前回の簡単なあらすじ。

ホトトギスを聞いた帰り道、卯の花が咲き乱れていたから折り取って車一面にさして、それを侍従殿(藤原公信)に見せました。

 

侍従殿は、

 

「なぜ他の門と違って、この土御門に限って屋根もなく着工したのだろう。それが今日はとても憎らしい」
 

などと言って、


「さて、どうしてこれだけで帰ることができようか。こっちはただ後れまいと思ったから人目も憚らず走るしかなかったのに。あなた方がこのまま奥へ行ってしまうようでは実につまらん」

「さあさあ、いっしょにおいでくださいよ。宮中に」
「烏帽子でどうして参内できようか」

「取りに人をおやりなさいな」

 

なんて言っているうちに、土砂降りになったから、笠もない車の供の男たちが、まだ話している私たちのことなどお構いなしに車を引き入れてしまったわ。
侍従殿は、一条殿から傘を持ってきたのをささせて、こちらを振り返りつつ、来るときと違って帰りはのろのろとだるそうにして、卯の花だけを手に取ってお行きになるのも笑えたわ。

 

そうして定子様のもとに参上したところ、その時の様子なんかをお尋ねになったわ。
おいてけぼりにされて恨み言を言っていた女房たちは、ブーブー言いながらも、藤侍従が一条大路を走って追いかけてきたのを話すと、みな笑ったわ。

 

「さて、ねえ早く早く。歌は?」と中宮様がお尋ねになるから、実はこれこれで、と申し上げると、
「残念なことねえ。殿上人なんかが聞きつけたら、どうして少しも趣あることがなくていられましょうか。そのホトトギスを聞いたところでさっと詠んでおけばよかったのに。あんまり儀式ばって詠もうとしたのはおかしなことよ。ここでもいいから詠みなさい。しょうもないわね」

 

などとおっしゃるので、確かに、と思ってとてもがっかりで、相談したりしているうちに、藤侍従は、さっきの牛車の卯の花につけて、卯の花の薄様に書いて送ってきたの。
でも、この歌は忘れちゃったわ。


前回、清少納言たちが乗る牛車を走って追いかけてきた侍従殿(藤原公信)。

今、皆がいるところは宮中の土御門です。

ここでいう土御門は、上東門の別名だそうです。

※大内裏図・・・コトバンク(日本大百科全書/小学館)より拝借

 

雨が土砂降りになってきたのですが、土御門(上東門)には屋根がなくて難儀しているようです。

公信がトボトボ帰って行く後ろ姿をみて「笑える」と言っている清少納言、ちょっと悪い爆  笑

昔の服装や道だと、今と比べものにならないほど外に出るのが鬱陶しかったようです。

今だって、雨の日は外出を見送る選択をすることはありますよね。

 

そうして男たちをからかって愉快な気分の清少納言はやっと定子様のもとに帰還します。

それまで歌を詠むのを後回しにしてきたツケが回ってきて、定子様をガッカリさせてしまい、軽くお叱りを受けたのでした。

公信たちを笑ったバチが当たったのかもしれません。笑

 

最後に藤侍従から歌が届きますが、卯の花を題材とした歌が届いたことでも分かる通り、藤侍従=侍従殿=藤原公信のことです。

その歌は覚えていない、ということで紹介されません。

本当に覚えていないのか、はたまた公信の歌が不出来だったのか。

真相は闇の中。


(原文)

「などかこと御門御門のようにもあらず、土御門しも上もなくしそめけむと、今日こそいとにくけれ」

など言ひて、
「いかで帰らむとすらむ。こなたざまは、ただおくれじと思ひつるに、人目も知らず走られつるを、奥行かむことこそいとすさまじけれ」

とのたまへば、
「いざ給へかし、内裏へ」と言ふ。
「烏帽子にてはいかでか」
「とりにやり給へかし」など言ふに、まめやかに降れば、笠もなき男ども、ただ引きに引き入れつ。
一条殿より傘もて来たるを、ささせてうち見かへりつつ、こたみはゆるゆると物憂げにて卯の花ばかりをとりておはするもをかし。

 

さて参りたれば、ありさまなど問はせ給ふ。
うらみつる人々、怨じ心憂がりながら、藤侍従の、一条大路走りつる語るにぞ、みな笑ひぬる。
「さていづら、歌は」と問はせたまへば、かうかうと啓すれば、
「くちをしの事や。上人などの聞かむに、いかでか、つゆをかしき事なくてはあらむ。その聞きつらむ所にて、きとこそはよまましか。あまり儀式さだめつらむこそあやしけれ。ここにてもよめ。いと言ふかひなし」
などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひ合はせなどするほどに、藤侍従、ありつる花につけて、卯の花の薄様に書きたり。
この歌おぼえず。

 

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