松ケ峠番所跡のすぐ上は車道が横断していますが、これは茶屋谷茶堂北へと続く道路。斜め向かいの山際には石仏が埋め込まれており、坂本龍馬脱藩の道の峠の歴史を今に伝えています。
地形図(惣川)を見ると、破線は西方から上へと続いていますが、
続きの上り口はやや東方に設けられています。これはこの車道造成時、古道側の斜面が削られたため、若干ルートが変更されたものと思われます。
が、高度に於いて30mも上ると破線の道に重なります。
一帯が植林帯になると三叉路に出て、そこを左折しますが、その先の山際には大岩があります(一枚目画像右)。昔の人はこの大岩を三叉路の目印としていたのでしょう。ここは高度770mほど。
殺風景な植林帯ですが、かなり下方に沢音がします。地形図にはこの沢の東沿いに破線が記されているので、沢と道の位置関係、そして高度を把握することで現在地を確認することができます。
脱藩道ウォーカーの中には、各所に道標があるからと読図を全くしない者もいますが、そのようなことをしていれば
、もし道標が破損していた場合、ルートを誤り兼ねないのです。山中には人家もなく、人に尋ねることもできません。
地形図の破線は高度を増すに連れ、徐々に谷に近づいて行きますが、谷 の下方を流れていた沢も段々道沿いを流れるようになり、そしてその沢を木橋で渡ります。ここは高度約820mで、破線も急角度に西へ向きを変えます。
谷の反対側を上がっていくと、ほどなく左急カーブを描いてまた植林帯の中に入りますが、このヘアピンに近いカーブも地形図にあるので、現在地確認は容易。
その少し先で今度は右急カーブとなり、以後、標高900mほど
の車道が通る峠へと谷沿いを上がって行きますが、実際には地形図では表記されていないジグザグの小カーブが小刻みに現われます。
小刻みの連続カーブが終って植林帯を抜
けると、雑木の山肌を伝う道となり、前方の空が段々と開けてきて、右手の山肌が灰色の砂礫斜面となります。この斜面一帯を遠方から眺めた時、青色がかった灰色に見えることから「青ザレ」と呼びます。「ザレ」は砂礫地のこと。
そしてほどなく前述の林道が通る峠に出ます。ここは「青ザレ峠」。道標は進行方向に矢印で「青ザレ」と記していることから、踏破者の中には、この先に青ザレ峠があるものと勘違いする者もいることでしょう。
ここからはしばらく林道を下りますが、北方が開け、四国カルストが遠望できます。
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