二ヶ所の掩蓋式海軍高角砲台(愛南町) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[地下砲側庫を擁す砲台]大浜高角砲台

今年の正月は、大月町と愛南町の海軍第21突撃隊の戦跡の内、未探訪の派遣隊基地跡や関連砲台、海岸沿いのスーパー低山登山等を行っていた。

その探訪及び山行地の中で、最も見応えのあったのが、愛南町の海軍武者泊高角砲台と大浜高角砲台である。


 

昭和19年秋より、本土決戦に向けて、四国西南地域の防備体制が構築されることになる。1910月末、宿毛市宇須々木の宿毛武者泊高角砲台上り口 海軍航空隊基地跡へ海軍第一特別基地隊宿毛派遣隊が進出した。更に翌年31日付で同基地に第21突撃隊が開隊し、5月から8月にかけて宇須々木を始め、大月町古満目、柏島、泊浦、土佐清水市越、愛南町麦ケ浦に水上・水中特攻基地が設営され、魚雷艇、震洋艇、回天が配備された。

6月には愛南町深浦に第102突撃隊が開隊、蛟竜が配備される。


 


各基地周辺には機銃陣地があったが、そ海軍武者泊高角砲台 れとは別に大型の敵艦にも対応できるよう、愛南町武者泊と大浜に掩蓋式の12cm高角砲を設置していた。掩蓋(えんがい)式とは、以前紹介した手結第一砲台のように、山の斜面を削ってコンクリートの掩蔽壕を築造し、その中に高角砲を格納するタイプである。但し、高角砲とは言え、掩蔽壕があるため、実質的には水平砲として使用される予定だった。


 

砲台は武者泊と大浜にそれぞれ二門ずつ武者泊高角砲台掩蔽壕内部 設置されたが、前者の一門は砂防ダム建設時に消滅している。現存の一門は地下砲側庫とセットになった砲台故、探訪のし甲斐がある。

大浜の砲台は一門のみが掩蓋式だが、砲口付近が手結砲台のようにGHQによって爆破されている。地下砲側庫は付随していない。もう一門は陸軍の山砲のような、素掘りの竪穴壕タイプである。

大浜砲台についてはヤマケイサイトに、砲台から深草山防空監視哨跡を巡る回遊コースを投稿しているので、参照されたい。→海軍大浜高角砲台から深草山防空監視哨跡回遊

 

では、武者泊高角砲台の探訪コースを解説しよう。武者泊高角砲台地下砲側庫入口と通路 アプローチはまず、国道56号、愛南町中心部から南の県道34号へ折れる。紫電改展示館上り口前を通る観光道路である。

旧西海町船越で、西海トンネルを通る県道300号に折れる。

回天の基地があった麦ケ浦を過ぎると、次の集落が武者泊である。武者泊バス停(民宿なぎさの南)を過ぎると道路は向きを南に変えるが、南に向きに変わって右手に二軒目の民家に上がるコンクリート階段が上り口である。車はそこから少し南のゴミステーションに駐車すると良い。


 

その民家の玄関手前で前方左に分かれるコンクリートの段状歩道に折れる。道は民家西沿いの擁壁上を北上し、谷に突き当たると南岸を上がる。

砂防ダムの手前で、左上に虎の子ロー砲側庫側出入口 プが張られているが、以後、砲台まではそのロープを辿れば良い。砲台直下は道のない急傾斜となっているが、ロープを掴みながら登る。

砲台の手前、右に折り返す地点の左側に壕跡がある。


 

こちらの砲台は爆破されず、きれいな状態で残っている。内壁の南側の四角い穴は砲弾置き場。正面奥の四角い枠の奥は土砂で埋まっている。

北側に地下砲側庫へと続く地下通路がある。砲側庫の中はがらんとしており、ゲジゲジの棲家となっている。

砲側庫の先は出入口で、下は石積みがなされ、その下は涸れ沢になっている。戦前は水流があったはずである。

対岸に集水桝のような物があるが、これは海軍のものか否か、定かではない。


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