あかねさす
★素材スタジオ様よりDLさせていただきました。
あかねさす、綺麗な響きの日本語ですよね。
(〃'▽'〃)
ベネッセ古語辞典
【枕】赤い色がさして光り輝く意から「日」「光」「昼」「君」などに、また色の類似から「紫」などにかかる。
三省堂詳説読解古語辞典
[枕詞]あかね色を発する意から「紫」に、あかね色が照り映える意から「日」「昼」「君」にかかる。
岩波古語辞典 ⭕
〔枕詞〕東の空があかね色に映える意から昇る太陽を連想し、美しく輝くのをほめて、「日」「昼」「紫」「君」にかかる。
旺文社古語辞典
((枕詞))茜色あかねいろに映えるの意から、「日」「昼」「紫」「照る」「月」「君が心」などにかかる。
三省堂例解古語辞典 ⭕
(東の空をあかね色に染める朝日のようすから、太陽や美しいものを連想して)「日」「昼」「照る」「紫むらさき」「君」などにかかる枕詞。
小学館全訳古語例解辞典
①〔連語〕茜色がさす。赤く映える。赤く照り輝く。
②〔枕詞〕茜色に光り輝く意から、「日」「昼」「紫」そして「君」などにかかる。
分かりやすいのは⭕印の「岩波古語辞典」と「三省堂例解古語辞典」の説明ですね。
また、枕詞以外の用法を指摘しているのは小学館だけでした。
実際に「あかねさす」が使われている和歌をいくつか見ていきましょう。
[万葉集]
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
●紫野・・・紫草を栽培している野。
●標野しめの・・・旺文社古語辞典によると「上代、皇室などの領有する原野で、猟場などにされ、一般の人の立ち入りを禁じた所。禁野きんや。」とのこと。
●野守のもり・・・標野を守る番人。
●君・・・大海人おおあまの皇子。後の天武天皇。
あかねさす、といったらまずこの歌が思い出されます。
高校の頃に習ったのでしょうが、ただリズムの良さから「あかねさす・むらさきのゆき・しめのゆき」という上三句が意味も分からず頭に残っただけという感じですが、この「意味が分からないのに頭に残る」というのは、実は凄いことではないでしょうか。
普通、意味が分からなければ忘れますよね。
「天皇が蒲生野がもうのに遊猟みかりしなさる時に、額田王ぬかたのおおきみが作った歌」と詞書きがついています。
●天皇・・・天智天皇のこと。
●蒲生野・・・今の滋賀県蒲生郡にあった野。
●遊猟・・・薬草を採取すること。
●額田王・・・天智天皇と天武天皇に愛された女流歌人。
蒲生野に行幸して薬草を採取する天智天皇。
随行する多くの貴人や警護の者、その中に額田王と大海人皇子もいました。
大海人皇子は天智天皇の弟です。
天智天皇の寵愛を受ける額田王に向かって袖を振る大海人皇子。
袖を振るのは愛情を示す行為です。
その大胆な行為が野守の目についたらどうするのですか、という額田王の歌です。
「あかねさす」は枕詞として「紫」を導いています。
[万葉集]
あかねさす昼はもの思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ
安可祢佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良尓 祢能未之奈加由
「あかねさす」が「昼」を導く枕詞、「ぬばたまの」が「夜」を導く枕詞です。
三十一音のうち、十音が枕詞に占領されているという。笑
●もの思もひ・・・物思いをする意味。
●夜はすがらに・・・「一晩中、夜通し」の意味で、「夜もすがら」と同じ。
●音ねのみし泣く・・・声を上げて泣いてばかりいるということ。「し」は強意の副助詞。
●ゆ・・・奈良時代の助動詞。ここでは自発の用法。
詠者は中臣宅守なかとみのやかもりという人。
愛する人に会えない苦しみを詠んだ歌です。
昼は物思いに耽り、夜は一晩中声を上げて泣かずにいられない、ということです。
[万葉集]
飯はめどうまくもあらず行き行けどやすくもあらずあかねさす君が心し忘れかねつも
飯喫騰 味母不在 雖行往 安久毛不有 赤根佐須 君之情志 忘可祢津藻
●飯いいはめど・・・ご飯を食べても、の意。
ボーッとしていると見過ごしそうですが、五七五七七の短歌ではありません。
五七・五七・五七七 というリズムになっており短歌(三十一音)より十二音多い四十三音の歌です。
何か分類のある歌体なのかなと思って調べたのですがそんなリズムのカテゴリーはなく、どうやら「短い長歌」らしい。笑
「短い長歌」とは形容矛盾以外の何ものでもないわけですが。
※長い短歌、という言い方は成立すらしません。
●長歌・・・五•七、五•七・・・五•七、五•七•七
という形式の和歌。
(五•七)×n+「五•七•七」ということ。n≧2
すると、この歌は「n」に最小数字2(1だと短歌になってしまう)を入れた形なわけで、理論的に最短の長歌ということになります。
さて、内容についてですが、詞書きは「夫を恋しく思って詠んだ歌」とのこと。
『万葉集』には、佐為王(橘佐為)が召し使っていた下女の歌と書かれています。毎夜、佐為王に仕えて長らく夫に会えずにいたことを嘆き悲しんでこの歌を詠んだところ、佐為王は帰ることを許したのだとか。
ご飯を食べても美味しくないし、歩いていても心が穏やかでない。夫の情愛を忘れることができなくて。
こんな意味ですね。
「ご飯を食べても美味しくない」という表現が和歌中に出てくるというのが新鮮です
平安王朝の歌にもこんなのあるのかしら?
