~これまでのあらすじ~

ある日、お婆さんが、子どもたちに石をぶつけられて腰を折ってしまった雀を助けました。毎日かいがいしく世話をしていると、徐々に雀は快復し、ついには飛んで行くのでした。

それから二十日ほど経ったころ、その雀がお婆さんのもとに戻ってきてヒサゴの種を一粒落としていきました。お婆さんがその種を庭に植えてみると、大きなヒサゴが無数に実りました。とても食べきれないので、取りわけ大きな実は瓢箪にしたのですが、妙に重かったのを不思議に思いつつ口を切ってみると、ぎっしりとお米が詰まっていたのでした。

隣家に住む娘たちは、このお婆さんに比べて自分のところのお婆さんが利益をもたらさないことを不満に思って文句を言いました。娘たちに嫌味を言われたお婆さんは、詳しい話を聞きに隣のお婆さんのところに行きました。子細を知ったお婆さんは、雀を見つけると自ら石をぶつけ、雀の腰を折り、手当てをしてやるのでした。

 

「隣は一羽であんなに儲けたんだ。数が増えれば儲けも凄かろう。隣の婆さんよりも儲けて、娘たちに褒められよう」

 

と思って、庭に米を撒いて様子をうかがっていると、雀が米を食いに集まってきたので、また石を投げつけ、このようにして三羽の雀の腰を折ると、

 

「もうこれくらいでよいじゃろう」と思って、腰の折れた雀三羽を桶の中に入れ、銅を削って飲ませるなどして数ヶ月の間世話をするうちに、みな快復したので、お婆さんは喜んで外に出してみると、みなフラフラと飛んで行った。

「素晴らしいことをしたよ」と思っている。

雀は腰を折られ、こうして数ヶ月も閉じこめたお婆さんのことを非常に恨んでいた。

さて、十日ほど経つと、この雀らがやって来たので、お婆さんは喜んで、まず口に何かくわえているか見ると、それぞれ一粒ずつヒサゴの種を落として行った。

「思った通りだ」と嬉しく思ってその種を拾うと、さっそく三箇所に植えた。

普通とは違ってするすると成長して、非常に大きくなった。

しかしこのヒサゴにはそれほど多く実はならず、七、八個だけなった。

お婆さんは笑って顔をゆがめながら子どもたちに言うことには、

 

「わしのことを役立たずなんて言いおったが、これで隣の婆さんに勝ったぞ」と言うので、

 

子どもたちは「本当にそうであってほしい」と思った。

実の数が少なかったので、米をたくさん取りたかったお婆さんは、人にも食べさせず、自分でも食べない。

これに対して子どもたちが言うには、

 

「隣の婆さんは隣の里の人にも食べさせ、自分自身でも食べていたよ。まして、うちは三つの種から収穫できるのだから、自分も、人にも食べさせるべきだ」と言うので、

 

お婆さんも、「それもそうだ」と思って、近隣の人たちにも食べさせ、自分自身も、子どもにもみんなに食べさせようと思って、たっぷりと食べてみると、この世のものとは思えないほど苦かった。

まるで黄蘗の木の皮のようで、具合が悪くなってしまった。

 


 

自作自演のお婆さん、1羽では心もとなかったのか、計3羽の雀の腰を折ってしまいます。

薬を飲ませて世話をしたといっても、そもそもお婆さんに折られなければこんなことになっていなかったわけで、恩義を感じるはずがありません。

むしろ復讐心を燃やした雀は、苦くてとても食べられないヒサゴが成る種を持ってきました。

 

黄蘗きはだというのは染料にもしていたらしいのですが、またその木の皮は漢方薬の原料にも使われるのだそうで、苦いのだとか。

 

さて、次で物語はおしまいです。

 


(原文)

 

「一つが徳をだにこそ見れ、ましてあまたならばいかに頼もしからん。あの隣の女にはまさりて、子どもにほめられん」

と思ひて、この内に米撒きてうかがひゐたれば、雀どもあつまりて食ひに来たれば、又うちうちしければ、三つ打ち折りぬ。

「今はかばかりにてありなん」と思ひて腰折れたる雀三つばかり桶に取入れて、銅こそげて、食はせなどして、月ごろ経るほどに、皆よくなりにたれば、喜びて外に取り出でたれば、ふらふらと飛びてみないぬ。

「いみじきわざしつ」と思ふ。

雀は腰うち折られて、かく月ごろ籠め置きたる、よにねたしと思ひけり。
さて十日ばかりありて、此の雀ども来たれば、喜びて、まづ「口に物やくはへたる」と見るに、瓢の種を一つづつみな落としていぬ。

「さればよ」とうれしくて、取りて三所にいそぎ植ゑてけり。

例よりもするすると生ひたちて、いみじく大きになりたり。

是はいと多くもならず、七八ぞなりたる。

女、ゑみまげて見て、子どもにいふやう、

「はかばかしき事しいでずと言ひしかど、我は隣の女にはまさりなん」と言へば、

「げにさもあらなん」と思ひたり。

これは数の少なければ、米多く取らんとて、人にも食はせず、我も食はず。

子どもがいふやう、

「隣の女房は里隣の人にも食はせ、我も食ひなどこそせしか。これはまして三つが種なり。我も人にも食はせらるべきなり」

と言へば、「さも」と思ひて「近き隣の人にも食はせ、我も子どもにも、もろともに食はせん」とて、おほらかにて食ふに、苦き事物にも似ず。

黄蘗などのやうにて、心地惑ふ。

 

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