『依然遠い「コロナ前」水準 宿泊・飲食、ワクチンに希望 日銀短観〔深層探訪〕』


https://news.yahoo.co.jp/articles/80ff3b310f479ca6e7e397a5f36ad8024913d3aa?tokyo2020
「日銀が1日公表した6月の全国企業短期経済観測調査(短観)で、大企業非製造業の業況判断指数(DI)は1年3カ月ぶりにプラス圏へ浮上した。新型コロナウイルスワクチンの接種が進み、宿泊・飲食など対面型サービス業にも希望が見えてきた格好だが、「コロナ前」の水準には依然遠く及ばない。米国と中国の景気回復による原材料価格の高騰に加え、東京五輪に伴う感染再拡大の懸念もあり、先行きは不透明だ。(略)」

先に公表された日銀短観の調査結果を多くのマスコミは「経済は回復基調にある」と報じたが、彼らの認識は甘すぎる。


「大企業非製造業の業況判断指数(DI)は1年3カ月ぶりにプラス圏へ浮上した」とは言っても、3月調査の「▲1%Pt」が「1%Pt」に“上昇”したというだけの話で、個別業種に見ていくと「宿泊・飲食」▲74Pt、「対個人サービス」▲31%Pt、「小売」2%Ptと相変わらず絶不調だし、巣ごもり消費やネット通販需要で好調なはずの「運輸・郵便」ですら▲10%Ptという体たらくだ。

全産業ベースでも、
大企業:最近8%Pt/先行き8%Pt
中堅企業:最近▲3%PT/先行き▲5%Pt
中小企業:最近▲8%PT/先行き▲10%Pt
と回復の兆しなどまったく見えていない。

日本経済は一部産業で外需の恩恵を受けているものの、全般的に見れば相変わらず「災害級の大雨」の只中にあるというのが現実だ。
それを証拠に、大手企業では昨冬のボーナス支給額が対前年比▲9.02%と惨敗したのに続き、今夏も▲7.28%と大惨敗を喫しているではないか。

かような惨状にもかかわらず、コロナ対策の補正予算に対して「大盤振る舞い」だの「バラマキ」だのと批判する声が後を絶たない。
”消費増税+社保負担増+コロナ禍”の三連コンボによる経済禍がもたらした大損害の傷が癒えぬうちから、財務省や緊縮脳の連中はアフターコロナを見据えた歳出引き締めと増税強化を虎視眈々と狙っている。

財政審議会の分科会では、下記のとおり、早くも歳出削減や増税強化を求める意見が飛び交っている。
【令和3年4月7日、15日分科会議事要旨より】
「コロナ下においても、高齢化社会を前に、財政健全化の本丸である社会保障改革をきちんと進めるべき」
「負担と給付のバランスを回復することは重要。まさに「入るを量りて出ずるを制する」の考え方が重要」
「国民にとって医療費の負担という観点では公費も保険料も同じであり、社会保障給付費の規律を導入することが必要」
「コロナ関係については、第3次補正を含めて大規模な対応を行っており、国民にきちんと支援していることが伝わるような見せ方が必要。同時に、平時の財政再建が重要ということを、国民と広く共有することも大切」
「リーマン時と比べると、生産年齢人口や企業業績等、当時と違う部分もあり、冷静に状況を見極めながら、危機モードからの脱却に向かっていくべき」
「PB黒字化の旗を降ろすべきではない。財政健全化に関し、税収を見通すのは難しいため、歳出の抑制に軸を置いて、目標達成を目指すべき」
「過去に財政再建に成功した国は、1成長、2歳出改革、3増税を三位一体で行っていた。歳出改革の目安は一定効果があったことを踏まえ、引き続き、地道な歳出改革と目安の設定が必要」

さすがに増税強化を前面に出す意見こそ少ないものの、財政健全化だの、社会保障改革だの、負担と給付のバランスだの、危機モードからの脱却だのと歳出抑制に向け、かなりハイプレッシャーな緊縮圧力を掛けようと必死の形相だ。

緊縮脳な連中はもはや狂人で、世の経済状態を顧みることなく、歳出抑制と増税強化こそ崇高な至上命題だと固く信じて疑おうともしない。
たとえ世界大恐慌並みの大寒波が日本経済を襲ったとしても、彼らは「財政健全化は神命だ!伸びんがために縮むんです!」、「落ち込んだ税収補填のために更なる消費増税が必要だ~」、「お荷物の中小零細企業を淘汰するチャンスだ~」と小躍りするだろう。

案の定、アフターコロナを見据えた増税議論に火がつかない現状に業を煮やす緊縮脳もいる。

『コロナで財政悪化の一途…衆院選控え、日本の増税議論は停滞』
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/753977/
「コロナ禍で悪化した財政の立て直しに向けた議論が進まない。米国や英国が大型経済対策と法人税率引き上げなどをセットで打ち出し、財源確保に動いているのとは対照的だ。近づく衆院選をにらみ負担増の議論を避ける政府、与党に、専門家は「逃げずに速やかに議論を始めるべきだ」と苦言を呈す。(略)
一方で日本政府の動きは鈍い。20年度の新規国債発行額は112兆円と過去最大だった09年度の2倍超。21年度当初予算も過去最大の106兆円に上るが、いずれ迫られる借金返済の手だては棚上げ状態だ。1日の国会審議では、野党議員が米国の税制改革案を引き合いに「何か取り入れないか」と迫ったが、菅義偉首相は「経済社会の情勢の変化を丁寧に見極めた上で検討していきたい」と述べただけだった。(略)
ただ、こうした経済構造は政治が財源論を先送りする口実に使われてきた。佐藤主光一橋大教授(財政学)は「財政出動と財源確保をセットで考える出口戦略の議論から逃げてはいけない」と指摘。具体例として金融所得課税の強化や炭素税の本格導入を挙げ「経済回復のシナリオを複数想定した上で、それに必要な歳入改革の計画を立てるべきだ」と提案する。」

