民主党の政権発足以来、常に成長戦略がないとの批判を受けてきたが、ようやく昨年末に経済成長戦略が発表された。


 相変わらず財源が不明朗で、環境や健康・アジア・観光など流行り物的な浮ついたキーワードが並べられているのがいかにも民主党らしいが、名目成長率の向上を掲げたことは評価したい。名目成長率の目標が年率3%で10年後に650兆円というのは、正直低すぎると思うが、名目成長率の向上を意図的に回避して実質成長率に逃げ続けてきた、ここ10年余りの流れを考えると、デフレ脱却への明確な決意表明ともいえる。


 20年の長きにわたり名目GDPは500兆円近辺を行ったり来たりで、いわば成長する努力を怠ってきた日本経済を再び成長軌道に乗せることは、厳しい雇用環境や地方の疲弊状況を見れば、まさに喫緊の課題である。


 国民の中には、少子高齢化構造にある日本の成長の可能性を端から諦めてしまい、衰退するにまかせるしかないと考えている者も多い。縮こまっていく洋服に身体のサイズを合わせるしかないという思考に染まってしまっているため、不幸な現実が目の前にあってもそれを何とかしようと考えず、台風が過ぎ去るのを家の中でじっとこらえるように、ひたすらその現実を受け入れようとする。


 だが、デフレに苛まれた経済は、天候や季節の変化と違ってじっとしていれば自然に過ぎ去ってくれるものではない。アメリカや新興諸国などの外需による一時的な回復はあるだろうが、GDPに占める外需の割合から国内経済への好影響は極めて限定的であろう。デフレを乗り越えるには、高度化した供給力に応えうるだけの果敢な需要の創出が欠かせない。つまり、大規模かつ長期にわたる財政支出やそれをカバーする(急激なインフレ対策としても)金融緩和が必要になる。日本国債(日本国“債務”ではなく“債券”であることに注意)の所有構成などを勘案すれば、財政規律云々など寝言の類にすぎず、経済成長のために思い切った財政支出を続けることこそがまっとうな方針だろう。


 最近では、新聞などの論説にもちらほらと財政支出を支持する(いやいやながらのものも多いが)意見も出てはいるが、判で押したように環境や介護・農業・エネルギーなどの“成長分野”に“集中的”に投資すべしという教科書的な意見になっている。成長分野のインフラ整備や介護従事者の給与水準UPのための支出であれば異論はないが、こういった分野の技術力向上を目指した投資という意味合いであれば疑問を感じる。太陽光発電や燃料電池など技術的なブレークスルーが必要な分野があることは認めるが、成長分野と呼ばれる分野でも、技術的には現状でもそこそこ高度な域に達している。つまり、技術的な不足があるために需要が生まれていないわけではなく、単に需要サイドにお金がないために売れていないだけという製品やサービスの方が多いのだ。


 中小企業の経営者によくある“良いものを作れば売れる”という幻想に囚われていると、こういった点を見落としてしまう。良いものだから売れるのではなく、需要サイドに資金的な余裕があるからたまたま売れているというのが現実なのだ。


 ニューエコノミーの隆盛が経済をけん引するという美しい絵を描くことばかり考えていると失敗する。ニューエコノミーの買い手(需要家)となるオールドエコノミーへ(建設・土木・食品など)の投資を行うことこそニューエコノミー勃興の近道になる。


 画家を美術学校に通わせる資金を提供するよりも、その画家が描いた絵を買い続けてやる方が、画家にとっても幸せだろう。