うずらのブログ

うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

先ごろ首相に就任した氏は、記者会見で「国民のために働く内閣」を目指すと宣言し、「規制改革を政権のど真ん中に置く」と述べた。

 

民度の低い国民やマスゴミ、政治評論家はこれを持ち上げているが、新自由主義者と緊縮派揃いの新内閣や自民党役員の連中に何を期待するつもりなのか?

 

彼らのいう”改革”とは、

①野放図な市場開放により国内企業や農林水産業者を外国資本とのコスト競争に叩き込むこと

国内市場や公共インフラを外国資本や自分たちと親密な企業(オトモダチ)に売り渡すこと

③雇用の質を落として流動化させ、労働コストを極限まで削ること

④連れ込んだ外国人に日本の福祉制度を食い荒らさせること

⑤日本の食糧安全保障を外国資本に売り渡すこと

である。

 

ひとことで言うと「日本人の労働価値を劣化させ、日本人からQOLを奪い、日本人を奴隷化することであろう。

 

多くの国民は不勉強かつ不用心ゆえ、”改革”という言葉の無謬性を何の疑問もなく受け容れがちで、改革というキーワードを乱発・乱用・誤用する政治家や官僚を”改革の旗手”として褒め称えてしまう

 

だが、四半世紀近くも前から、与野党問わずアホな政治家どもが”改革・改革”と連呼した結果をとくと振り返ってみるがよい。

我が国の名目GDPは1994年/501兆円→2019年/553兆円と、25年もかけてたった10%しか増えておらず、年率換算でわずか0.4%という体たらくだ。(※しかも、途中でGDP積算方法の嵩上げというブーストを入れたのに…)

 

多くの日本人は好きなものも満足に変えず、旅行にも行けず、爪の先に火を灯すような慎ましい生活を余儀なくされているのに、最近では欧米ばかりか、中国や東南アジアあたりの貧国からも、「日本はなんて物価が安いんだ! 日本に旅行に行くと金持ち気分を味わえるよ!!」とバカにされる有り様ではないか?

 

日本人を不幸せにする政策を”改革”とは呼べないし、呼んではならない。

 

筆者が菅氏をはじめとする内閣や与党の連中に言いたいのは、「財務省改革・予算編成改革・歳出改革こそ規制改革のど真ん中に置け!」ということだ。

 

菅氏は行政府のタテ割りや前例主義排除も掲げているが、こうした悪弊が厳然と残る背景には、

・立法府が立法という最重要業務を行政府(官僚)に丸投げしている現状

・予算獲得に心血を注がざるを得ない官僚の行動原理

財務省が予算査定権を握る悪しき慣習

・予算の単年度主義による長期開発計画の欠如

ムダでしかない会計検査院の存在

・補助金適化法の不備

等々といったファクターがある。

 

官僚のタテ割り主義や前例主義を批判する国会議員には、「偉そうに他人に文句を言う前に、お前らは立法府としてちゃんと仕事をしろよ(# ゚Д゚)」と叱り飛ばしたい。

 

よく、「自民党の議員は朝の6時から熱心に勉強会をやっている」とヨイショする連中を見かけるが

・朝早くから何を勉強しているのか?

・その成果はどういう形で発露したのか?

・勉強の結果、国民所得の向上につながった具体例はいくつあるのか?

と小一時間問い詰めたい。

 

確かに議員立法は数こそ多いが、成立するのはごく僅かで、実際に成立し運用される法律はどれも官僚が造ったモノばかりで、国会の審議なんてのも、官僚が不眠不休で必至こいて作った法案をただ横眼で眺めているだけだろう。

 

しかも、肝心の官僚作成の法案も、財務省や内閣の意向を忖度して、女性活躍とか地方創生、観光立国とかいうキーワードに無理やり紐づけし、ただただ財務省のご機嫌を伺って予算を取ることに特化した法案ゆえ実行力に乏しく、法案を通して予算は付けたがそれを利用するものは誰もいない、なんていう事業はいて捨てるほどある。

 

