人を食った話し | 三国志のお話し

人を食った話し

昔は、例えとして「三枚におろすぞ!」とか、「人を食った態度」とかいう言葉をよく聞きました、

最近はあまり聞かないですね。

これらは日本でも昔は人を食った古事があったということを物語ってるのでしょうか?


日本のことはよくわかりませんが、中国史上では、よく人を食った古事が出てくる。
『三国志』にもこれらの古事は、枚挙にいとまがない。
 主簿は內廚の米三鬥をひらき、少しずつ二つに分け糜粥にすることを請うた、
 洪は歎じて曰く「ひとり食して何とする!」薄粥を作らせ、衆に分け喰らわす、
 愛妾を殺し将士に食べさす。
 将士にがい涙を流し、仰ぎ見る者なし。
 『魏書』 呂布臧洪傳
 主簿啟內廚米三鬥,請中分稍以為糜粥,洪歎曰:「獨食此何為!」使作薄粥,眾分歠之,
 殺其愛妾以食將士。
 將士鹹流涕,無能仰視者。

籠城中に食料が欠乏し、臧洪が自分の妾を殺して、部下にふるまったという美談?です。


その他に、
 この歳穀一斛が五十餘萬錢、人相食う
 『魏書』武帝紀
 是歲穀一斛五十餘萬錢,人相食


 英雄記に曰く
 備の軍廣陵に在り、飢餓で行きづまり、吏士は上下たがいに貪り食う
 『蜀書』先主傳 註
 英雄記曰:備軍在廣陵,飢餓困踧,吏士大小自相啖食

こちらは、もっともよく見かける、餓えのために士卒ら相食らうとかいうやつですね。


どちらにしても、人を食ったというのは、自慢にはならなかったらしい。
 五官將(曹丕)は忠(王忠)がかつて人を食ったのを知っていた、
 外出の際、俳(俳優:楽しい話をする側近)にドクロを取らせ忠の馬鞍に目立つように繋げ、
 笑い喜んだ。
 『魏書』武帝紀 註
 五官將知忠嘗噉人,因從駕出行,令俳取間髑髏繫著忠馬鞍,以為歡笑.

たちの悪い曹丕が、王忠が人を食ったことがあるのを馬鹿にして、笑いの種にしたといった
ところでしょうか。


その他、
 世語に曰く
 初め、太祖は食に乏しく、昱(程昱)に彼の本縣を略奪させ、三日分の糧を差し出させた、
 人の乾し肉を度を越して混ぜた、これが朝望を失した由来である
 『魏書』程昱傳 註
 世語曰:初,太祖乏食,昱略其本縣,供三日糧,頗雜以人脯,由是失朝望

※脯というのは、刑罰の一つで、刑殺した人の肉を平らに伸ばし、塩漬にすること。
ここから、昔の刑殺で〝烹〟とか〝醢〟とかの類で、料理した人肉は、飢餓の際に食用として
流用したことが考察できる。

〝烹〟とか〝醢〟とかの保存に適した?刑殺は、戦乱の世によく用いられ、糧食不足を補う
目的を兼ねてたのか?
程昱は、糧食に混ぜる人肉の量が多すぎた為に、皆の不評をかい朝廷における声望を失したのか?


僕の所感としては、刑殺者の肉を食用として保存してた可能性は大きい。
これらは漢人としての風習でなく、やむにやまれない時の非常食みたいな感覚である。

斉の桓公・易牙の故事みたく、珍味としての食人というのは、めったにない。

飢餓の際に人を食うというのは、何も漢人に限ったことではないので、こちらは風習とか
習慣とは関係ない。


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今回は『三国志』に特化して食人の話をしましたが、通史としての食人の風習の考察は、
桑原 隲蔵先生の『東洋文明史論』に詳しい。
興味のある方は一読をお勧めします。