2021年2月2日 7:22 にアップした内容ですが、長過ぎてましたので、新たに書き加えたり、の編集し直して切りのいい所で数回に分けてアップとさせて頂きました まずは 「その1」 です

 

皆様、明けましておめでとう御座います!  って挨拶は硬すぎですよね でも、一応定番の挨拶ですので

今年の元旦はいつも例年行ってる初日の出を見には行きませんでした

行けなかったのではなく、行かなかった 気持ち的に行きたい旨の気持ちが湧いて来なかった、 から

(だから、プロフィールの写真も去年のままとなってます)

 

今の自分・・て、気持ち的にすごくナチュラル  って言うのか

なるべくニュートラルで生きて行きたい

自分の気持ちに素直に、 やりたくない事はなるべくやらない

やりたい事だけをなるべくやる様に・・と  そんな気持ちしか

今の自分には持てない  もう無理する気持ちも  何かで頑張る気持ちも 何かを我慢、する 気持ちもあまりなくなってる、し

 

この年まで生きて来て (今70になったばかり、の所)、 自分になるべく素直にこれからは生きて行こうとの気持ちが大きく占めていて もう無理はしない、したくない、  って気持ち、しか  ない

 

ここに来てやっと自分は自由に生きられる様になった 自由に考えられる様になった  自分をあらゆる物事から開放をして、 ね

 

この年になった、  からこそ、 今、  この心境になれてる、のだろうとも思うし、 思える

今まで生きて来て いろ~んな、事で自分の事を ある意味 縛って来た  来てた・・  から

 

一番重い シバリ、 からも ここに来て 自分を 解放 しよう、 自分が <素直に、そう・・ 思える> の、なら そうしても もういいのじゃないの・ だろうか、  そんな思案の気持ちも持ったりした時も あったり、してた

 

ここまで、 そう んなには明るく、 上を向いて なんて生き方をして来た訳ではなかった

そう出来ない、 したく無い、 する気にはなれない、 そんな気持ちが自分の中に  中で、  ずっと あった、 から  それで ずっと生きて、 来てた、から

 

ほんとに、 離婚して以降    はずっと自分の中での 重し としての それが・・  厳然として あった、から  占めて、居た、 から  それが・・ 自分の中での 軸 だった、から  自分を全部、許す気持ちにはなれない ・・ 事の

 

自分を許せない、  事の根本は 今でも変わらず、に 奥底に、  はある  何の変化をする事 無く  それは自分が 背負った、背負わされた 業 としてこれからも 逃げる事無く しっかりとこころの中で こころの奥底で受け止めて これからも生きて行く  し、忘れる事など出来ようはずも、 無い、から

 

ここへ来て  自分の中で 自分に体力が衰えて来てるのと歩調を合わせるが如くに だんだんと、少しずつ  それは変化して、 来てた ・・

年の功として  気持ちは変わらないけども オブラートに包んで、クッションを付けて考えられる様に、もなって来て  それは少しずつ、少しずつ  厚みを増して 少しずつオブラートに包みながら考えられる様にも なって来てる

から、こそ・・  の冒頭の 言 となってる

 

でも、それも、これも  たぶん 自分に この先が短くなって来てる事の認識を 自分の意識としては意識してないつもりでも 自分のなかではたぶん現実的に認識して、 る からなんだろうな、 とも思う

 

先が短いから、もう自分がやりたい事のあれやこれや、は今やって置いた方がいいよ、と 自分の中のマインドが教えてくれて居るのだろうな、  と

 

63を超えたあたりから自分の体力の衰えを感じる様になってとみに自分の中での 何か が動いた様に、も思う

この年になって来たから、こそ の 今現在の心境 ・・

 

今が、ほんとに一番 いい って思えてる、し

今が一番 こころ が平和、 だし 平静、 だし 平ぎ、 で居られる、 し

一番 こころ、 が静か、 に生きて居られる  様に思える

年をとったればこそ、 欲望も もうあまり無いし

 

そんな・・ 心境の変化もあったりして、のここんとこ、の数年間  もうあらゆる事で 無理、 も 何かに頑張る (過ぎる)事もしたくなくなって  来ていて

・・の、今があって

 

なので、体力の衰えと共に それまで2日に1回の基本運動

朝の2時間のウォーキングも年を取るごとに実施する回数が減って来ていた

 

