『緊縮財政・増税推進・生産性向上・構造改革・社会保障解体・自助礼賛』


これらは積極財政を忌み嫌う連中が好んで用いるワードだが、彼らはこうした“魔法”に縋れば経済成長や所得増加が叶う(知らんけど…)という大嘘をまき散らし、長年にわたり国民を欺いてきた。

“需要と供給”、“消費と生産”、“購買と販売”etcという相互作用が経済活動の根本を支えるという事実は、お小遣いをもらって好きなものを買いに行く小学生でも当たり前に理解できる経済の基礎知識だろう。

だが、積極財政により国民が豊かになるのを嫌悪する増税緊縮派の連中は、「需要なき供給」、「消費なき生産」を礼賛する。


彼らの言説は、「エリート主導型の計画経済」、「生産のための生産に邁進し売れない在庫をひたすら積み上げる社会主義経済」を想起させる。

彼らは口先でこそ「研究開発・設備投資・人材投資」が必要だと主張するが、そうした開発行為や投資に対する対価、つまり、売上や収益をどこから持ってくるのか?、誰がそれらに金を払うのか?についての考察が極めていい加減であり、関心も薄い。

『頑張ってモノやサービスを提供すれば、きっと何処からともなく白馬の王子様が現れ、すべて買ってくれるはず』と夢想し、『供給は必ず需要を生む』という魔法に縋ろうとしているようだ。

『日本を惑わす「そう見えるでしょう経済学」の盲点~「財政出動で経済は必ず成長する」には根拠なし』
(デービッド・アトキンソン/小西美術工藝社社長)
https://toyokeizai.net/articles/-/508019?page=1

積極財政がお嫌いなD・アトキンソン氏のコラムだが、文章が長いので記事の冒頭に掲載されていた要約を抜粋しておこう。(興味のある方はURLから本文をご参照ください)

(1)積極財政派は、緊縮財政が原因で日本経済が成長していないと主張している
(2)その理屈は単純
(3)政府支出増加率とGDP成長率との間に、0.91という極めて強い相関係数がある
(4)近年の日本の政府支出増加率が先進国の中で極めて低いから、GDP成長率も低いという
(5)しかし、政府支出増加率とGDP成長率の間の相関係数0.91は、ただの相関関係
(6)事実、税収とGDP成長率の相関係数も0.87である。よって、単純に相関関係だけを見るならば、「増税をすれば経済が成長する」という理屈も成立する
(7)政府支出と経済成長がどう連動しているのか、因果関係をしっかりと確認するべきである
(8)海外の経済学者は、財政支出を増やせば経済が成長するという因果関係のエビデンスは乏しいとしている
(9)逆に、経済が成長するから政府支出が成長するというワグナーの法則はいまだに最も有力
(10)今は労働参加率が史上最高水準なので、単なる量的景気刺激策も効果がない
(11)したがって、財政出動は慎重に、乗数効果の高い生産的政府支出(PGS)を集中的に増やすべきである
(12)「新しい資本主義」を標榜するのであれば、政府の支出は研究開発、設備投資、人材投資を中心に行うべきである

アトキンソン氏は、昨年来、積極財政派やMMT論者から自説を散々叩かれまくった腹いせなのか、定期的に沈説・愚論付きの反論を掲載してくれるので、ネタ探しに困る筆者もとても助かっている。

彼の反論を要約すれば、最近の増税緊縮派のトレンドでもある「ある程度の財政支出はしゃーないけど、バラマキなんて以ての外や。成長分野に限定して支出せいよ!無論、支出した分はきっちり増税で回収せなあかんけど…」といったところか。

彼は、あれこれごちゃごちゃと屁理屈を並べ立てているが、要は、
・財政支出はムダの極致であり、次世代へのツケ回しだ
・財政支出は税収の範囲内で行え
・少子高齢化社会の日本はもう成長できない(成長すべきではない)
・積極財政はハイパーインフレを惹き起こす
・生産性至上主義こそ至高
という旧来型の増税緊縮思想をなぞっているに過ぎない。

その根底にあるのは、『日本を絶対に成長させない。日本人を絶対に貧困化させてやる』という怨念や怨恨なのだ。

アトキンソン氏は、政府支出増加率とGDP成長率との間の相関関係を否定し、税収とGDP成長率との相関係数も相応に高いのだから、「増税をすれば経済が成長する」という理屈も成立するなどと程度の低い屁理屈をこねている。
さらに、「政府が支出を増やしさえすれば経済成長するのならば、どの国でも苦労せずにバラマキをやって成長できるはず」と嘯いている。

