ダジャレの話の続きです。
清少納言がはなったダジャレに対し、式部丞信経が「今のはおれのアシストがよかっただけで、あなたの実力ではない」という、ある意味で現代的なことを言いました。
サッカーにせよバスケにせよ、ゴールを決めた人だけでなく、アシストをした人もちゃんと評価しますもんね。
まあ、信経はアシストしたおれを褒めろ、とは言っていませんが。
これに対し、清少納言は村上天皇の時代の例を挙げ、ダジャレの素晴らしさを語りました。
今回はそれに対する信経の言葉から始まります。
「それもまた、“時柄”という人名が言わせたものでしょう。いぬたきが凄いとは認められませんね。すべてはただ題によって、詩も和歌もすぐれたものとなるのです」と言うので、
「確かにそうですね。それでは題を出しましょう。歌をお詠みなさいな」と言った。すると、
「とても良いことだね」と言うので、
「中宮様の御前で、どうせならたくさん題をお出ししましょうよ」などと言ううちに、中宮様から帝へのお返事ができあがったので、
「ああ、怖い怖い。退散します」と言って退出してしまったので、
「とっても漢字もひらがなも下手くそに書くのを人が笑ったりするものだから、隠しているのよ」と言ったりするのも面白い。
信経が作物所の長官をしているころ、誰のもとに送ったのだろうか、何かの下絵を送ってきたのに、『これこれこのように仕立てよ』と書きつけた信経の漢字のぶざまなことといったら、この世のものとは思えぬほどなのを目にして、
「このようにっておっしゃるけれど、この字のように仕立てて差しあげたら、異様なものになるでしょうね」
と書き添えて殿上に送ったところ、それを手に取って見た人たちがひどく笑ったので、信経は大変に腹を立てて私のことを憎んでいた。
【語釈】
●作物所つくもどころ…宮中の調度品の製作を担当した部署。
信経はもともと帝の使いで来ていました。
どんな用事かは具体的に書いていませんでしたが、よくある手紙の使いだったんですね。
中宮定子が返事を書き上げるまでの時間つぶしの会話だったのです。
「いぬたき」「時柄」のエピソードも前回同様の理由で認めない信経。
とうとう清少納言も「そこまで言うならあんた、上手い和歌の一つや二つはすぐに詠めるんでしょうね?」と仕掛けます。
信経は「やってやろうじゃないか」と言わんばかりに受けて立ちますが、中宮からの返事を受け取ると嘘みたいにさっさと逃げ帰ってしまいました。
信経がいったんは受けて立ったのが、本気だったのか、あるいは最初から逃げるつもりだったけど大見得を切ったのか、どっちなんでしょうね。
清少納言も、信経の歌の実力については何も書いていないのでよく分かりません。
ただ、悪筆だったという点を貶めています。
悪筆で笑えるネタとして古くからずっと言い伝えられている伝説の誤植がこれ。
画像:2ch全AAイラスト化計画様より拝借
ゲーム雑誌に掲載された誤植で、「ハンドルを右に」という手書きの文字が汚すぎたらしく、タイピングの担当者がその悪筆を見たまま「インド人を右に」と打ったらしい。笑
忙しさの中で、毎度毎度の悪筆に腹が立ったのでしょうか。
あるいは、以前悪筆の人に字を確認したら「テメエ、俺の字が読めねえってのか!」みたいなパワハラを受けたことがあって、それを恨んでの腹いせとか。
タイピングする人だって、そうじゃないって絶対分かってるはずですよね。
何にせよ、画像1枚で笑えるネタとして今後も残り続けることでしょう。
(原文)
「それまた時柄が言はせたるなめり。すべてただ題がらなん、文も歌もかしこき」と言へば、
「げにさもあることなり。さは、題出ださむ。歌よみ給へ」と言ふ。
「いとよきこと」と言へば、
「御前に、同じくはあまたをつかうまつらん」など言ふほどに、御返し出で来ぬれば、
「あなおそろし。まかり逃ぐ」と言ひて出でぬるを、
「いみじう、真名も仮名もあしう書くを、人の笑ひなどすれば、隠してなんある」と言ふもをかし。
作物所の別当するころ、誰がもとにやりたりけるにかあらん、物の絵やうやるとて、
「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる真名のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、
「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあるべけれ」
とて殿上にやりたれば、人々とりて見て、いみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。