のが、ここ1~2年からこっちだった  所へ 何の気の迷い、か ある都合から、まぐまぐの有料版なんぞを書いたり して小説を書いたり、した

 

夜に書いた方が読みやすい文章が書ける様なので、と夜中から朝方にかけて書いていた

いわゆる 夜型人間 で  去年の年初め、 からつい11月まで続けていた 

 

が、 ここから先は毎月発行は無理だなと自分の中で意識した、ので問い合わせるも、規則通り毎月の発行で、の回答しかもらえない ならば「廃刊」でお願いします、 と即すんなりと受け入れられた 後で考えてみたら「休刊扱い」と言うのもあった のだ

 

「廃刊」では 即、何も無くなってしまう  けど「休刊」とすれば今まで書いた自分の作品はそのまま残せた・・  見てもらえた・・  のだった、  が  そんなのは後で知った事

 

11月までで、即「廃刊」扱いとなったから12月から以降は それからも解放された

から、じゃ 早速と運動も通常のペースで再開して・・  とは

行かなかった  人間は機械じゃないから、あらゆる物事に影響される、影響が出る、  から  すぐには運動始められなかった

 

ちょっとここの場の前回の号でも書かしてもらった通り、に

今、年が明けて、もう1月も終わろうとして、る中でいったい何回運動が実施出来たのだろう  まだ2回・・ か、 12月とこの1月とで

(12月のぎりぎり最後の日、31日、前に書いた通り  と1月は7日 に実施出来た、だけ)

だから、今は月1回のペースとなりに、けり・・   って・・

 

いまだに夜型人間、から抜け出せて 居ない、のです、よ

だから・・   こん、な まま

それに加えて・・の  今現在の自分の気持ちの在り様  上に書いて来た通りに、  の

 

どっちに、より 自分の気持ちが 動く・か ・・? (厳しく自分を律する 方向か、 解放する方向、 へか の)

より 楽 する 方向へ、と  今は 動いて、 しまって・・  る模様

から、まあ  それも  まあ・いいか、  と 今はなってる

 

さほど体型的には そんな変化も感じられて無い  けど

運動しないと計りに乗ったりもしない、ので  数字的な変化はまだ分からない、 書けない、のだけれども

 

たぶん自分的には内臓脂肪が増えて、るはず だし へそ周りも1センチ以上は増してる、のでしょう  へそ回りは飲んで(アルコールね)食べて、した後はもう数字的にすぐ出ます、出る方ですから  運動しないでいると

 

飲む方は週一くらいですかね、決まってはないですけど月に1から2、あるいは3 くらいでしょうか、ねぇ

飲むのは気分次第、ですから わたしは  もう決まって毎晩晩酌する、とかの習慣は無いし  そこまで自分を堕落・・って言ったら言い過ぎ、かな  <甘やかせる> 気持ちもない、ので いくら自分の事を 解放 したとしても、ね

 

考え方、にしても 生き方、 にしても 自分の 在り様、にしても 醜くは なりたくない、ので

体型的にしても、腹回りは醜くはしたくない そんなとこ

 

自分は、 ね  他の人は どの様にして、いようが、 それはその人の生き方、 なので  どんなに、腹が出て居ようが、わたしは 別に 何も思いません、 し言いません、 し誰だって、自分が思う様に やったら、いいので

 

自分が、 自分の腹回りがたるんでる様子を見るのは 嫌なので

毎日1度くらいは、着替える時とか で嫌でも見える・・ からねぇ

だからって、ナルちゃん(ナルシスト)、 じゃないですよぉ~

 

筋肉いっぱい 付けて  自分の体にすごい注目して 一所懸命、筋肉付けたり、ポーズとったりしてる 人、テレビとかで、は特に よく見ます  あそこまで一生懸命になれる人って、 ナルちゃん、だから あそこまで一生懸命になれる、んだろうなぁ~、 と思います

 

それとも、あれこそがあれは あ~ゆ~ 美意識、 なのでしょうか

何事にも 程度 ってものがある、から  バランスをどこで取るか・・・  は、 また人によっても 違って来る、から  ねぇ

わたしは あそこまで行くと  綺麗、とは ほど遠い  所にある

 そう、思ってしまいます

 

