前回のあらすじ

雨が土砂降りになったところで中宮様のもとに帰参したところ、ホトトギスを聞いたのに歌を詠まずに帰ってきたことを軽くダメ出しされてしまいました。

 

藤侍従・公信の歌への返歌をまずしよう、などと言って硯を取りに局に人をやると、

 

「いいからこれで早く詠んでやりなさい」

 

と中宮様が御硯箱の蓋に紙などをいれて貸してくださったの。
 

「宰相の君がお書きなさいよ」

「やっぱりあなたが…」

 

なんて言っているうちに、空が暗くなって雨脚が一段と強まって、雷が恐ろしく鳴ったから、わけも分からずただ恐ろしくて、ありったけの御格子を下ろしているうちに、返歌のことは忘れてしまったわ。
とっても長い間雷は鳴って、少しやむ頃には日も暮れてしまったの。
やはりこの返歌は今すぐさし上げようといって取り組んでいると、色んな人、上達部などが、雷の件を申し上げに参上なさったので、西側の部屋に移ってお話ししたりするうちに紛れてしまったわ。
他の女房は、名指しで受け取った人が詠めばいい、と思っていて、それで終わりになってしまったの。
やっぱり歌に縁のない日みたい、今日は・・・

と心が折れて、


「こうなったら、ホトトギスを聞きに出かけたことをどうにか人に知られないようにしなきゃ」なんて笑っていると、中宮様が、
「今からでも、どうして出かけた人たち全員で歌を詠まないの?詠めるでしょう。でも詠むまいと思っているみたいね」と不愉快そうな御様子なのも、とても面白かったわ。
「ですが、今となっては興ざめになってしまったのです」と申し上げると、
「何が興ざめなものですか。そんなわけないわ」とおっしゃったけれど、それで終わりになったの。


中宮定子様のもとでのやりとりです。

 

和歌に執着する定子様と何とかそれをかわそうとしている清少納言。笑

清少納言も別に歌が詠めないわけではないのですが、この日はどうしても気が乗らないようです。

そして藤侍従・公信への返歌もうやむやになってしまいました。

今で言う「既読スルー」というやつです。

 

さて、前回、公信の和歌について「忘れてしまった」ということで終わりになっていました。

本当に忘れたのか、忘れたふりをしているのか・・・などと書きましたが、調べてみると、底本によってはこの公信の歌も記されているのだそうです。

 

ほととぎす鳴く音たづねに君ゆくと聞かば心をそへもしてまし

〔あなたがホトトギスの鳴き音をたずねて出かけると聞いていたら、私も心をあわせていたでしょうに〕

 

うーむ、どうなんでしょう。

礼儀としては返歌をするべきところですが、返したくなるような歌ではないような気もします。笑

とにかく、清少納言が藤侍従を軽く見ているというのは間違いないようです。

こういうところがあるから、「清少納言=生意気」という風に思われることがあるんですよね💦


(原文)

これが返しまづせむなど、硯取りに局にやれば、
「ただこれしてとく言へ」とて、御硯蓋に紙などして給はせたる。
「宰相の君、書き給へ」と言ふを、
「なほそこに」など言ふほどに、
かきくらし雨降りて、神いとおそろしう鳴りたれば、物もおぼえず、ただおそろしきに、御格子まゐりわたしまどひしほどに、この事も忘れぬ。
いと久しう鳴りて、すこしやむほどには暗うなりぬ。
ただいま、なほこの返事奉らむとて、取りむかふに、人々、上達部など、神の事申しに参り給へれば、西面に出でゐて、物聞こえなどするにまぎれぬ。
こと人はた、「さして得たらむ人こそせめ」とてやみぬ。
なほこの事に宿世なき日なめり、とくんじて、
「今はいかでさなむ行きたりしとだに人におほく聞かせじ」など笑ふ。
「今も、などかその行きたりし限りの人どもにて言はざらむ。されど、させじと思ふにこそ」と、ものしげなる御けしきなるもいとをかし。
「されど、今はすさまじうなりにて侍るなり」と申す。
「すさまじかべき事か、いな」とのたまはせしかど、さてやみにき。

 

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