頭の悪い緊縮脳たちは、「歳出カット=国民や企業に渡すカネを減らせ!」、「財源確保=増税だ!」と国民や企業という経済主体からカネを召し上げることしか考えていない。


彼らの脳内には「聖域なく歳出カットと永遠の増税」という悪夢と悪意が満ちており、彼らが政・官・学・報の中枢に陣取っている限り、緊縮思想という猛毒は将来にわたり日本経済を蝕み続けるだろう。

こうした危険な猛毒を除染し駆逐するには、積極財政派を自認する論者たる者、彼らの二~三層倍に値する威力で「聖域なくバラマキ」や「国民所得倍増」を訴える熱量が欠かせない。

積極財政派がここ30年もの間、常に緊縮脳の後塵を拝してきた原因は、
・声の大きさと持説を訴える熱量やしつこさ
・手段の清濁に拘らぬ狡猾さ
・議論のボールを遠くに投げる意志の強さ
・たとえ国民に負担を与える内容であっても、常に先行して大胆な提案をぶち上げる行動力
といった項目で、すべて彼らに惨敗を喫してきたからに他ならない。

何度論破されも平然と持論こそ正義だと言い募る厚顔さや、民の苦境など一顧だにせず歳出カットや増税を推進しようとする傲慢さ、減税を求める民衆を前にして消費税率を15~20%に引き上げろと議論を扇動する突破力…。

積極財政派は、いつも緊縮主義者の行動力や提案に振り回され、彼らの後手に廻されてきた。

BI嫌悪症を発症し、お行儀のよい正論に拘る一部の反緊縮派のお坊ちゃん連中など、狡猾な緊縮脳にとっては青臭い中学生に底浅な議論を吹っ掛けられた程度でしかなく、端から相手にすらされていない。

反緊縮派のお坊ちゃんと言えば、最近自ブログでこんなことを述べていた。
「反緊縮という政治運動は、言葉通りに意味を捉えるなら「必要な分の支出すら削減・抑制する緊縮財政に反対する」という意味であり、無制限の財政支出を要求するような意味にはなりません。
しかし、一部の反緊縮派は、あたかも“無制限の財政支出を要求している”かのように発言し、緊縮派のみならず、何も知らない“一般的な”ノンポリ層にまで懐疑的に見られてしまっています。
その懐疑的にみられる要因には、確かに“国の借金デマ”に騙されてしまっている、ということもあるでしょう。
しかし、本当にそれだけでしょうか?
本来、必要な支出を要求するだけの政治運動であるはずの反緊縮運動が、“無制限財政支出要求運動”として世間に認知されてしまうことで、国の借金デマ云々関係なく、一般ノンポリ層に本能的な不安を抱かせてしまってはいないでしょうか?」

彼は、『反緊縮運動=必要な支出を要求するだけの政治運動』と強調しているが、その”必要な支出”とやらが、いったいどのくらいなのか具体的に示してもらいたい。
彼らがどの程度の予算を要求するのか見ものだが、そんなものは緊縮脳の連中の手に掛かれば、滅多切りにされ、たちまち1/10以下に減らされた挙句、その分の支出を賄うのに他の予算を減らせと恫喝されてすごすご引き下がるのが目に見えている。

強欲かつ傲慢な緊縮脳の連中に対して、お行儀よく”必要な支出だけ要求させていただきます”なんて遠慮してたら、寝首を掻っ切られて即終了だ。

こちらサイドから高い要求をぶち上げ、極財政策マターで議論を進めねばならないのに、緊縮脳に主導権を渡したまま彼らに首を垂れて申し入れするかのような態度で、反緊縮派の要求が通ると思うのは、あまりにも素人臭いというか、ただの甘ちゃんだろう。

「“無制限財政支出要求運動”として世間に認知されてしまうことで、国の借金デマ云々関係なく、一般ノンポリ層に本能的な不安を抱かせてしまってはいないでしょうか?」なんて青臭いことを言ってるから、いつまで経っても緊縮脳の連中に舐められっぱなしなのだ。

「私たちは過大な要求はしません。国民に不信を抱かれぬよう現実的な線で要求します」と正論をぶったつもりだろうが、そんな軟な態度では、” 国の借金デマ”という強固な岩盤の一かけらすら砕くことは叶うまい。

だいたい「ノンポリ」なんて全共闘時代を思わせる時代遅れの言葉を使ったり、「反緊縮派」といった負け確定のゲリラやパルチザンみたいな呼称を使うこと自体、失笑を禁じ得ない。

多少の衰えが目立つとはいえ、経済思想の覇権はまだまだ緊縮主義者の連中が握っている。
彼らから経済思想の主導権を奪い、政策のパラダイムシフトを実現させるためには、積極財政派サイドから、大胆過ぎるくらいの経済再興プランをぶち上げ、議論のボールを大遠投し続けて議論をリードせねばなるまい。

我が国に山積する諸課題や諸問題解決に向けた歳出大幅拡大策、たとえば、消費税廃止や社保料の全額国庫負担、BI導入、地方交付税大幅増、超長期インフラ投資計画、防衛予算対GDP比2%への引き上げ、科研費倍増等々、議論すべき費目は枚挙に暇がないのに、そうした主体的行動に対して、 “無制限財政支出要求運動”だと下らぬレッテル貼りをして悦に入るアホには冷笑を送るしかない。