飛鳥寺に続いて、「石舞台古墳」を訪問した。
石舞台古墳は明日香村にある古墳時代後期の7世紀の方墳。元は土で盛り上げて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者として、蘇我馬子が有力視されている。
墳丘は現在失われているが、下部は方形で、花崗岩の貼石が約30度の傾斜で積み並べられていた。墳丘の周りには幅5.9~8.4mの空堀がめぐり、幅約7mの外堤が設けられている。外堤を復元すれば、一辺約80m、高さ約1.2mとなり、壮大な方形墳となる。
埋葬施設の横穴式石室は約30の花崗岩の石で組み立てられ、総重量は2300トンに達する。石は古墳の傍らを流れる冬野川の上流約3㎞、多武峰のふもとから運ばれた。石室は西南方向に開口している。玄室は長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約1.2m。羨道(えんどう)は長さ約11m、幅2.5mの規模を有する。
現地で撮影した写真を掲載する。
1.露出した横穴式石室
2.石舞台古墳の遠景(手前に空堀、下段の封土がみられる)
3.羨道と玄室の入口
4.玄室の内部
5.玄室内部から羨道を観る。