先週、やっと大学の期末テストが終わりました。

5か月ぶりくらい?のブログ更新です。

 

まずは、イザベラ・バードシリーズ。

比較文化演習の授業で、イザベラ・バードを勉強しました。ビクトリア朝時代のイギリス人女性が、明治維新直後に、日本を旅し、旅行記を書いていたこと、知りませんでした。

 

簡単なイザベラ・バード年表

1831年イザベラ・バード生まれる

1878年日本への旅

1880年妹ヘンリエッタ病死

      『日本の未踏の地』出版

1881年ジョン・ビショップ医師と結婚

1886年ジョン病死

1904年イザベラ・バード亡くなる

 

その他、カナダ・アメリカ、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、ロッキー山脈、マレー半島、シナイ半島、チベット、中国なども旅行し、旅行記を書いています。

 

体調が悪い時、医師に勧められ旅行に行ったところ、それがバードには向いていて体調がよくなり、それから旅行が彼女生きる支えになりました。

 

日本へは、都会の東京・横浜だけではなく、日光、新潟、

北海道までも旅行した。当時の栃木、福島、新潟の田舎は、非常に貧しく、劣悪な環境(家・衣服が粗末、虫が多い、病気の人が多い、湿気がひどい・衛生に対する意識が低い)だったが、その中を通訳の伊藤鶴吉と旅をし、健康を害している日本人に、薬をあげたり作ったりした。

 

牧師の娘で、比較的恵まれた生活をしていたバードが、どうしてこんな旅行ができるのだろうと思っていたら、バードは、以前、エディンバラの旧市街のスラムで活動をしていました。

 

その時の経験は、「この活動が、彼女にもたらしたのは経験したことのないひどい病と苦しみでした─彼女自身わかっていたことだとは思われますが、スラムの改善という問題はこのような活動によって解決できるようなものではなく、達成感を得られなかったのだと考えられます」(『イザベラ・バードと日本の旅』)と、バードにとってつらいものでしたが、この体験をしていたので、日本の極貧の人々に対してできることをしながらも、本来のバードの旅の目的を失うことなく、旅行できたのですね。

 

そして、愛想がないが、勉強熱心な通訳の伊藤鶴吉が、バードに「fine day より beautifulday、fellowよりmanやmen、酔っ払いはdrunkよりintoxicatedが正統的な英語」、と教わるとメモを取り、新しく覚えた英語を使っていくエピソードがとても好きです。

 

コミックも原作にかなり忠実で、面白いです。続きが出るとよいな。

 
今日の断捨離
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セーター3枚とクッション。
4月から7月までため込んだもの、また、処分していかなくちゃー。