この人の記録は、未来永劫、塗り替える選手
は、現れないでしょう。


https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/06/kiji/20191006s00001173432000c.html

金田正一さんが死去、86歳 国鉄、巨人で前人未到の通算400勝

2019年10月6日 20:35  スポニチ


金田正一さん
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  プロ野球の国鉄(現ヤクルト)、巨人で投手と

して通算400勝を記録し、ロッテの監督も務めた

金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時

38分、急性胆管炎による敗血症のため、東京都

内の病院で死去した。


   86歳。


   巨人が発表した。通夜・告別式は近親者のみ

で執り行われる。


   喪主は長男・賢一(けんいち)さん。後日、「お

別れの会」を行う予定。

 




  1950年(昭和25)、享栄商高(現・享栄高)3年

夏に県予選で敗退した直後に中退して国鉄入

り。


   同年8月23日の広島戦でプロ初登板。


   サヨナラ押し出しで敗戦投手になったが、10

月1日の大洋戦でプロ初勝利。


   2年目には22勝(21敗)をマークし、以後国鉄

を退団する64年まで14年連続20勝以上は、

いまだに破られない日本記録。


   沢村賞、最多勝、最優秀防御率は各3回、

ノーヒットノーランと完全試合を1回ずつ達成。


   58年、新人だった巨人・長嶋茂雄三塁手を

開幕戦で4打席4三振に仕留めた快挙はプロ

野球史に残る名場面の一つである。

  「カネやん」「金田天皇」と呼ばれ、球界の顔

的存在だったが、国鉄では優勝経験がなく、

65年に巨人へ移籍。


   69年まで在籍し、5回の優勝を経験。


   69年10月10日に通算400勝を記録し引退。


   勝ち星も日本記録なら、敗戦数の298も

日本記録で、背番号34は巨人の永久欠番と

なった。

  73年にロッテの監督に就任。


   74年にパ・リーグを制し、日本シリーズで

中日に勝ち日本一に。


   78年まで指揮し、評論家活動を経て90、91

年に再度ロッテの監督を務めた。


   88年に野球殿堂入り。


   昭和、平成生まれの200勝投手、2000安打

打者らの会、日本名球会の会長を長く務めた







投手の分業制が、確立した今の野球では、

先発完投する投手って、なかなか、居ません


先発完投し、勝利数を挙げた投手に与えられ

る「沢村賞」の選出も、毎年、苦労してる記事

も良く目にしてます。


通算400勝。凄すぎますね。


毎年20勝を20年間続けないと達成出来ない

訳ですから。


打者のレベルが、上がってる現代の野球では

、20勝が、難しい状況ですもの。


400勝投手なんて、2度と現れないでしょう。


選手、監督引退後は、バラエティーでも活躍

され、愛された人でした。


ご冥福を祈ります。しかし、凄い!昭和の伝説