さて、前回は応天門が放火により燃えてしまい、伴大納言こと伴善男の讒言により左大臣だった源信に嫌疑がかかるも、太政大臣・藤原良房の働きによって源のまこっちゃんへの疑いが晴れた、という内容でした。
そして、前回日本史の教科書を引用した通り、実は伴善男こそが放火した張本人なのですが、どう語られるのでしょうか。
この火事騒動の真相はこうだった。さる秋の頃に、右兵衛の舎人で七条に住んでいた者が、庁舎に出勤して、夜が更けて家に帰る時に応天門の前を通ったところ、人の気配がしてささやく声が聞こえた。
廊下の脇の方に隠れて見ていると、柱にしがみつきながら下りてくる者がいる。
不審に思って見ていると伴大納言だった。次にその子が下りてくる。また次にとよ清という木っ端役人が下りてくる。
「何をしているのだろう」とさっぱり分からずに見ていると、三人とも下りるやいなや、遮二無二走り去ってしまった。
三人とも南の朱雀門の方に走って行くので、この舎人も家の方に向かう途中、二条堀川のあたりを通り過ぎる時、
「内裏の方に火の手があがった!」
と大路で大騒ぎが始まった。
振り返って見ると、火が上がっているのは確かに内裏の辺りと見える。
走って戻ると、応天門の半分ほどが燃えているのであった。
「さっきの連中はこの火をつけるために登っていたのだ…!」と悟ったが、究極の一大事なので、決して口に出すことはなかった。
その後、
「左大臣が放火なさったんだ」
「罰をお受けになるに違いない」
などと世間では大騒ぎになった。
「ああ!真犯人は別にいるのに。大変なことだ」と思うが、言い出せることではないので、気の毒だと思い続けるうちに、
「左大臣は許された」
と聞いたので、「無実の罪は、結局は罰を免れるものなんだなあ」と思った。
史実通り、伴善男が真犯人である、ということが語られました。
前回よりも少し遡って、犯行現場の目撃者の視点が書かれています。
その目撃者は右兵衛府に勤める舎人とねりとのこと。
兵衛府ひやうゑふをベネッセの古語辞典で引いてみると、
と説明されています。
舎人とは護衛などを務める下級役人を指しますので、右兵衛府に勤めた衛士(舎人)の1人が、仕事帰りにたまたま応天門の近くで犯行現場を目撃していた、ということになります。
その舎人の家は七条にあったらしいのですが、平安京のかなり南の方で、低い身分の人たちが暮らす地域です。
帰る途中、二条堀川のあたりで騒ぎを耳にした、と書かれています。
地理関係を確認するために平安京の図を用意しました。
めっちゃ簡易的な図ですけど、何もないよりはマシですよね。
舎人が七条のどの辺りに住んでいたのかは書かれていません。
とにかく、朱雀門を出て二条大路を東にすすみ、堀河小路との交差点のあたりで騒ぎを聞きつけて戻ってみたら応天門が燃えていた、とあります。
舎人は真犯人が伴大納言(伴善男)であることに気づいたのですが、言い出せずにいました。
「言ったら消される」という恐怖もあったことでしょう。
そのうち、「源信が容疑者だ」と噂になり、それが冤罪であることを知る舎人は苦悩しますが、やはり言えずにいました。
やがて「源信の容疑が晴れたらしい」と聞いてホッとしています。
どこまでが本当か分かりませんけどね。
とりあえず、あとは真犯人が逮捕されるのを待つばかり。
どういういきさつで捕まるのでしょうか。
次回に乞うご期待、ということで。
(原文)
このことは、過ぎにし秋のころ、右兵衛の舎人なる者、東の七条に住みけるが、司に参りて夜更けて家に帰るとて、応天門の前を通りけるに、人のけはひしてささめく。
廊のわきに隠れ立ちて見れば、柱よりかかぐり下るる者あり。
あやしくて見れば、伴大納言なり。次に子なる人下る。また次に雑色とよ清といふ者下る。
「何わざして下るるにかあらん」とつゆ心も得で見るに、この三人下り果つるままに走ること限りなし。
南の朱雀門ざまに走りて往ぬれば、この舎人も家ざまに行くほどに、二条堀川のほど行くに、
「大内の方に火あり」
とて大路ののしる。見返りて見れば、内裏の方と見ゆ。
走り帰りたれば応天門の半らばかり燃えたるなりけり。
「このありつる人どもは、この火つくるとて登りたりけるなり」と心得てあれども、人のきはめたる大事なれば、あへて口より外に出ださず。
その後、
「左の大臣のし給へること」とて、
「罪かうぶり給ふべし」
と言ひののしる。
「あはれ、したる人のあるものを。いみじきことかな」と思へど、言ひ出だすべきことならねば、いとほしと思ひありくに、「大臣許されぬ」と聞けば、「罪なきことは遂に逃るるものなりけり」となん思ひける。