大河ドラマ「真田丸」勝手にコラボ企画 第44話「築城」 | こっちゃんの不楽是如何(たのしまずんばこれいかん)

メインテーマがオープニングではなく最終回に流れる演出は最終回以外では大河ドラマ初だったのではないでしょうか。

 

タイトルにもなっている「真田丸」がついに大坂城に完成。

真田幸村(信繁)も赤い鹿角兜というおなじみのスタイルに。真田丸に真田六文銭の軍旗がひるがえっていましたが、一説によると幸村は東軍として参陣している甥の真田信吉・信政を気遣って六文銭の軍旗を用いなかったという説も残っています。

 

今回家康が戦準備をしていた足軽たちのあまりの知識の無さに怒鳴り散らしていましたが、実際関ヶ原から15年。兵たちの実戦経験の無さというのが徳川軍の弱みでした。

兵を率いる将にしても、徳川四天王をはじめとした三河以来の将はほとんど世になく、参陣した将は二代目ばかり。

諸大名で一軍を率いて戦ったことがあるのは総大将の徳川家康以外は上杉景勝・伊達政宗・藤堂高虎・立花宗茂程度。大軍とはいえ、指揮がまともにできないようでは烏合の衆、大坂方が勝機を見出せる点はそこでした。

ちなみにさらに22年後の島原の乱では幕府軍のこの傾向がさらに顕著となり、忍びの者は城に潜入も出来ず外でガタガタ震えるだけ、当初の総大将・板倉重昌は戦死。

結局のところ前述の立花宗茂や水野勝成、鍋島勝茂といったギリギリ関ヶ原を知る老将たちの活躍によりなんとか一揆勢を鎮圧することが出来ました。

 

武士の心得として「葉隠」という本が、広く一般的に知られていますがこの本が書かれたのも江戸中期。人によっては「葉隠は平和な時代の武士による理想の姿であり、戦国の世を生き抜いた武士の思想には程遠い」なんて意見もあります。

 

現代の倫理観だけで判断出来ないということも、歴史を理解する大事な要素の一つです。

 

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歴史大好き古藤が、大河ドラマを見て何も見ずに自分の記憶のまま思ったことを書くだけの企画です。史実と異なる場合もあるかと思いますが、ひらにご容赦を。