日頃から、生産性を上げろだの、設備投資をしろだのと供給サイドの強化を叫んでいる割に、生産力や供給力の育成強化の難しさを知らぬド素人の妄想が、あまりに酷すぎて開いた口が塞がらないし、需要と供給を高度なバランスで維持成長させることの大切さや難しさを理解できぬ素人論者の空想には失笑を禁じ得ない。

「政府が支出を増やしさえすれば経済成長は保証される」という彼の苦し紛れの反論に対しては、「お前がそう思うなら、北朝鮮やパプアニューギニア、サモア辺りで実証実験をやってみろよ!」と軽くいなしておけばよい。

説明するまでもないが、積極財政派が財出による経済成長を強く訴える背景には、「財出により実体経済に供与された貨幣が供給サイドの売上や収益という対価をもたらし、貨幣を欲する供給サイドの研究開発・設備情報投資・人材投資を刺激して生産性を向上させるとともに、労働分配率をも引き上げ、家計所得を増やして、将来にわたる消費拡大を約束し、それが長期にわたり国内供給力の強靭化に寄与する」という、需要と供給との相互連関が正のベクトルに作用する国であることを大前提としている。

この程度の理屈はわざわざ説明する必要もないレベルのイロハの“イ”であり、それすら理解できずに鬼の首でも獲ったかのようにはしゃぐアトキンソン氏の姿は滑稽でしかない。

まぁ、政府支出増加率とGDP成長率との間の相関関係の正しさは、かつての高度成長期やバブル経済期の日本、ここ20年程の先進国(日本を除く)の成長ぶりを見れば一目瞭然の事実であり、否定のしようがなかろう。

アトキンソン氏には、「下らぬ似非論法を開陳しても、ただただ恥を晒すだけ。素直にゴメンナサイして転向しなさい」とアドバイスしておく。

また、彼は、MMT論者に「需要が足りないというのなら、そのエビデンスを示してくださいと何度聞いても、まともな回答が返ってきたためしがない」とお嘆きだが、20年以上もほとんど伸びていないGDPや逆に減っている国民の平均年収、長期低迷を続ける国内産業の設備稼働率等々、日本の衰弱ぶりを示す指標を丁寧に拾っていけば、需要不足の酷さや実態は嫌でも目につくはず。
彼には、目の前に山積みなっているエビデンスを直視する勇気や気概がないだけのことだろう。

アトキンソン氏はコラムの結びで、少子高齢化社会を迎えた日本は社会保障負担が重くなっており、これを解決するには生産性向上しかない、と述べたうえで、「技術革新と普及には投資が最も大事です。(1)研究開発、(2)設備投資、(3)人材投資の三大基礎投資が、今後の日本がとるべき選択肢です」と結論付けている。

これは典型的な『生産性向上至上主義』的な発想で、「(方法はよく解んないけど…)生産性さえ上げておけば森羅万象の問題は万事解決だよね!」という幼稚な空論でしかない。

社保負担のコストが企業や家計から消費力を奪い、需要喚起の足枷になっているのなら、採るべき解決策は、政府が、誰の負債にもならぬ通貨発行により社保負担を肩代わりして、企業や家計の消費力を増やしてやることだろう。

企業や家計に重たい社保負担を背負わせたままで、企業はいったいどうやって生産力を上げることができるのか? 生産・情報・流通設備の投資資金をどこから調達させようというのか? アトキンソン氏の発言は、そうした疑問をまったくケアできていない。

『研究開発・設備投資・人材投資』が必要なのは当然だ。
しかし、それらの投資に与える対価(=カネ)は、いったい何処の誰が払うのか?
30年もの間、所得を減らされ続け、消費力が地に堕ちたわが国で、供給サイドだけに偏った資金供与をする必然性や合理性は何処にあるのか?

アトキンソン氏をはじめとする増税緊縮派の連中に何度聞いてもまともな回答が返ってきたためしがない。

需要の種を蒔かずして生産性向上を図ろうなどという魔法に縋るのは、家計に集ろうとする「税金クレクレ乞食の甘え」でしかない。