オペ中の医師や看護師の様子で、
今回の採卵はどうやら駄目な結果だったんだなと予測していた私。


それでも、結果説明を受けるために待合にいるあいだは、

胸がどきどきして汗を抑えるのが大変だった。

そういえば高校や大学の合格発表のときもこんな感じだったなあ、、、

と感傷にひたりながら隣を見ると
そこにはこれ以上ないぐらいに真っ青な顔をした夫が。


え?ブルーマンまた来日しちゃった??と思うほどの顔面蒼白ぶりに
今度はわたしがしっかりしなきゃ、と落ち着くことができた。


一日中、心強くどっしり傍にいてくれた夫も、相当気を張ってくれていたはずで
なぜなら彼は本来、ものすごく慎重かつ小心な人なのだ。
最後の最後にその素が出てきたんだなあと思えて、

ああやっぱり愛おしい人だなあとにっこりした。



そうこうするうち名前を呼ばれ、夫婦で診察室へ入室。
手術の際はどうもありがとうございました、とまずは2人でお礼。

医師は「いいえ」と笑ってくださる。
そして「ただkobiaさん、今回はとても残念ながら、

卵胞のなかに卵はいませんでした」と申し訳なさそうに教えてくださった。


「やっぱりかあ」と思いながらも、次の言葉を待つ。


「いない、ということはどこかにいったのかもしれない、と考えられたため
まずはおなかを探しました。後半すごく痛かったでしょう。

あれはおなかに器具が入ったからなんです、ごめんなさいね」


「そして探したけれども、おなかにも卵子はなかった。

ということはすでに卵管にいる可能性が考えられる。
ただこの場合はもう探し出すことはできません。」


卵管にいる可能性を考え、人工授精を勧められる。
可能性は低いとのことだったが、確立0%よりも0.5%のほうが良い!と思いお願いをする。


「今回は採れなかったけど、採取した卵胞液を検査してみたところ、
細胞成分は正常値なので、きちんと卵を作っていけてるんです。
今回のは急に大きくなりすぎたのが原因のひとつかもしれませんから
薬の量や投与の日数を調整して、これからもチャレンジを続けましょうね。」
との医師の言葉。


「卵を作っていけてる」

そのフレーズがありがたすぎて思わず拝みそうだった。
オートリバースでずっと聞いていたかった。


隣の夫を見ると、安心したのか顔色がピンクに戻っていた。
良かった~やっぱりブルーよりもそのほうが似合うよ!


そして人工授精をしてもらって、帰宅。

めまぐるしく過ぎた1日の終わりに、最後のお願いを夫に聞いてもらう。

お願い、それはラーメン。

実は、手術室で痛いおもいをしていたときも、

メイクとって別人になった顔を看護師さんに二度見されたときも、

夫の精子を受け入れるべく開脚してるときも、

わたしはとにかくラーメンが食べたかったのだ。

願いはかない、地元のつけ麺やへ。

まじやべえうまさだったがここでは詳細をはぶく



こうして終わった人生初の採卵。
結果だけみれば良いものではなかったけれど、

気力の続く限りわたしは諦めないでいようと思う。
諦めの悪い人ねっていくら思われても良い。わたしはむかしから片思いが得意なのだ。


そして、どんな小さなことにも感謝を忘れないこと。
たとえ長い道のりの途中で雨に降られたとしても、その雨の音が規則的なことに感謝をすること。
何があっても、これでいいのだ!と笑うこと。



おわり


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「明日採卵です」という鶴の一言が、私の人生初の記念日を決めた。


その場で夫に電話をすると、「良かったねえ。明日は俺も会社休んで一緒に行くからね」との声。
安心のため息をはく私。そして、はき溜めに鶴が(意味ちょっとちがうけど)登場。

医師「kobiaさん、僕もご主人と少し話がしたいのでちょっと替わってもらえる?」
携帯を渡すと、採卵のリスクや体外受精の簡単な説明などのあとに、
「今回は急にこんなことになって、本当にすみません」と謝ってくださっていた。
そんな。とんでもない。こんな機会を与えてくださってありがとうございます。


