道はなくとも峠あり~真実の坂本龍馬脱藩道26梼原町編(5)~ | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

川西路の小集落を抜けると「維新トンネル」に到りますが、「公的偽脱藩ルート」の道標は、愚かにもトンネルを抜けるよう、指示しています。しかし本来、坂本龍馬らが歩いた古道ルートは山の上で、鞍部が「大越峠」という峠になっていました。今でも峠部は切通しになっています。

但し、峠自体は昔と同じ位置にあるも自然、戦跡、ときどき龍馬-大越峠 のの、そこに到る古道は、明治期に新道(荷車や馬車を通す「くるま道」)ができたせいで完全に消滅してしまっています。



よって、峠に立つには林道のようなヘアピンカーブが連続する新道を上がるしかありません。トンネル口にある休憩舎から左手の舗装道路に折れます。



JAの菌床工場前から未舗装の林道になりますが、その工場の奥には維新トンネルができるまで利用されていた「大越トンネル」が眠っています。



大越峠は林道化されているものの、古道の雰囲気を残しています。その先は三叉路になっていたかも知れませんが、右折します。



新道の麓は梼原町森林組合製材所の敷地に取り込まれています。この西方上にもかつて「藤の越」という峠があったのですが、ここも老人ホームや町民グランド等の建設によって、峠自体消滅しています。グランド前辺りが峠跡です。自然、戦跡、ときどき龍馬-藤の越の先の古道



そこから南西の健康増進センター裏に山道が見えていますが、それは無関係の道で、ルートはそのまま西進します。



グランド西は車道と歩道が合わさった五叉路になっていますが、直進します。ここで脱藩の道道標が正規の歩道を指し示しているので、それに従います。



樹林を抜け、畑が広がって来ると未舗装林道となり、日の口橋に出ますが、かつての古道はここより手前で北側の沢を土橋で渡り、次の無名峠への上り口へと繋がっていました。しかし橋の先でまたもや偽ルート道標が、そことは逆の南西方向を指しています。



その方向は茶屋谷ではなく、旧来の脱藩ルートとされていた九十九曲峠へと向うルートなのです。新ルートである韮ケ峠コースを支持しているはずの梼原町がなぜ、このようなことをするのか理解に苦しみます。



よって、正しいコースは日の口橋を渡ると右折します。

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