坂本龍馬のことを平和主義者だと誤解している方や、武力倒幕について、否定的だったと思っている方は多いのではないでしょうか。
しかし、龍馬が暗殺に関わった記録や、元海援隊士の、龍馬が人を斬り捨てた旨の証言があるのです。
記録として存在するものは、龍馬研究家なら皆、知っているものと思いますが、文久三年二月五日の「海舟日記」には「龍馬、近藤、新宮、岡田、黒木等、御船に来る。云う、岡田星之助、悪意これある間、撃つべきと議決せり。」とあるのです。
実際に鳥取藩士である星之助は何者かに殺害されています。
星之助は龍馬とも交流が深い、千葉重太郎の道場で剣術修行を行ったこともあります。
星之助は同志を裏切ったがために殺害されたとしていますが、龍馬らと関係の深い人物を裏切ったのでしょうか。
更に元海援隊士の関龍二が晩年語ったことの中に「龍馬は海援隊の規律に非常に厳格で、人妻を犯せば切腹させ、水夫頭の三吉が暴行をはたらいた時には、即刻斬り捨てた。」というものもあります。
奇兵隊を始め、各地の勤王志士の党や隊は、どこも皆、規律・規則は厳しく、それを破った者は有無を言わさず切腹、というのはごく当たり前でした。
龍馬も海軍塾や亀山社中、海援隊の長となった人物ですから、当然の如く、切腹を申し付けることもあったことでしょう。
龍馬が大政奉還推進から倒幕路線に傾きつつあったことは、また機会があれば記述しますが、坂本龍馬は聖者ではなく、一人の武士なのです。
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