さておき、ここでの「あかねさす」は「君」もしくは「君が心」を導く枕詞です。
最初に挙げた辞書の説明だと、旺文社だけが「君が心」を導くと解説していました。
東の空をあかね色に美しく染める太陽からの連想による枕詞が「あかねさす」なので、
「日/照る/光」などが導かれるのは分かるのですが、「君」は突飛な印象を受けます。
実際、4,500首も収録している『万葉集』の中で、「あかねさす」の後に「君(が心)」を置いているのはこの一首だけなのです。
あかねさす君、だとすると、よほどの美男子だったのでしょうか。(少なくともこの女にとっては)
あかねさす君が心、だとすると、よほど心が美しい人だったのでしょうか。
まあ、どっちでもいいけど。笑
あるいは、枕詞ではないという解釈はできないのでしょうか?
あかねさす=夜が明けて空が茜色に染まる、という普通の動詞。(小学館の①の用法)
第四句「やすくもあらず」の「ず」を連用形として次につなげ、第五句の「あかねさす」を終止形としてここで切る。
ご飯を食べても美味しくないし、歩いていても心が穏やかでない、そうして今日も夜が明け空が茜色に染まってゆく。(もう幾日帰っていないのだろう•••)
ああ、愛しい夫の情愛が忘れられないわ!
こういう解釈はできないかしら?
長歌を勉強したことがないのでこの解釈(最後の五七七の途中を句切れとする)があり得るのかあり得ないのか分かりません。
[新千載集]
世の中を何にたとへむあかねさす朝日待つ間の萩の上の露
『新千載集』は室町時代に編まれた勅撰集ですが、この歌の詠者は源順みなもとのしたごうという平安時代の人です。
無常観を詠んだ歌です。
無常観というのは簡単にいうと「この世に永遠不滅のものはなくいつか滅びるのだから、モノゴトに執着するのは虚しい」という仏教的な価値観です。
露というのは秋に詠まれるもので、冷え込む夜や朝に空気中の水分が冷えて水滴となり草葉の上に降りたものです。
この朝露/夜露は風が吹くとパラパラとあっけなく飛び散ってすぐに消えてしまうことから、無常のシンボルとしてよく登場します。
朝日を待つ萩の葉っぱの上に降りた露、それは決して朝日が昇るのを待ち迎えることなく消えてしまうのです。
この世も露のようにはかなく虚しいものだ、ということですね。
それにしても、「萩のうは露」と言えば字余りにならなくてすむのに、どうしてわざわざ字余りにしたのでしょう?
