魚梁瀬森林鉄道西谷線(2) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

車で宗ノ上川沿いを遡り、「長山落合」バス停の三叉路を東に折れる。宗ノ上橋袂南西の廃線跡

木積集落を過ぎて、右手の擁壁上を見ていると、所々廃線跡が残っていることが分かるが、一定の距離、廃線跡が残っている箇所は、宗ノ上橋袂から。橋の手前左手の広場に駐車する。


 

橋袂から右手の擁壁上へ上がると、南西方向の山際に廃線跡があるが、そちらはフェンス等で辿れないため、逆の東に進む。すぐ、宗ノ上川の支流の両岸に石積みの橋台が現れる。川床はセメントで平らになっており、増水時でない限り、渡渉向こう岸の橋台 することができる。

向こう岸の橋台の右奥には滝も見え、涼感を得ることができる。

橋台の先からも廃線跡路盤はしっかり残っている。


 

廃線跡は宗ノ上川の流れに沿い、大きく左カーブ、そして右カーブを描くと、右手斜面が広範囲に、格子状の擁壁になっている。平成22年度の宗ノ上林地荒廃防林地荒廃防止工事擁壁下廃線跡 止工事によるもので、これにより、廃線跡の幅員が極端に狭まるが、通り抜けは造作ない。


 

やがてバス通りからの道との四差路に到るが、ここから先は、四つん這いになっ圧倒される岩盤沿いの廃線跡 て藪漕ぎしないと通れない、藪の密林箇所があるので、一般のハイカーは左折して、バス通りを北東に進んだ方が良い。が、猛ブッシュを苦にしない、筋金入りの廃線ファンは直進する。


 

直進した先(手前からだったかも)は、軽四がぎりぎり通ることができる位の幅員のコンクリート舗装道となっており、短いコンクリート橋が架かっているが、森木造橋跡コンクリート橋 林鉄道時代、ここには木造橋梁が架かっていた。橋台は当時のままである。

廃線跡のコンクリート道はほどなく未舗装となり、小径となって藪化して行く。この道沿いにもユキノシタ やヒメウツギ等の白い花々が咲いている。鈴なりになったヒメウツギの咲く箇所が、最も藪がひどい。


ヒメウツギ

短い手鎌で藪を切り開き、四つん這いで密林箇所をくぐり抜けると、水田沿いの歩き易い道になる。ほどなくバス通りから分岐する林道宗ノ上線に出る。ここは右折。ここからしばらくの間、廃線跡は林道造成によって消滅しているが、林道の左寄りが廃線跡。しかし沢を越え、左急カーブを過ぎると、再び廃線跡路盤が現れる。


 

魚梁瀬森林鉄道の支線には、廃線跡が長距離に亘って残るものが何路線もあることが分かった、という方は下のバナーを
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