そして夜は更け朝になり、あっというまに採卵当日。
夫の採精については、看護師から

「自宅で採取してきてね

(病院内に採精専用のスペースがないためと、自宅のほうがリラックスできるため)」と
言われていたが、「病院で採って提出するほうが新鮮だ、病院でなんとかする」と聞かぬ夫。


「ええっ、なんとかできるのー?」
「他のご夫婦で、ご主人が緊張してしまってどうしても採れなくて、

受精中止になったケースもあるみたいよ」と脅し気味で言ってみるも

「できるさ!」「まかせとけ!」と恐るべき頑固一徹ぶり。


その言葉に違わず、病院に到着するやいなやトイレに入り、

早々に夫は任務遂行。
さすがやるときゃやる男!頼もしいなあ。

「そっこうやな!」「さすがやな!」の賞賛で迎え入れると

誇らしげに容器を渡してくれた。

でも、いつもは下ネタフルオープンな我々も、

場所が場所、事が事だけに、おはしゃぎはそれまで。

夫の精子を受付の方へ預け、わたしはまもなくベッドへ。
メイクを落とし手術着に着替えると緊張が始まってくる。

看護師の導きにより手術室へ入室。すぐに医師と数人の看護師が入ってくる。
緊張マックスで始まった、わたしの初採卵。


軽い麻酔(なのか?)をされていたこともあり、手術中のことはほとんど覚えていない。
ただ、後半にかなり痛い思いをしたのは今も身体が記憶している。
「いたーーい」って言っちゃった。小娘かよ!

勢いあまって先生の頬っぺた蹴ったりしてないやろうか・・・ごめんなさい…


ぼーっとした、だけど嵐のような時間は過ぎ
「終わりましたよ、ベッドに戻りましょう」と看護師さんに声をかけてもらい、ふと我に返る。
「あの、、採れたんでしょうか、卵?」と恐る恐るたずねるてみるも、
「あとで先生からご説明あると思いますからね、そのときに詳しく聞いてみましょう」とのお返事。

「ああ、今回はだめやったんやなあ」焦点の定まらないぼんやりした目で、
その事実にだけはしっかり気づいた私。


ベッドに戻ると心配顔の夫が迎えてくれた。
そんな顔せんでいいんよ、とふざけた目で答えると、にっこり笑ってくれる。
頼もしいなあ。あなたがいてくれて本当に良かったなあ。

手術は結構痛かった、卵はどうやらとれなかったっぽい、
だけど、ここにこんなにも私を待っててくれてる人がいる、
なんかもう、それだけで今日は十分。そんな気にさせてくれるような笑顔だった。


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次回は採卵結果を簡単に

卵胞確認~採卵まで


■09年10月 初診(不妊治療デビュー)

FSH40という異常高値。早発閉経と診断されホルモン剤の投与を受ける。

その後、2週に一度ほど通院し、血液検査を行ってホルモン状態の経過を見守る。


■11月…FSH/15まで下降、E2/300

卵胞の存在が確認されるがまもなく(3日後に)萎縮。


■12月…今度はFSH/20まで上昇

ホルモン剤のタイプを変更。


■1月…FSH/11まで下降

一桁を目指していたのであともう一歩!

「もう一周期カウフマンしましょう」との診断。


■2月某日…FSH/9 E2/250

「まだちょっとFSH高いですね…」とのことだったが、

2ミリの卵胞が確認されたため、排卵誘発剤を開始する。

自己注射で行う排卵誘発とのことだが、自己注射どころか、排卵誘発自体が初。それ何?美味しいの?状態。

どんな成分なの?それをすると卵はどうなるの?不妊治療開始して4ヶ月、色々なことが初めての体験。

無知すぎて、的確な質問ができない。

とりあえず医師の「注射を一日一回行って、また一週間後に来てください。どんな状態になってるか確認して、

そのときの様子で薬を加減したりします」

という言葉にうなずくことしかできない。

無知なんだから、せめて従順な患者でいなければ。


その後、看護師に注射の方法および簡単な排卵誘発の仕組みを教えてもらう。

先端恐怖症の私は針が見れない。泣きそう。でもがんばる。

わたし「排卵誘発をして、卵が大きくなりすぎて勢いあまって排卵しちゃうってことはないんですか?」

看護師さん「大丈夫でしょう」


■2月某日(前回の一週間後)…FSH/35 LH/30 E2/460
「E2、すごくあがってますね!これは期待できますね」。
初めて聞いた、お医者さんのこんなでっかい声。
私もうれしくて「うわっ」って叫んでしまった。
「危惧してるのはこのLHの値です。ちょっと高すぎるような気が…。」
と言いながらも、興奮の様子が見える医師。


