「邪馬台国と卑弥呼」短里と長里 | 古代史ブラブラ

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古墳・飛鳥時代を中心に古代史について綴ります。

服部静尚氏が説明される「古田武彦氏の多元史観で古代史を語る」の「1.邪馬台国と卑弥呼」の「短里と長里」についての動画の「ポイント」と「所感」は以下の通り。

 

「ポイント」

・魏志倭人伝には、朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国まで、1万2千里と書かれている。

 

・距離の単位は時代・地域によって変化する。三国志の時代の1里は約75m、つまり邪馬台国は、現在のソウル辺りから約900㎞の所。

 

・邪馬台国は北九州でしかありえない(どうころんでも奈良には届かない)。

 

・三国志魏志倭人伝の記載に基づいて畿内説と九州説が並立する理由。

 理由1:九州説・大和説がまずあって、その上で帰納してゆく場合が往々にしておこってい  る。我田引水。辻褄が合わない所は原文を改訂してしまう。

 理由2:1里の距離に関する解釈の違い(短里と長里)。

 

・三国時代、魏は古法(夏・殷・周)に復帰し、「短里(1里=約75m)」を採用した。

 

・三国時代の前は漢の時代、歴史学者は1里の距離を漢の1里(約450m)と考えたが、漢代の1万2千里は5,400㎞ととんでもない距離となり(インドネシアに届く)、信用できないと解釈。

 

「所感」

・魏志倭人伝であるにもかかわらず、歴史学者が、三国時代の前の漢代の1里の距離と考えたことが理解できない。