おはようございます、京やの勝也です。

 

昨日の補足です。

私見ですのでご了承くださいませ。

 

二部式襦袢の時代から

「長襦袢が流行」した

文化年間は1804年から1818年まで。

この時代は町人文化が定着していて

男の風俗も女性化し柔らかくなっています。

 

歌舞伎役者からの流行も多く

「半四郎鹿子」「路考茶」

そのあとに

「かまわぬ」などが出てきた時代です。

 

歌舞伎や遊郭のファッションを

多くの町人が真似をすることができた

時代だったということが分かりますね。

 

町人が経済力を持つと同時に

奢侈禁止令も重なり

「見えないところ」に力が入るように

なったのではないでしょうか。

 

さて、長襦袢。

二部式襦袢を一枚に繋げることで

腰周りの布が重ならずスッキリすることや

脱着が素早くできる利便性もあると思います。

ただ、この時代

利便性だけで流行するとは思えないのです。

 

利便性に加えより大きな価値とは

面白さやお洒落さ。

つまり異性にモテるかどうかです。


バラバラだった上下の襦袢を

贅沢な染物を使い一枚で作ると

袖と裾が統一されてオシャレさが増します。

 

奢侈禁止令のもと

「見えない」ところを「見せる」ことで

「魅せる」ことができたのが

洒落た「長襦袢」だったのではないかと…。

 

浮世絵で見ると

男性女性共に襦袢は贅を凝らしたものも

多く見ることができますね。


本来「長襦袢」という形は

経済力を背景にした

男女が共に好んだお洒落さ、格好良さが

詰まったものだったのでしょう。

 

現在は

襦袢一枚で何にでも合わせるようにと

考えがちですが

礼装は別にして

襦袢のお洒落を見直すと

着物姿がより楽しめるのではと思っております。

 

 

小平「染と呉服京や」のホームページ

東京小平の着物専門店
http://kimono-kyouya.com

 

 

ポチッと押して頂けると嬉しいです。

 

にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装(教室・業者)へ
にほんブログ村