すぐに内診。超音波の画像を見せてもらう。
1週間前に2ミリだった卵胞は、素人目にもものすごく成長していることが分かる。
真ん丸くて、ぷりっとしてて、祝福を受けた英雄のように威風堂々とした卵胞。
ありがとうちゃんと育ってくれて!!!いい子。素直ないい子。
あふれる涙のなかで見たこの姿、私は一生忘れない。

計測すると22ミリ。
「これは明日にでも採卵しなきゃいけませんね」


採卵!!!夢にまで見たこの二文字。
4ヶ月間、このためだけに頑張ってきたんだった。
大好きな仕事もやめたし、めためた頑張って運動もしたし、チョコ制限をはじめ食事にも気をつけたし、ストレスフリーを出来るだけ心がけた。(このストレス管理が実は一番難しかった)


やった~~~!!!

とはいえ、しかし、だけれども。


まさかこんなに突然の来訪とは。
訪問予定の4時間ぐらい前にピンポーン「ごめーん、ちょっと早いけど来ちゃった!」

えーーーいやまだぜんぜん家片付いてないんやけど!みたいな。


明日て!


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次回、採卵当日の物語に続きます

これまでのこと(1)はこちら


これまでのこと(2)はこちら



銀座のクリニックにて、血液検査を行いホルモン状態を調べたところ

「早発卵巣機能不全」と診断される。これは別名「早発閉経」とも言い、
卵巣機能に異常があるため、40歳未満にもかかわらずホルモンバランスが閉経後の状態になっている病気を指す。

医師に「卵巣が動いていない」と言われた時は、
本当にショックで、目の前にある道が閉ざされたような気分になった。
(ちょうどそのときリアルに、院内の別の病室のドアがバタンと閉まった音が聞こえてきて、
”幸福な未来へのドアが閉ざされた”という錯覚が、いっそう現実感をもって襲ってきた)

無月経の期間がこの病気にしては比較的短いことなどの理由から、医師からは、
妊娠できる可能性も十分にありますよと励ましてもらったものの
それでもショックはやはりやまず、どうやって病院から家に帰ったことやら、あまり覚えていない。
結婚したばかりでしたが、遠くない未来にわが子を抱きたいと思っていたし
同じ思いを持っていた夫に申し訳なく、厄介な奥さんをもらった彼が可哀想で仕方なく、涙があふれた。

帰宅した夫にありのままを話すと、「医師の言うとおり可能性は無ではないのだから、
最善の方法で一緒にがんばろう」と元気つけてもらう。
本当に嬉しかったが、またその優しさに対してさえも
「こんな優しい人の遺伝子を残せないかもしれないのだ」と自分を苛めてしまうような有様。

この病気の原因については、まだはっきりしたことは解明されていないそう。
が、遺伝的や自己抗体、染色体異常や甲状腺に問題があるケースが多いようだ。

また、驚いたことは患者数の多さ。私のように20代で罹患する人は1000人に1人だが、
30代になると100人に1人の割合で発症しているんだとか。そんなに珍しい病気ではないのだ。

私の不妊治療は長い長いものになるだろう。
先の見えない戦いであることに加え、好きだった仕事も休職して家にいる日々が息苦しく
気を抜くと鬱々とした気分に襲われてしまう。(ホルモン剤の副作用でもあると思う)
どうしてこんなことになったのか、なんで自分なのか、などと悪いほうに考えてしまう。

そんな私に対しても夫はいつも優しく、私もほとんどの場合それに素直に感謝できるのだが
時には、その優しさに完全に甘えてしまうのか、彼につらく当たってしまったりする。
喧嘩の後は「嗚呼またやってしもうた」と毎回頭を抱えて反省するが、ある日、
身体がくらくらするほど夫に申し訳なくなったことがあり
そのときはっきり、「私は、この人を、私から守らねば!!」と思った。
大好きな人を、私は、私から守る。

