「宛のない手紙」
作.手ぶlove
私は旅先の駅のホームで小さく折り畳まれた
一万円札を拾った。
誰かが落としたのだろう。
落とし主が財布のカード入れにでもそっと
忍ばせておいたのだろうか?
圧縮された一万円札は、
まるでお守りか何かのように見えた。
その時、ある記憶が頭をよぎった。
~私がまだ若かった頃…
日雇い現場の最寄り駅で
なけなしのお金を入れた財布を
駅のトイレの洗面台の上に置き忘れた時のことだ。
私は財布を落としたことなど知るよしもなく、
駅を出た。
地図を便りに建設現場へと向かう。
やがて目的地の巨大な建設現場が目に入った。
「デススターかよ…」
私はこれから始まる過酷な労働にため息しか出なかった。
資材運搬用のエレベーターが使えず
大量の材木を階段を使って
担ぎ上げなければならないからだ。
その気の遠くなるような作業に
始める前から嫌気が差していた。
私は現場近くで弁当調達の為、
コンビニに寄った。
レジに並びバッグをまさぐった時
ようやく財布がないことに気づいた。
「しまった!駅の便所だ!!」
私は青ざめた。
財布の中には滞納した携帯電話料金も入っていた。
今さら引き返せないし、連絡を取ろうにも
電話が止まっている。
何もかも絶望的だった。
私は仕方なく、そのまま現場に向かい
食事はおろか、水分も摂れずに
ひたすら材木を肩に担いで運んだ。
「なんという仕打ちだ!!」
ふくらはぎはパンパンで
何度も足が吊りそうになった。
私は神を呪った。
やっとの思いで仕事を終えると、
衰弱しきった身体を引きずりながら
生ける屍の如く駅に辿り着いた。
半ば財布のことは諦めていたが
何しろ帰りの電車賃もない。
今日の日当を事務所に貰いに行くまで
文無しなのだ。
私は恐る恐る駅員さんに財布のことを尋ねてみた。
信じられないことに財布は誰かが
駅員さんに届けてくれていた。
全財産の入った命綱は、そっくりそのまま
私の元に戻ったのだ!
届けてくれたその人にお礼のひとつでもしたかったのだが名前も住所も分からなかった。
私は心の底から感謝した。~
そんなことを思い出しながら
小さく折られた一万円札を広げて行く。
落とし主にとってはこの一万円札が
命綱かもしれない。
あるいは、金額以上に何か大切な思いが
込められているのかもしれない。
折り目を指でなぞると、そんな気がしてならなかった。
私は広げた一万円札をまじまじと見つめながら
呟いた。
「あの時は…どうもありがとうございました…」
一万円札は駅員さんに落とし物として届けた。
それは、私からあの人への手紙。
いや、
この手紙は
私が生まれる遥か以前の
遠い昔から「ありがとう」だけを運ぶ
宛のない手紙なのかもしれない。
形を変えて
時を超えて
きっと誰かに届きますように。
完
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