“国債の償還財源は必ず税でなければならない”

これは財政政策を忌み嫌う造成緊縮派の脳内では“絶対真理”と化しているようだが、生産力や流通網が高度に発達した21世紀の現代社会においては、もはや時代遅れも甚だしいポンコツ論でしかない。

税が無ければ国家運営が成り立たないという発想は、貧弱な生産力と脆弱な法規範しか持ちえない原始社会なら通用したかもしれないが、税の役割が小さくなり、税という存在自体が、経済の原動力となる消費や投資を痛めつける毒薬でしかなくなった今、税を徴収してその範囲内で国家運営に必要な歳出を為すという考え方は、国家の成長と国民生活の向上を妨げる拘束具として全否定されて然るべきだろう。

『国債をGDPの1000%発行すると何が起こるか(アーカイブ記事)』(池田信夫)
https://agora-web.jp/archives/2038699.html
「政府は55.7兆円の補正予算案を出す方針だ。これについて浜田宏一氏はMMTに改宗して「国の借金はGDP比1000%になっても大丈夫」という。これはナンセンスだが、会計的には間違っていない。2019年4月28日の記事に補足して再掲する。(略)
ヘリマネはMMTのいう「法定通貨による国債引き受け」だが、これには「ハイパーインフレが起こる」という批判がある。MMTも「デフレのときは大丈夫だが、完全雇用になるとインフレが起こる」というが、これはおかしい。
FTPLで考えると、物価は
物価水準=名目政府債務/実質政府資産(*)
で決まる。
国債をすべて日銀が引き受けると、政府債務(国債)を日銀当座預金(日銀の債務)に置き換えるだけなので、政府と日銀を合計した統合政府では名目政府債務(純債務)は変わらない。
この式は均衡状態なので、MMTのように不完全雇用を前提としていない。完全雇用になっても日銀引き受けで名目政府債務は変わらないので、(*)式の左辺の物価水準は変わらず、インフレは起こらない――というのがFTPLの考え方である。
それは誤りだとブイターは指摘する。通常の政府債務は、最終的には増税で返済することが原則なので、財政赤字が増えると将来の税負担が増えるリカードの中立命題で、将来世代の消費が減る。
したがって政府債務がGDPの1000%になって日銀が引き受けても、それが将来償還されるなら、名目政府債務(*式の右辺の分子)は変わらないので、インフレにもデフレにもならない。
しかし日銀が「今回引き受けた国債は償還を求めない」と宣言してマネタイズ(国債を日銀券に換える)すると、将来の税収は減る。これは統合政府の資産(右辺の分母)を減らすので、左辺が増えてインフレになる。これがヘリマネの効果である。
だから問題は、財政ファイナンスが将来の税収に及ぼす影響である。マネタイズして増税がなくなるなら、政治家は無限に政府債務を膨張させ、投資家もそれを予想して国債を売り、金利(*式ではゼロと仮定している)が上がるリスクがある。
逆にいうと政府債務がいくら積み上がっても、それがすべて税で償還されると投資家が信じている限りゼロ金利が続き、国債が暴落することはない。これがシムズのいうハイパーリカーディアンな状態である。(略)
しかし政府への信頼が失われると、金利が上がって国債が暴落するリスクが大きい。これが財政ファイナンスが禁忌とされる理由である。(略)
財務省はプライマリーバランスの黒字化を目標にしているが、これは需要不足の時代には意味がない。政府債務の維持に必要なのは政府への信頼であり、それは今のところ過剰に満たされている。長期停滞の時代に必要なのは、中央銀行の独立性ではなく政府と日銀の協調である。政府債務をコントロールする独立行政委員会のような制度設計を考える必要があろう。」

池田氏のコラムを読むと、
「黒田総裁はヘリマネを一貫して否定しているが、法的には不可能ではない。財政法では国債の日銀引き受けを禁じているが、日銀の中に政府の特別口座をもうけて、政府債務に対応する現金を振り込めばいい」
「政府債務を「帳消しにする」というのはデフォルトではなく、日銀が「国債は永久に保有する」と宣言して帳簿から消せばいい。政府と日銀のバランスシートを統合して考えると、政府債務は日銀の資産と相殺できる」
「PSBSの会計基準で日本政府の「金融資産」に日銀の保有する国債を算入し、日本政府の純資産をGDPの-5.8%と推定した。ヘリコプターを飛ばさなくても、会計基準をPSBS方式に変更するだけで政府債務はほぼゼロになる」(以上は、(略)の個所に含まれる)
「政府債務がGDPの1000%(約5000兆円)になって日銀が引き受けても、それが将来償還されるなら、名目政府債務は変わらないので、インフレにもデフレにもならない」
「財務省はプライマリーバランスの黒字化を目標にしているが、これは需要不足の時代には意味がない」
といった記述が見られる。

