NHKの受信料制度に対する国民の不平・不満は年々高まっているように思う。

地上波のみで年額14,000円、BSセットで同24,000円という金額を税と同様に強制徴収されるのは、30年不況に苛まれる国民にとって経済的な痛手となっている。

サブスクで人気の高いネットフリックス(月額1,490円)やHulu(同1,026円)と比べて、コンテンツの脆弱さやオンデマンド性の無さなどを考慮すれば、NHKの料金はあまりにも高すぎる。

そもそも、受信機を保有しているというだけで、興味もなく視る必要のないコンテンツを強制的に契約させられ、半ば税金並みの取り立てに合う、といういまの放送法は、法律として合理的な根拠に乏しく、早急に改正すべきだ。

朝日新聞の世論調査(2020年)では、NHKの受信料に対して、「高い」63%、「妥当だ」28%、「安い」2%という結果で、現行の受信料は妥当性を欠いているというのが大半の国民の意見だ。

また、少々古いデータだが、J-CASTニュースの調査(2015年)によると、「NHKをどうすべきか?」という質問に対して、「登録制にして放送を見る人だけから徴収すべき」という回答が全体の68.5%を最大を占め、次いで多かったのが「税金として国民全員から徴収すべき」の12.3%だった。

こうした世論の圧力に危機感を覚えたのか、最近のNHKは受信料を雀の涙程度の受信料引き下げを行う一方で、ネット配信に進出してネット利用者からの受信料徴収を目論むなど、硬軟織り交ぜ受信料徴収に躍起になっている。

だが、NHKがどう足掻いても、現行の受信料制度が維持強化される望みは薄い。

連続テレビ小説や大河ドラマ、朝夕晩のNHKニュースを惰性で視ている高齢者層はともかく、NHKはおろかTV番組そのものに興味がない若者や中年層が増え続けており、TVというコンテンツ自体のオワコン化を止めるのはもはや不可能な情勢だ。

NHK放送文化研究所のまとめによると、TVを視る人の割合(平日)は、
1995年:92.1%
2005年:90.1%
2015年:85.2%
2020年:78.7%
と順調に減っている。

1995年→2020年にかけての年代別の平均視聴時間の変化を見ると、70歳以上は5時間少々とほぼ横ばいだが、60代/4.5h→3.7h、50代/2.8h→2.5h、40代/3h→1.5h、30代/2.5h→1.1h、20代/2.3h→1.3h、10代/2.2h→0.9hへと急降下している。(※数値はグラフから見た推計値)

いまだ8割近くの人がTVをつけているとは言っても、実際に腰を落ち着けてTVを視ているのは60・70代の老人ばかりで、その他は食事やスマホをいじりながら、賑やかしのために惰性でTVのスイッチを入れているだけというのが実態だろう。

国民のTVに対する依存度は疑いようもないほど低下しており、「公共放送」というNHKの金看板などまったく効力がない。

公共放送という建前に関して、NHKは次のように述べている。
「電波は国民の共有財産であるということからすると、広い意味では民放も公共性があるということになりますが、一般的には営利を目的として行う放送を民間放送、国家の強い管理下で行う放送を国営放送ということができます。これらに対して、公共放送とは営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送といえるでしょう。」
「NHKは、政府から独立して 受信料によって運営され、公共の福祉と文化の向上に寄与することを目的に設立された公共放送事業体であり、今後とも公共放送としての責任と自覚を持って、その役割を果たしていきます。」

だが、営利主義に左右されないとか、政府権力からの独立、公共の福祉と文化の向上なんて建前は、何もNHkだけに課された責任ではない。

放送法の第1条には、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」と規定されており、同条2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」との規定がある。
さらに、
第3条
「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」
第4条
「放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」
といった規定があり、民間放送局にも、公共放送を掲げるNHKとほぼ同レベルの規制が掛けられている。

つまり、“公共放送”という金看板はNHKの専売特許ではなく、広く放送事業に携わる事業者すべてに課された責任なのであり、NHKがそれを盾にして受信料制度という既得権益を主張する論拠は既に崩壊している。

我が国では、いまだにNHK受信料制度の改廃論議や、NHK自体の解体を議論すること自体がタブー視され、政治の場でも、報道の場でも、そうした議論の種火すら起きる気配がない。

