西条海軍航空隊が特攻訓練を行っていた航空基地跡ですが、跡地の小松ゴルフ場の人家群を挟んだ南には、練兵場や、信号交差点北東角にはポンプ場や自家発電所等の施設もありました。
更に南方の西条市氷見丁尾土居には弾薬壕と第一~第三燃料壕が築造されたのですが、航空基地からそこまで、タンクを積載した軍用トラックが通る道路も造成されました。
氷見北新開から石岡(いわおか)神社東の森を掘り切って、伊予氷見駅西の踏切を横断し、石鎚酒造前を通り、県道142号をくねりながら複数回離合して上がる道路です。
海軍のものかどうかは分かりませんが、石岡神社の森の道路側には防空壕(一枚目画像)がいくつか掘られています。うち、いくつかは奥で一つになり、そこが広い空間となっています。
それらの防空壕は入口から少し入った箇所で埋まっているため、奥へは入れませんが、地上の石岡神社境内の東寄りには、若干地面が窪んだところがあり、その下が広い空間の壕跡であることが分かります。
尾土居へ向うには、狭い軍用道路を行くより、県道142号を南下した方が分かり良く、燃料壕等のある場所の目印は「高尾城跡登山口」道標のある四叉路です。
この東西に県道を横断している道路が軍用道路で、ここを東に折れると、すぐ建設会社敷地の山際にコンクリート造りの第一燃料壕が現われます。
ここには燃料以外に爆弾の信管も保管されていました。
隧道が三本ほど確認できますが、地下で一つになっています。南側の壕は背後の斜面が崩れていますが、北側のものも、入口に建設資材が積まれており、入りにくい状態です。
それに奥では昭和期、女性が自殺しているので、物見遊山での探訪はお勧めできません。一応、建設会社の事務所に声をかけてから見学して下さい。
その南に弾薬壕があったはずですが、はっきりしません。それに飽くまで私有地なので、あまり奥の方を探るのは遠慮すべきでしょう。
第二燃料壕は県道工事で消滅しています。
第三燃料壕は建設会社南の猪や猟犬が入れられている檻の背後に、いくつか口を開けています(三枚目画像)が、ここの地権者はまず見学の許可を出さないと思われるので、県道から窺うのみです。
現在、戦争遺跡=平和学習ツールのように思われていますが、私は平和主義=左翼というイメージがあるので、そのような活動はしていません。
そのような者たちは戦争遺跡に「負の遺跡」というレッテルを貼っているのですが、本土の戦跡については、飽くまで防衛目的なので「正の遺跡」とすべきではないでしょうか。
ただ、「正の遺跡」という言い方は普通しないので、通常の遺跡ということになります。戦跡の中には、土木建築技術的に優れたものも多く、建築関係の公的機関では、全国のいくつかの戦跡を「文化遺産」として評価しています。
本当は現地の戦跡を活用した広範囲(複数の市町村や隣接県)の「戦跡自然ミュージアム」でも開催し、戦跡の新たな平成の価値観を築きたいのです。
戦争遺跡を「正の遺跡」として鑑賞したい、という方は下のバナーを是非。