こうして何か表現することで心の張りになり、
だめになりそうな自分を、自分で是正できる一助であってくれたらという思いと
同じようにたたかっている人に、自分だけじゃないということを知って
少しでも勇気を持ってもらえたらいいなという思いがあってブログをはじめた
仲間がここにいる、ということを分かってもらって、
その人の心になんらか役にたてればすごく幸せだなと思う。

■2009年9月 結婚

■2009年10月 早発卵巣不全(早発閉経)と診断を受ける  (LH30、FSH40)

■2009年10月~2010年2月 FSH、LHホルモンを下げるため、カウフマン療法

■2010年2月 卵胞が確認されたため、排卵誘発を開始

■2010年3月 採卵を行うも、空砲


これまでのこと(1)はこちら


そんな自暴自棄なわたしが変わることができたのは、現在の夫と出会えたから。

(この人にわたしは一生を懸けて恩返しをしていこうとおもう)


そんな大好きな人と結婚できたのが09年9月。

新婚旅行から帰ってきて、私が一番にしなければいけなかったのは、産婦人科へ行くこと。


実は結婚までの半年間、一度も生理が来ていなかったのだ。

たまに不正出血と思われるものはあった。また、生理がくる兆候を感じることも2ヶ月に一度はあった。

だけどこないのだ。前兆を受けるたびにパンパースを装備して出血に挑むものの、いつまで経っても真っ白なまま。

そんな状態が半年程度続いた。

なぜそんなにも放っておいたか。

生理がなくて楽でいいわと思っていた部分もあったし、就きたい仕事にやっと就けて毎日がこの世の春、みたいに輝いていたのもあるし、結婚に伴う転居や式や旅行の準備でめまぐるしかったのもあるし・・・

しかし今思うと全てが”逃げ”である。

わたしは以前の経験から「自分の身体がどうなってるかわからない」恐怖を知っていて、

その恐怖が現実味を帯びてくることに、真正面から向き合うことが怖かっただけである。


怖い。だけではいけない、ようやっと向かった、銀座の婦人科クリニック。

そこでの現実は、予想をはるかに上回る痛みをわたしに与えることになる。






■2009年9月 結婚

■2009年10月 早発卵巣不全(早発閉経)と診断を受ける  (LH30、FSH40)

■2009年10月~2010年2月 FSH、LHホルモンを下げるため、カウフマン療法

■2010年2月 卵胞が確認されたため、排卵誘発を開始

■2010年3月 採卵を行うも、空砲



振り返ってみれば、もともと生理不順であった。

20歳ぐらいからは周期もばらばらで、18日ぐらいで来たこともあれば40日を越えることも。

卵巣状態はこのころから、良いものではなかったのであろう。


そんな状態が続いていた26歳のころ、3週間ぐらい生理が止まらないことがあった。

原因は大体わかっていて、仕事&プライベートでの大きなストレス。

日に日に経血量も増えていき、立ちくらみや眩暈の回数も増えていく。

自分の身体なのに、どこがどうなっているのかさっぱりわからない、

あのときの恐怖は今でも忘れないが、スタミナつけなきゃ!と天下一品(ラーメン)に毎日通い、大盛りを難なく平らげていたことも忘れないよう付記しておく。


近所の産婦人科にてホルモン剤を処方され出血は漸く収まり、基礎体温をつけるように指示される。

が、わたしは極度の面倒くさがりたる人間であるのに加え、自分や世間に対する不信感が強く、

「子どもなんか別に要らない」と思ってしまっていた(流浪人みたいな人に恋をしていたのも関係している)

ため、毎日一定の時間に”自分の将来のために”計るなんて芸当が出来るわけなんかなかった。

新しく購入した婦人用体温計は一度も使われることはなかった。


わたしは、今でも、このころの自分が大嫌いである。


         

はじめまして、kobiaと申します。

不妊治療をしている、29歳専業主婦。

主に治療の記録として残しておきたいと思います。