて、
祥二がどうしてもと泣きつくから、一緒にコンクールに行ったんだ」
「それでどうなった?」
「ピアノ?」
「祥二とその娘の仲」
「そりゃ、振られたよ」
「いいセンまでいっていたんだ、俺のことはもういい。
明子とはうまく・・・・・」
「明子!」
「達の彼女、これがまあ、じれったい仲なこと。もう、手くらい握ったのか」
「手なんか、とっくに握ったね」
僕は、二人にほんの少しだけの自慢をした。
「キョービの小学生は進んでるな」
「ジョー、彼女いないの?」
「俺か、俺は女が苦手なんだ。なんていうか、こう・・・・・」
「ジョーは女に持てない?」
「女なんて、いくらでも寄ってくるさ。でも、なー・・・・・」
「ジョーは、お母さん子だからね。父ちゃんがいないと、
つい・・・・・」
「達、このまえまで、親父さんいたじゃないか。
ジョーは物心ついてずっといないんだ。
達は甘えてる。今まで口には出さなかったが、今日こそ言ってやる。
お前は、いじけてる。何をするにも向かって行かない。自分を出さない。
俺は、お前が何を考えているか、さっぱりわからない。
親父がいない。親父がいない。親父がいない。
それだけで、自分を捨てている。そして、すべてを捨てているんだ」
「幸せな奴が、わかったような口を叩くな」
「おまえは、世界中の不幸を一人占めしたいんだ」
「もういい、素敵な夜が台無しじゃないか。
いつか、きっと、達にも親父さんをわかる時が来る」
この夜が、ジョーの最後の夜になるとは。夢にも想わなかった。