“借金コワい”を煽るだけ

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いつの世も、人々は借金を不健全なものと嫌い、それが増えるのを恐れるものだ。

昭和61年に政府が行った「税金に関する世論調査」を見ると、『国の財政は、年間の支出の約2割を借金に頼っていますが、これについてどう思いますか』という設問に対して、

(ア)「国の借金はいずれ税金で返済しなくてはならないものだから、そのツケを先送りするのは不健全であり、1日も早く赤字を解消すべきだ(26.3%)」

(イ)「借金が続くことは不健全だが、公共サービスのカットや負担の増加は急にはできないので、徐々に赤字の解消を図ればよい(45.5%)」

という結果だった。

つまり、合わせて7割以上が「国債は(政府ではなく)国の借金」、「借金が増え続けるのは“不健全”」、「借金を清算する手段は“公共事業費カット+税金”」だと認識していたわけだ。

昭和61年といえば、円高不況により一時的に成長率が落ち込んだものの、その前後の年は実質成長率が6%を超え、同年12月に端を発するバブル景気の暁光が差し込み始め、いまから振り返ると涎が垂れるほど経済が絶好調だった時期だ。
【参照先】https://honkawa2.sakura.ne.jp/4400.html

歳入に占める国債割合も2割ほどとまったく問題なく、日本製品が海外市場を席捲しはじめ、日本の経済大国たる地位もより強固となり、国民全体が、まさに隆々たる未来を疑うこともなかった。

にもかかわらず、多くの国民が、国債を国の借金と嫌悪し、国債発行に頼ることを不健全だと心配していたというのだから呆れ果てるしかない。

もし、バブル崩壊と20年不況を経た今、同じ調査をしたら、(ア)の回答が8割、(イ)が2割くらいに増えるだろう。

筆者みたいに聖域ないバラマキを唱える意見は皆無に近く、異物やキチガイ扱いされるのがオチで端から回答の選択肢にも入れてもらえない。

日本人の借金恐怖症は遺伝子レベルの先天性の病で、もはや手の施しようがない。

かような環境下で、「貨幣が負債だ」とか、「貨幣を駆動させるのは税制だ」なんて言おうものならトンデモナイことになる。

“借金コワい病”に侵された国民は、「ヤバいよ。国債だけじゃなく、お金も国の負債なんだってよ」、「日本は純債権国だから安心だなんて言ってた奴がいたけど、あんなのウソッぱちじゃん」、「お金が負債ってことは、借金なんだろ? いったい、いまいくら発行されてんだ… こりゃ、大増税確定やね」云々と狼狽し、消費税増税やむなしだの、国は無駄遣いをヤメロだの、公務員を減らせだの、年寄りは病院に行くなだの、と見境なく他人に八つ当たりし始めるに違いない。

質の悪い貨幣負債論や租税貨幣論を吹聴することは、図らずも、緊縮財政派やアナーキストの連中に手を貸し、彼らの壊国運動をアシストすることになる。

『貨幣負債論こそ国の借金問題の解決策だ』とのご意見もあるが、逆に、“国の借金問題”という多くの国民が誤解したままの妄想をさらに深刻化させるだけだ。

貨幣負債論者が、どういうイメージで「負債」という言葉を使っているのか、いまひとつ判然としない。(彼らも明確に定義できないようだが…)

おおよそ市井の人々にとって「負債→借金や債務の類い→負のイメージ」がこびりついており、それ以上でも以下でもない。

景気回復を求め、収入UPを願う国民に対して、「お金そのものが負債なのだから、お金を増やそうと思ったら負債を増やすしかないよ」というわけのわからぬ説明をしても、納得する者はおるまい。

「お金が負債なら、お金が増えるだけオレたちが払う税金も増えるんだろ? もうお金を使えないじゃん(# ゚Д゚)」と逆ギレされて終了だ。

「負債にも色々ある。金利の無い負債、利息だけ返せる時に返せば良い負債、返してはダメな負債等々すべて悪ではない。お金は良い負債だ」という方便も拙い。

申し訳ないが、どう言い繕っても、負債は負債(返済や弁済義務を伴う債務)でしかなく、色々もクソもない。

それらはすべて“国債”の増大を擁護する言葉であって、負債ではない貨幣の性質を説明するものではない。

“返さなくてもよい負債、返してはダメな負債”にいたっては、もはや負債とは呼べない。
アルコールが入ってない飲み物をお酒とは言えない、あるいは、水が苦手な魚を魚類に分類できないのと同じこと。

返済義務がなくワンウェイで行ったきりのものは、「資産」か「収益」と呼ぶべきだ。

子供でも解かるだろうが、貨幣を負債呼ばわりしてしまうと、国民に対して「国の借金が増えるのは当然だろっ!」と強弁できなくなる。

国民が国債の累積に怯えるのは、その返済のために巨額の税を課されるリスクを恐れるからだ。

これまで積極財政派は、「国債は政府の債務であって国民にとっては資産」、「通貨発行権を有する国家において、自国通貨建て債務の返済能力は無限大(=国債償還財源は永続的に確保済み)」と主張し、国債増発を擁護してきたが、日銀券(紙幣)や政府紙幣(硬貨)といった貨幣を負債と言い張るのは、長年の持論に大穴を開ける自殺行為に等しい。

