前回、思いがけず大納言伊周に絡まれた清少納言。

ドギマギしていたところに救いの手が差し延べられます。

 

伊周様が思いがけず長居なさるので、私が思いやりがなくてつらいと思っているだろう、と推察してくださったのか、中宮様が、

「これを見てくださいな。これは誰が書いた字かしら」

と申し上げなさると、

「こちらに頂戴して見ましょう」

と申し上げなさるので、

「こっちにいらして!」

とおっしゃってくれたの。なのに、伊周様ったら、

「いや、この方が私をつかんで立たせてくれないんだよ」

なんて冗談をおっしゃるのも、とても今風で私には不釣り合いな冗談だから恥ずかしかったわよ
チーン
誰かが草仮名を書いた草子などを取り出してご覧になっていたわ。

「誰の字だろう。清少納言にお見せなさいよ。あの人はこの世の筆跡は全部見知っているでしょう」

なんて、とにかく私に返事をさせようとおかしなことをおっしゃったの。


(原文)

久しくゐ給へるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させ給へるにや、
「これ見給へ。これは誰が手ぞ」
と聞こえさせ給ふを、
「賜はりて見侍らむ」
と申し給ふを、
「なほここへ」
とのたまはす。
「人をとらへて立て侍らぬなり」
とのたまふも、いと今めかしく身のほどに合はず、かたはらいたし。
人の草仮名書きたる草子など取り出でて御覧ず。
「誰が手にかあらむ。かれに見せさせ給へ。それぞ世にある人の手はみな見知りて侍らむ」
など、ただいらへさせむと、あやしきことどもをのたまふ。


【語釈】

●これ見給へ。これは誰が手ぞ
中宮定子のセリフ。清少納言が困っているのを見かねて助け船を出した。「手」は重要語で、文字・筆跡、の意味。

●人をとらへて立て侍らぬなり
伊周のセリフ。「清少納言が離してくれないから立てません」という冗談。この後、清少納言のそばを離れて中宮定子の方に行ったようだ。女の方が男を離さない、というのは「今めかし」つまり「今風」で、年増の清少納言にはミスマッチな内容だと言っている。


さすが中宮定子。

お兄ちゃんを清少納言から引き離してやりました。

 

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