筋肉美 って言葉もあります、けど、ねぇ

むしろ・・   女性の 少し・・ だけ筋肉 ぽくなってる、くらいの方が 美しい、 と思える、 かも知れません

 

ついでですけど・・

わたしの、プロフィールの写真もあるいはナルちゃんに思われるんじゃないかと、 の危惧も 多少・・ ある

(正面でなく、横を向いて撮ってる、し から余計にそう思われるんじゃないか、と  の)

 

わたしが単に正面からの写真が 撮るのがキライなんで、 見るのも 嫌い だし

逆に、わたしには 正統派、の正面からの写真は撮れない、撮りたくない、んだ なぁ~

ひとの写真も正面からの写真は見たくない、 し わたしは一般的、皆がやるだろう・・  的な事を  自分も、が やるのが 嫌い、 なので  大概がそういうの 正統派過ぎちゃって  て、嫌いなのです

 

なので何でも、世の中の大概のものが 世の少数派の方にこそ惹かれる

堂々と、何も考えないで、気にもしないで、 正統派 の道を歩んで来られた方々は普通に 立派 だな、と

普通、 で居られる、 事自体が  この世の中、 を普通 に歩んで来れた  もうそれだけで素晴らしい事なんじゃ、ないでしょう、か

 

ひとに 美しさ、 を求める、なら 自分にも 求めよ

ひとに求める  なら、 じゃぁ 自分はどうなのだ・・?と

それが出来てないのなら、ひとには求め ・ られない だろう ぜ基本的に、は

 

基本的に、自分には 厳しさ、 求め、ます  けど

他人、には 求め、 ません  その人、 その人  が、自分が、そう在りたい様に 「生きれば」、 「在れば」、 いいので、 すから

っても、何事にも、  程度 ってものが有ります、 ゆえ

やっぱり、 バランス ってものは 何事にも あてはまり、ます、からねぇ~

 

そんな  バランス   、どう 取るか、 でも その人なりの 個性が出ます  よねぇ~  そこが、また・・  人間  てやつの面白い、 ところ

 

何に、しても  最近見る女性って キレイ ですよねぇ いわゆる商業的な化粧の技術やら物・グッズの発達、情報その他、やらの充実ぶりも大いに関係あるのでしょうけど感心するばかり、です

自分をキレイに見せる事に関心のない女子はいないでしょう、から テレビのインタビュー場面とかみても、日常でも そう思ってます

 

特に最近はマスク顔でもありますし 若い人、ばかりでなくて、 年関係なく、美系の顔じゃなくてもその人、その物が魅力的な人ってのも居る、し

女性の、笑顔だったり、喋り方、だったり人当たり、だったり 持ってる雰囲気、だったり 人間の魅力って のはもう 多種、多様・・ でっせぇ~

それも分かるのもやはりある程度、年を重ねて来た、ればこそ なのかも、 ねぇ

 

世の女性、みなさん綺麗、ですよ ほんとに  と、賞賛、ですよ

(しょうに、でも しょうよん、でも しょうご、 でもなく、しょうさん、で  ひとつ お願いします 大将!)

 

まあ自分ももう女っけから遠ざかってしまって、もう何年・・ 

いや何十年・・  かも

彼女、と呼べる (呼んでた)方の更年期障害患ってから こっち、ずっとひきずったまま、 の現在でも 今でも薬のやっかいにとなってる、し

 

彼女はプライド人だから 自分でもそう・・言ってるほどに、ね

何でも完ぺき主義(的思考寄り)、 だから自分が こう、と思うとおりでないと色~な事が許せない、 性格的に、 そんなとこがあるから

 

だから、いきおい精神を病み、傷つき安い  いつでも精神にダメージを受けてる、色んな所、で  そんなこころといつも付き合ってる、 そんなまま・・

自分で自分の事を 称して わたしはひとに厳しいけど、自分にもおなじく、の厳しい、からとはっきりと 公言 しちゃってるほどに  ねぇ・・

 

若い時にはそれで、バンバン押し通して来てた  けど段々と体力の衰えと共に、 色~んな場面でそれが押し通せなくなって来て

も、居て 今はそんな自分との折り合いの道を 少しずつ、あ~だ、こ~だ、 と言いながら、 時にわたしにもぶつけ、モラし、ながら も 歩んで  ・・る 

 