これは日銀による国債直受けの可能性を論じ、日銀保有国債の債務性を否定し、日本は実質的に借金大国ではないことを認め、国債の累積がインフレの起爆剤となることを否定したものだ。

ここまで論じるのなら、素直に積極財政論に頭を垂れればよいのに、長年増税緊縮派の論客として日本財政破綻論やハイパーインフレ到来を騙ってきた自負やプライドがそれを許さないのか、本稿では「政府債務がいくら積み上がっても、それがすべて税で償還されると投資家が信じている限りゼロ金利が続き、国債が暴落することはない。だが、政府への信頼が失われると金利が上がって国債が暴落するリスクが大きい。これが財政ファイナンスが禁忌とされる理由だ!」と最後の抵抗を試みている。

彼は「通常の政府債務は、最終的には増税で返済することが原則なので、財政赤字が増えると将来の税負担が増える」というリカードのポンコツ命題を持ち出し、国債償還のキャパが税収を上回ると国債暴落と金利暴騰によるハイパーインフレが起きる!と訴えている。

だが、そもそも国債の償還財源は税ではない。
国債の償還財源は「別に発行する国債」や「政府紙幣」であるというのが、経済基本や常識を弁えた者の正答である。

税は、経済の主力プレイヤーたる民間経済、この世に付加価値を生み出す国民や企業に対して、経済活動の血流となる貨幣を差し出せと命じる懲罰であり、謂わば経済活動を弱体化させる麻酔や毒薬なのだ。

普通に考えれば、1000兆円もの国債を徴税・増税で償還するなんて、とても正気の沙汰とは思えない。
無垢な小学生に尋ねれば、間違いなく100人中100人が、「そんなのムリ!」と答えるだろう。

ほんの60兆円程度の税収で、1000兆円もの債務を償還するなんて、それを額面通りに受け取れば、誰もが不可能と判断するはずであり、「政府債務がいくら積み上がっても、それがすべて税で償還されると投資家が信じている限りゼロ金利が続き、国債が暴落することはない」という池田氏の妄想が真実ならば、とうの昔に日本国債や円は大暴落し、金利は20‐30%くらいに暴騰していて然るべきだ。

だが、ここ数十年の経済史をいくら捲り返してみても、そんなものは何一つ起きていないし、ハイパーインフレどころか、10年物国債の利回りがたったの0.05-0.06%、30年物国債が0.6-0.7%という“超低金利”だ。
20年以上もGDPの伸びが止まり、年間税収の17倍以上もの債務を抱える貧乏国家が、超破格の低金利で債券を発行できるという事実は、生き馬の目を抜く厳しい経済感覚を持つ投資家たちが、貧困国家日本・衰退国家日本の30年後の償還能力に対して何の不安抱いておらず、リスクを感じてもいないという何よりの証拠ではないか。

池田氏は、税収による国債償還能力に疑問符が付いた途端に国債や円はマーケットから見放されるみたいなこと言ってるが、事実や現実が彼の妄想を全否定している。

また、彼は、「国債をすべて日銀が引き受けると、政府債務(国債)を日銀当座預金(日銀の債務)に置き換えるだけなので、政府と日銀を合計した統合政府では名目政府債務(純債務)は変わらない((略)の部分に含まれる)」とも述べ、たとえ国債を日銀が引き受けても、それは日銀当座預金に計上されるだけだから債務であることに変わりないと主張している。

だが、日銀当座預金の対になる資産勘定には「国債」という最強の超優良資産が計上されており、それを意図的に隠して、やたらと“債務”だけを強調する彼の主張は質の悪い詭弁でしかない。

何よりも彼が勘違いしているのは、国家にとって最も大切な柱は何かという視点がズレている点だ。

彼は「政府債務の維持に必要なのは政府への信頼(だ)」と述べている。
この言葉の意味を解説すると、
・税収と債務とのバランスに注意して政府への信頼を維持せねばならない
・過剰な債務の積み上げや財政ファイナンスのような禁じ手はご法度だ
・政府債務の膨張をマーケットの信頼を逸脱しない範囲に抑え込まねばならない
ということだろう。

つまり、彼は、一見、日銀保有債務の無債務性を認めるかのような発言をしているが、根本の部分は何も変わっておらず、相変わらず国債膨張にケチをつける緊縮脳から抜け切れていないのだ。

政府債務の維持に必要なのは政府への信頼ではない。
政府債務だけでなく、日本という国家に対する信頼・信用の維持に必要不可欠なのは政府ではなく、民間経済の強靭さ、つまり国家の供給力(=国富)である。

そして、その国富を維持強化するためには、税負担を極小化し、積極財政策を以って国富に養分を供与し続ける必要があるのだ。