≪死霊を背負って岩盤の納骨穴へ≫
大泉洋は四国霊場79番札所・高照院で怪異体験する前、71番札所・弥谷寺(いやだにじ)でも更に奇妙な体験をしていた。
夜間、真っ暗闇の山中の道を徒歩で寺へと向かってい た時、洋は誰かに背中を触れられた感覚があり、後ろを振り返った。
てっきり洋は同行していたハンディ・カメラを持つスタッフだと思ったのだが、次の瞬間、右手の藪の中から、木の枝を折るような「バシッ」という音が聞こえた。
洋は驚き「おお~っ」と声を上げたのだが、また立て続けに二回ほど「ビシッ、バシッ」と乾いた音が発せられたのである。
洋は駆け出した。
この音は明らかにラップ音の一種である。
大泉洋が夜間参拝した四国霊場寺の中で、この寺で最も奇怪な現象があったのには訳があることは、以前も少し触れた。この寺と背後の弥谷山は昔から「死霊の宿る山」と言われているのである。
この寺は天平勝宝年間(749~757年)、聖武天皇の勅 願により、行基菩薩が建立したもの。
その後、大同年間(806~810年)に唐での留学を終えた弘法大師が来山し、鎮護国家済度利生のため、八千枚の護摩秘法を修し、新たに精舎を建立している。
また、それより以前、大師は7歳の頃も寺で学問を学んでいる。
そんな寺だが、中世初期から「死者の山」としての信仰を集めるようになる。
寺の檀家に死者が出た場合、その死から7日後、或いは49日後に死者の家族の者が遺髪を
持ち、その死霊を背負う真似をして寺の本堂手前の比丘尼谷の岩盤まで登り、岩盤に新たに刳り貫いた通称「納骨穴」に遺髪を納め、経木に書いた戒名を、比丘尼谷で汲んだ水を樒(しきみ)によってかけて供養する、という風習。
このような寺に夜間訪れて、何も起こらない方が不思議なのである。
尚、この寺へは、麓の無料駐車場から登る場合は、ずっと石段を上ることになる。しかし「水曜どうでしょう」の映像では、石段は映っておらず、道の傾斜も殆どなかった。
このことから考えられるのは、事前に寺へ連絡しておき、有料参拝道路のゲートを開けて貰い、寺のすぐ下までレンタカーで行き、 寺の南西から上がったのではないか、ということ。
が、昼間なら有料道路を通る必要はない。無料駐車場からも僅か5~7分程度で上がれるのだから。
では次回、弘法大師が秘法を修した岩屋と堂宇が合体した施設を見ていく。
ps:この「水曜どうでしょう」のロケは’08年頃に行われた模様。
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