国債増大→財政破綻懸念→増税というリスクを恐れる国民に対して、「政府債務たる国債の償還財源は、貨幣、つまり政府や日銀の負債なんですよ」なんて説明した日には、「お前たちの詭弁はもういいよ(# ゚Д゚) 借金を負債で返すのか? どれだけオレ達に税金を払わせる気かっ‼」と激怒されゲームセットだろう。

また、「国家の債務は永久に増え続けるもの」という言い訳も効かない。

“貨幣は政府が無限に発行できる国民の資産”と説明できるならまだしも、“貨幣は負債ですよ ┐(´д`)┌ヤレヤレ”なんてふんぞり返っていたら、国民は、「国債は増え続けてもいいなんて本当に大丈夫なの? お金も負債だっていうし、最後になって、やっぱり税金で払えなんて言われたら怖いよね。いったい誰が責任を取るの?」と疑心暗鬼になるだけだ。

無限の負債拡大を容認するのなら、それを十二分にカバーし得るだけの無限の資産があること、つまり、貨幣が国民共有の資産や財産であることを明示し、国民が臆することなくカネを使えるよう安心材料を与えてやらねばなるまい。

貨幣負債論者が好んで使う、古代メソポタミアの楔形文字でツケ払いや貸し借りの記録が残っていた、太古の昔から人類は他者を信用し債権債務の記録を帳簿につけていた、お金は借用書であり帳簿に負債を記録することで発生するという主張も、少々飛躍しすぎだ。

メソポタミア人の石板に記されたツケ払い帳は、単に古代人にもツケ払いの慣習があったかもしれない、それらを清算するために貨幣を使っていたかもしれない、というだけのことで貨幣=負債を証明するエビデンスには程遠い。

メソポタミアでは、銀が秤量貨幣として流通し、銀1ギン(約8.3g)=大麦1グル(約300㍑)との公定比率も決まっていたらしい。

それこそ当時は、王が貨幣発行によるシニョリッジ(発行益)を独占していたはずで、銀の確保量分だけ収益が生まれるから、貨幣は負債ではなく王に富をもたらす収益や資産だったから、わざわざ帳簿に負債を記録する手間をかけずとも王の職権で自由に発行できる。

負債の中からしか貨幣が生まれないというのは、国家の通貨発行権を無視した国債呪縛論であり、そう信じる者は硬貨の使用を拒否すべきだろう。

帳簿に記録された負債云々は、あくまで債権債務の発生→清算の過程を記すものであり、貨幣の負債性を証明する材料にはならない。

「へぇ~ メソポタミア人も飲み代をツケ払いしてたんだ(棒) むかしの人も乾杯は、“とりあえずビールで”ってやってたんかいな?」という程度のことだ。

前から気になっていたが、貨幣負債論者は貨幣に負債性という重荷を課すなど、どうも、貨幣の使用にアンカーをつけたがるというか、貨幣の乱用やバラマキを忌み嫌っている。

彼らが政府による国債発行無限論を唱えつつも、なぜか中央銀行の独立性にこだわり、ベーシックインカムや給付金を毛嫌いするのは、やはり、心の奥底で貨幣価値の毀損を恐れ、財出拡大による高インフレへの警戒感を隠せないからだろう。

貨幣負債論者の発想は、どうも「公共事業か、給付金か」「公共事業>給付金」という二者択一論から抜け出せないように見える。

それは、“労働行為を伴う公共事業は善”、“怠け者への施しでしかない給付金は不労所得”という発想と、“貨幣の根源は負債であり、負債である以上、発行量には自ずと限界がある”という呪縛から逃れられないせいだろう。

だが、そうした自縄自縛的な思想は、財政拡大論から積極性を奪い、財出すべき分野のバリエーションを狭め、福祉政策の拡充や貧困救済を訴える層の支持を失い、ただでさえ少数民族にすぎない積極財政派界隈で上下左右の対立を煽ってしまう。

“給付金=貯蓄に回るだけで無意味”という主張は、あまりにも一面的すぎる。

給付金が消費に回らなかった原因は、それが一過性かつ少額だったからで、長期かつ継続的に十分な額を支給すれば、それを受け取った国民も安心して消費に回せるはず。

少量ワンショットではなく、人々の警戒心を解くよう大量かつ継続的に支給すればよい。

そうすれば受け取った給付金は消費に回り、二次的に供給サイドの労働行為を刺激するから、貨幣負債論者も異存はあるまい。

たとえ給付金が、一時、貯蓄に回されたとしても、経済が十分に活性化されれば、貯蓄→融資→投資・消費というルートを通じて実体経済に戻ってくるのだから、いちいち目くじらを立てることもなかろう。

「公共事業か、給付金か」の二択にこだわらず、両方とも納得のいくまでやればよい。

給付金が貯蓄されるのを忌み嫌うのではなく、貯蓄という仮眠室に入った給付金を叩き起こして働かせるよう、公共事業や給付金の量を大幅に増やし、経済を強烈に刺激すればよい。

貨幣(お金)という国民共有の資産や収益を活用し、実体経済に熱を与えることこそが重要なのだ。

貨幣に負債という重荷を背負わせるのは、何の意味もないどころか、緊縮派の馬鹿どもに花を持たせるに等しい愚行でしかない。