すると今度は、せっかく予算を取ったのに未消化のままでは官僚の沽券にかかわる、来年度の予算査定の際に財務省に嫌味を言われるとばかりに、担当部局の役人が予算消化に躍起となり、使えない予算や何のニーズもない事業を、委託団体を使って民間事業者へ無理に売り込み、挙句の果てに不正使用が発覚して会計検査で御用になるという顛末だ。

 

会計検査院の役人どもは、これまた財務省並みの世間知らず揃いで、執行した予算の使い方にヤクザまがいのケチをつけてくるから、それを恐れる官僚たちは自然と減点主義になり、前例踏襲で安全策に逃げざるを得ない。

 

また、予算執行の折りにかと問題になる「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律(補助金適化法)も実態にそぐわず各種事業の経済効果をスポイルしている。

「補助金で購入したものを他の用途に使うな」だの、「補助金交付決定前の事前着手(発注や契約)をするな」だの、「事業者の私有財産となる物品を買うな」だのと口うるさく、まったく使えない法律だ。

 

「補助金の原資は国民の税金だ」という印籠を振りかざし、血税を無駄に使わせないとイキった法律だが、そもそもその税金を納めたのはお前らじゃなくて、補助金を利用する事業者だろ?と叱り飛ばしたい。

企業や経営の実態を考慮せず、「これは補助金(国からのお恵み)なんだから、お前らの都合なんて聞けない。お前らが補助金の規則に合わせるのが当然だろ!」という思い上がった法律は、いますぐ改正すべきだ。

 

さて、予算獲得の話に戻すと、官僚の立場からすると、予算獲得という最大の仕事を何とかこなすため、査定官たる財務省の役人(都道府県や市町村レベルだと総務省から派遣された頭でっかちな財務当局の役人)の下へ日参し、経営の何たるかも、事業の苦労も何一つ知らぬド素人役人から斜め上のくだらぬイチャモンをつけられ予算案をクソミソに貶される。

 

それでも上司から”死んでも予算を通せ”とプレッシャーをかけられ、骨太の方針にちりばめられた”女性活躍地方創生観光立国”云々といった空虚なキーワードを盛り込んで修正し、予算案の増築改修を試みる。

その結果、事業の目的とそれを利用する対象者がまったくマッチしない違法建築まがいの予算案が仕上がり、何とか財務省に予算を通してもらうという、真に馬鹿げた事務作業が延々と続いている。

 

なぜ、趣旨のねじ曲がった予算案が査定を通るのかといえば、それが「できるだけ予算を使わせたくない。予算執行額を減らしたい」という財務省特有の守銭奴根性にフィットし、「他省庁の作った予算案に難癖をつけ、財務省の権力に平伏させる」という自尊心を満たす行為だからに他ならない。

 

要するに、財務省のバカ役人どもは、予算査定時に他省庁の役人をペコつかせ、予算執行時に来年度予算を減らされまいと彼らが右往左往する様を見て自分たちの権力の強固さを再認識してほくそ笑んでいるだけの役立たずでしかない。

 

こんな連中に国家予算を差配され、とうの議員たちは財務省と他省庁とのプロレスごっこ(財務省による一方的なイジメ)の末に上がってきた予算案を横目で眺め形式上の審議をするだけなんて、国民の負託を得た議員として恥ずかしくないのか?

 

国家運営や国民生活、国家の社会基盤を形成する国家予算の編成を、国民の代表でもない官僚に丸投げして悔しくないのか?

 

国の行く末を大きく左右する予算(予算総額・個々の予算構成)を編成するのは、(建前上であっても)国民から選択された国会議員であるべきだろう。

 

財務省の役人なんて国有財産の管理でもやらせておけば十分だ。

 

とはいえ、いまの議員連中の大半は新自由主義者や緊縮派だから、彼らに予算編成を任せても大きな変化を期待するのは難しいが、まずは国民の声や意志が直接届かぬ官界から予算編成権を取り上げるのが先決だろう。

 

財政法や財務省設置法の改正こそ、規制改革の1丁目1番地であり、改革のど真ん中に置くべきだ。