だが、海外では一足先にそうした議論が起きているようだ。

『英文化相、BBCの受信料制度廃止を示唆』
https://news.yahoo.co.jp/articles/99816ef4af976a97c988ebb37b83be6df3121ec9
「英政府のデジタル・文化・メディア・スポーツ相は16日、BBCの視聴契約料(受信料に相当)について次回の発表が最後になるとツイートした。「素晴らしいイギリスのコンテンツ」を売るための新しい方法を話し合う時期だとして、受信料制度にもとづく公共放送のあり方を大きく変更する方針を示唆した。文化相の発言に加えて一部の未確認報道によると、ボリス・ジョンソン政権は年間159ポンド(約2万5000円)の受信料を今後2年間、凍結する方針という。
ナディーン・ドリス文化相はツイッターで、「これが受信料に関する最後の発表になる。(受信料不払いを理由に)高齢者が刑務所行きだと脅されたり、執行人が扉をたたいたりする日々はもう終わりだ」として、「素晴らしいイギリスのコンテンツに予算をつけて支援して、販売するための、新しい方法を話し合い議論するべき時だ」と書いた。(略)
政府関係者も、受信料をめぐるBBCと政府の交渉が継続していることを、今回あらためて認めている。政府筋によると、文化相は、国民が経済的に圧迫されていると理解しているため、今回の発言をしたのだという。低所得世帯や年金生活者にとってBBC受信料の支払いは「重大な負担」で、放送行政を所管する文化相にとって受信料は直接影響を及ぼせるものなので、ドリス氏はそこにテコ入れをしようとしているのだという。(略)
昨年9月に文化相に就任したドリス氏は、BBCは存続すべきだが、米ネットフリックスや米アマゾン・プライムなどの動画配信大手と競合できるようになる必要があると話していた。昨年10月の保守党大会でドリス氏は、BBCが「集団思考」に陥っており、イギリス全体を代表するからには「本格的な変化」が必要だと述べていた。(略)
ドリス文化相はBBCの存在に反対しているわけではない。しかし、テレビ受信機を設置している全世帯の受信料支払い義務に、今や正式に反対している。この制度は特に高齢者など、社会的弱者に刑事罰を与えかねないものだというのが、ドリス氏の主張だ。(略)」

政府首脳から、公共放送の受信料制度にメスを入れる発言が堂々となされることを心底羨ましく思う。
日本の政治家にとってNHKは腫れ物扱いで、N国党以外にNHKや受信料制度の在り方に疑問を呈する意見を吐く者はほとんど見かけないが、英国では現職のメディア担当大臣がBBCの受信料制度の凍結や廃止を正面切って訴えている。

同じ島国の先進国とはいえ、かの国との政治意識の差異に愕然とさせられる。

いまやネット上ではNHKの受信料制度に対する強い反発が沸き起こり、放送のスクランブル化を推す意見が多数を占めるだけでなく、不偏不党や政治的公平性を著しく欠くNHKの報道に怒り、NHKの解体を訴える意見も目立つ。

本来なら、国民のこうした意見を政治家が汲み取り、国会の場でNHKに対して強く改善を求めるべきだが、与野党を見渡しても腰抜けばかりで、スクランブル化どころか“N”の字すら出てこない。

筆者はNHK解体を支持する立場だが、一足飛びにそこまで行かずとも、最低限スクランブル化に踏み切るべきだろう。

そもそも、国が特定の放送局の運営資金徴収を法で保護する必要などない。

NHKを法の保護から外して民営化を促し、民放の連中と競争させればよい。

いまでも、NHKの幹部や職員は、紅白や大河ドラマ、連続テレビ小説の視聴率が●%だ~と騒いでいるのだから、民放との視聴率競争に興味津々&やる気満々なんだろう。

それなら、古臭い“公共放送”の看板を外してやり、一放送局として民営化してあげた方が、彼らにとってもコンテンツ制作の自由度が増し、表現手法も多様化するメリットがあるのではないか。

もはやNHKを甘やかす必要はない。
彼らを野に放ち、ネットやサブスク放送、民放との激烈な競争が待つレッドオーシャンに叩き込むべきだ。