大河ドラマ「真田丸」勝手にコラボ企画 第36話「勝負」 | こっちゃんの不楽是如何(たのしまずんばこれいかん)

第2次上田合戦も真田軍の勝利。しかし肝心の関ヶ原の戦いでは石田三成率いる西軍が徳川家康に敗北。

ちなみに上田城を攻めていた秀忠率いる別動隊は、結局関ヶ原の決戦に間に合わず。

到着後も秀忠は家康に数日間お目通りも叶わず、後に会った際も大いに叱責されたと言います。

ですがこれも一説によると万が一関ヶ原での合戦に敗れた時に備え、遊軍としてわざと家康が遅れるように指示していたという説もあります。

もし関ヶ原の戦いに家康が敗れていたら、家康は甲斐やあるいは本拠地の江戸で兵を立て直し、最終決戦に臨んでいたでしょう。

あるいは西軍の石田三成も同じように考えていたはずです。万が一関ヶ原で敗れたら、敗残兵をまとめて大坂に残してきた軍などと合流し、京あるいは大坂で最終決戦だ、と。

ところが決戦はわずか一日で終わってしまった。

これは全国のどの大名も予想していなかったことでした。

 

だから九州の黒田官兵衛も奥州の伊達政宗も、一応東軍として自分の領地の周りの西軍と戦っておきながら、中央の情勢次第ではいつでも徳川と対峙する方策も考えていた。

伊達政宗に至っては露骨に東軍方の南部領内の一揆の手助けをして、家康に戦後睨まれている始末。

真田だって、戦が長引けば更に徳川の背後を脅かすような戦略も取れたはずです。

 

この関ヶ原の戦いにおけるスピード決着によって、いよいよ時代は徳川の流れになっていきます。

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歴史大好き古藤が、大河ドラマを見て何も見ずに自分の記憶のまま思ったことを書くだけの企画です。史実と異なる場合もあるかと思いますが、ひらにご容赦を。