こんにちは、コブタです。

 

 

アメブロが、

去年の今頃にアップしたブログを知らせてくれました。

寒い朝の、小さなおたのしみ♪ | だって忘れちゃったんだもん♪ (ameblo.jp)

 

読んでみたら、

そのころのことがよみがえって。

 

あの頃はまだ、

いまほど、プー子さんと一緒にいることを

幸せだと思えていなかったなぁ…と。

 

大切に思っていた勉強会など、

たくさんのものを諦めて、諦めきれずに、

悔しかったり悲しかったりという思いが

強くあったころです。

幸せと不幸せとの境目 | だって忘れちゃったんだもん♪ (ameblo.jp)

 

プー子さんも、

自分はどうなっているんだろう、

これからどうなってしまうんだろう…と、

不安を訴えることが多くありました。

 

初めて出会うそれらの一つ一つが、

切なく、苦しくて。

 

それから一年。

 

プー子さんはいまでも、

不安を訴えることもあります。

 

自分の頭がどうかなっていく…という

底知れない恐怖や不安は、

拭えるものではありません。

 

でも、

安心できる毎日のルーティンや、

こうすればプー子さんが楽しくなる、

というものがあるので、

 

比較的短時間で

そこから抜けることができています。

 

こちらも少しは慣れて、

寄り添いながらも

必要以上に共感してしまわない、

ちょうどいいところを探るのが、

ちょっとはうまくなっているかもしれません。

 

コブタにしたって、

いまでも、

諦めるのが辛いものは多々あります。

 

でも、何とか行きたいと

いろんなやりくりを考えてみても、

どれもかなりの無理があるのです。

 

体力的に、

無理をしたら倒れてしまうかもしれない

という感じもあって、結局は、

やっぱりこれでよかったのだ、と思います。

 

「分をわきまえる」という言葉は、

今では死語になっている感じですが、

コブタは大切に思っています。

 

これが自分の「分」なのだ、と思えば、

諦めもつくというものです。

これが「自分」にちょうどいいのだ、と。

 

それに、

行くことのできるものがあったり、

短くても楽しい時間が持てたりすると、

 

そういうときの喜びは、

以前の何倍も大きいのです。

 

 

そして。

 

最近は、

プー子さんのことがますます好きになって、

プー子さんと過ごす時間が、

どんどん楽しくなっています。

 

父親のロビンが倒れた頃、

コブタはプー子さんがめちゃくちゃ苦手でした。

近寄ってくると鳥肌が立ったくらい。

 

かなりです(;^ω^)

 

ロビンが亡くなった2年ほど後から

やむを得ず同居を始めて、

10年ちょっとが経ちます。

 

その間に、

少しずつ、少しずつ

プー子さんが嫌な度合いが減ってゆき…

 

いまではすっかり、

プー子さんが愛おしいと思えるようになっています。

 

よくここまで来たものだ…と思います。

 

でもそれはたぶん、新しいことなのではなくて、

 

心の奥にずっとあったけれど、

いろんなものに邪魔されて見えなくなっていた

自然な思いが、

 

たくさんのものが剥がれ落ちて行った後に

現れてきた、という感じなのです。

 

 

そして。

 

以前、

プー子さんを好きになれない間は、

自分自身のことも、

本当には好きになれないのだろうな、

と思っていたことを思い出し、

 

それはどうなっているだろう…

と自分の中を見てみたら、

 

やっぱり、

プー子さんを素直に好きだと思っていると、

一番自然で無理がなくいられていて、

自分のこともいつのまにか、

ごく自然に、好きだなぁ…と思えていました。

 

遅い遅い反抗期が、

やっと抜け出せたのかもしれません。

 

介護をさせてもらえて、本当によかった。

 

こんなことを思う日が来るなんて、

ちょっと驚きです。