色んな意味で、ある程度の自分の自信のある姿を見せられる様でなかったら会いたいとの気持ちも持てないのでしょうから たぶんそれも大いに、分かる、 から ずっと永い期間、わたしは待ったまま でも、ある

 

自分を主張する、事は簡単だけど 苦しかったのも確かだったけど

もう 年を取るごとに、体力が落ちて来るがごとに それは苦しさよりも もうあきらめ・・ 寄り、なのか、 ようか、 ここのか とおか

 

たぶん・・ あきらめ  ってよりも、もう通り越しちゃった、乗り超えちゃった  離婚時の大いなる 苦悩 の日々を乗り超えた、みたいに

 

だって、いつだって、今すぐだって 逢いたい事には変わらない、んだから 自分・・  は

ただ・・ 自分だけの 利・・  欲望・・  から、は それは 主張したく、 は 無い、 から

愛する、  別かれた、  時の様に・・  今だって、 いつ、だって

自分を 利する   だけには  動きたく  無い、 動け・・  無い

 

でも、 これでいい、 これがいい、 こうがいい、 って思ってそう行動する、 した、 <こころからの気持ち> で、 のそれで、 そうしてるのなら、 それが 今の一番良い状態

 

だったら、 それでいい、それがいい、 のだから

 

そう思える、 その時に、そうしてくれれば それで、いい、ので  それはどっちも、お互いが、 そうと分かって、 そう行動してる、 ので それで いい!

 

ただそれだけ

それで、 <お互いが一番快適な状態>、 だから

 

それと分かってる、から  たぶん彼女はもう十年以上もただ電話でつながってるだけ、 なのだろう

 

待つ・・ に慣れて、 逢えない苦しみは とうに通り越しちゃった、から

これから、彼女が どう行動しようが それはどうとでも許せる、 から

 

離婚時の ただ単純には 苦しい とは言い表せない、苦しかった気持ち、 だった事を乗り超えた、 様に

これも、同じく  の、どう転んだとしても 素直に、許せる、から それは苦しさを伴うだろうけど、 笑顔で、 うん、うん・・  と、うなずいて 上げられる、 から  もう・・ そんな 心境に至ってる、から

 

こその もう毎週末に掛かって来てる電話も ある日、 から突然掛かって来なくなって、も  そして、それが お互いの 自然消滅、の 合図だったとしても うん、有難う、 と今度はほんとの一人ぽっち  となって 笑顔で、も自分の道を歩んで行く、でしょう

 

そういう意味では、わたしも離婚と言う物を経験してから以降は強くなりました  精神的に、は すごく自分でも強くなったと思います、  すぐじゃないですよ、離婚してすぐじゃないです

離婚してすぐなんて その 以前・以後 近辺で まさに「地獄」、を見てました・から  多くを語るつもりはありません

 

ただ・・  あえて、で違って理解されるのも嫌なので、あえて書き加えて置きますけど、 いわゆる 原因うんぬん、 はわたし、じゃありません、でも、この言い方ってわたし的にはちと違う、 です

 

だって、離婚の原因・・て  本当は両方・双方、にあるものだから、

夫婦生活って片方だけで成り立ってる、ものではない、のですから

お互いにそれぞれ歴史を積み重ねて 来て、 そしての結果があるものなのですから

 

これを起こした・・、から離婚に至った とは言っても・そう見え、たとしても そこへ至るまでの、また双方の歩みが それぞれにある訳です、から お互いがそれぞれに影響しあって、の歴史があるのです、から ねぇ~

 

いきなり、どっちかがはっきり、と それ、を起こした、 訳じゃないんだから(たとえ、そう見えたとしても、ね 大概が  双方で何かしら・・の積み重ね があって、のそれ・・ だから)

それに実際に 離婚 に至るまでには もう大概が お互い泥沼、 の中であ~だ、こ~だ、 がある物だから

 

離婚の原因は双方の大人にあっても子供は絶対的に被害者、だから  だから・・ こそ、のその犯してしまった 罪、 に対して 巻き込んでしまった 他(あらゆるものを含む)に対して、の 贖罪、 の意識は 一生掛けて 背負って 行く  どこか、で下ろす、ものでも ない

 

だからって、暗く、なるつもりも  下を向いて、うつむいて、 歩いて行く、つもりも ない

わたし、の有り様、 それで いい  のだから  それで、いい