この歌で「あかねさす」は「朝日」を導いています。
[枕草子]
あかねさす日に向かひても思ひ出でよ都は晴れぬながめすらむと
藤原定子の歌で、「あかねさす」は枕詞として「日」を導いています。
最近書いた「歴史浪漫 中宮定子の生涯」という記事でも紹介しました。
『枕草子』の「御乳母の大輔の命婦、日向へくだるに」という章段に記された歌です。
藤原定子に仕えていた大輔の命婦という女性が宮仕えをやめて日向国へ下るというので、定子様は餞別の扇を渡すのですが、その扇に書かれていた和歌です。
それにしても、日向国は今の宮崎県ですから随分遠いですね。
遠い日向国でも都で泣いている私を思い出しておくれよ、ということです。
「日に向かひ」という表現に、行く先である「日向」が詠み込まれており、「ながめ」は「長雨/眺め」の掛詞になっています。
日に向かう、ということは太陽が出ているということで、長雨が降る都と対照的です。
あなたが向かう日向国ではその名の通り明るく充実した日々が待っているのでしょうが、都に残る私は長雨が降る中、もの思いに沈む日々を送っているのです、という対比です。
当たり前ですが、和歌上の表現であり、実際の天候とは関係ありません。
ちなみに『金葉集』三奏本、また『詞花集』にも採録されているそうです。
『金葉集』は五番目の勅撰和歌集で、白河院の命により作成され、撰者は源俊頼でした。
俊頼は「これで良いっすか?」と白河院に献上するも2回跳ね返され、3回目でようやくOKが出ました。
その3回目の奏覧に望んだ最終形態が三奏本です。
しかし、一般には『金葉集』というと2回目の奏覧で提出したもの(二度本)ということになっているのだそうな。
初度本・二度本にこの歌は入っていません。
だから、六番目の勅撰集である『詞花集』にも採録されているのでしょう。
[金葉集]
日の入るは紅にこそ似たりけれ/あかねさすとも思ひけるかな
●紅・・・ベニバナ。ベニバナで染めた色。
これは連歌です。
上の句は観暹かんせん法師、下の句は平為成とのこと。
両人ともまったく存じ上げません。笑
ただ、『金葉集』に入っているのですから、平安時代の人です。
上の句:日没の空の色はまるでベニバナのようだなあ。
下の句:あかねさす、と思ったことよ。
ここでは「あかねさす」を枕詞としては使っていません。
あかねさす、と詠むことで「朝日」を想起させ、あかねさす朝日かと思ったことよ、という手法だと思います。
また「紅」がベニバナであるように、「茜」も元々は野草の名です。
そんな言葉あそびも入っており、まさに連歌といった感じがします。
[六条斎院歌合]
あかねさす光とぞ見る名に高き月はまことに今宵なりけり
陰暦9月13日の月を詠んだものとのこと。
この月は「名残の月」と呼ばれる、まさに名高き月でありました。
詠者は「たご」と書かれており、六条斎院の女房のようです。
六条斎院とは、後朱雀天皇の第四皇女で禖子ばいし内親王という方だそうです。
平安王朝の方ですね。
この歌は、「あかねさす」が「光」を導く枕詞、と単純に考えて良いのか疑問です。
枕詞の場合、イメージを催す役割こそあるものの、実質的な意味を持たないことになりますが、この歌においては「あかね色に輝き差し込む太陽の光のように見えることだ」という具合に、実質的な意味を持っていると解釈した方が良いように思うからです。
[六条斎院歌合]
葛城の神やわぶらむあかねさす光と見ゆる秋の夜の月
●葛城の神・・・橋を架けることを命じられていたが、自分の容姿が醜いことを恥じて、夜にしか作業をしなかったため橋は完成しなかった、という伝説で名高い。一言主の神とも。
これも上の歌と同じく陰暦9月13日の「名残の月」を詠んだものです。
こちらの詠者は「こま」という、これまた六条斎院の女房のようです。
そして、またまた同じく「あかねさす」の直後には「光」があるのですが、やはり実質的な意味を持っているように思います。
あまりに明るく、茜色に輝く日の光かと思われるほどの秋の名月に、姿を見られることを嫌って夜にしか活動しない葛城の神は困っているのではないか、という歌です。
疲れたので和歌はこれくらいにします。
ちょうど八首、末広がりで縁起もいい。笑
あかねさす、という綺麗な言葉について見てきましたが、実はあまり多用されていないようなのです。
『万葉集』+八代集で、「山」を導く枕詞である「あしひきの」と使われている数を比べてみました。
和歌データベース様のデータを使わせてもらい、検索でヒットした数です。
膨大な和歌をデータベース化してくださっていて、凄い仕事だなと思います。
ありがたや🙇
さて、「あしひきの」が取り分け用例の多い枕詞なのだとは思いますが、こんなに差があるとは思っていませんでした。
ちなみに、「あかねさし」も枕詞にカウントすると『万葉集』の用例は13に増えます。
それにしても誤差のようなもので、「あしひきの」の圧勝です。笑
しかし「あしひきの」も後拾遺集から数が激減していますね。
『セツナイノチ』より
こんなキモチ 知らずに 今日を 生きてるのかな?
雨上がり セツナイ ノチ マダ セツナイ
あのぬくもり 動き出すよ わたしのセカイ
届けたい 未来を照らせるように
もっと・・・
作詞:MIZUE
さて、これは南端まいなちゃんというアイドルが歌っている『セツナイノチ』という曲の歌詞の一部です。
セツナイノチは「切ない 後」で、MIZUEさんという方の作詞です。
「茜さす」は「キミ」を導いていますね。
「あかねさす」をベースにして作詞されたのか、事情は知りませんが、直後に置かれた「キミ」の他、「陽差し」「照らす」「月」「ヒカリ」など、「あかねさす」に導き出される言葉を曲中に多用しているのは、やはり意図的なのだろうと思います。
この歌、本当に綺麗な楽曲なんです。
最後に公式YouTubeのMVを貼っておしまいにしたいと思います。