9月になり、
日中はまだ夏の名残が
感じられるものの、
朝晩は涼しい風が
さわやかな季節となりました。
8月末、
遅ればせながらの夏休みを
2日間取得しました。
この夏、めずらしいほどの
夏バテに陥っていたと思われるため、
体をしっかり休めること、
仕事では、
かなり詰め込んで仕事をしていたため、
脳を休ませたかったこと、
また、
日頃、考えていたことを
ノートに書き出すなどの、
日々、なかなか手がまわりづらいこと、
あとは少し手間がかかる整理整頓、
◯使わなくなった古いスマホの処分
◯手放す本と手元に残す本の仕分け
◯手放すことにした本で、記録しておきたい部分のノート等への転記
◯手作り化粧品を作ろうとしたものの間違えて購入したものの処分など
を、しておりました。
整理整頓については、
また別途更新したいと思いますが、
体やアタマの思考をしっかり休ませ、
リセットするには、
ほんとに、
自由に思うがまま
気兼ねなく過ごせる日を
2日は欲しいなと思いました。
日々、あれこれ追われていると
そんなこと言ってられない!
と、なりがちですが、
体は正直なもので、
例えば、仕事から帰ってきて、
あるいは外出先から帰ってきて、
パチッとスイッチが切れたように
寝ずにはいられなくなるといったことが
ときどき起こるようになりました。
それで1、2時間ほど寝ると
多少復活はしますが、
もうほんとに寝ている間の記憶がない
爆睡。
いつからこうなったのだろう?
と思いますが、
30代も半ばにさしかかろうとし、
少しずつ、
心も体も変化してきているのか、
今までと同じ生活習慣や行動では、
いけないのだなと実感した瞬間です。
すべきことと、
しなくていいことの振り分けや、
1日、1時間の間にすることを
以前のように詰め込み過ぎないなど、
心にも体にも「余裕」「余白」が必要
と、思うようになりました。
アタマも、
「何も考えない」時間が必要だなと。
ボーっとする時間、大切だなと。
仕事で詰めて
物事を考えすぎているからか、
自分の言葉・文章がオフタイムに
なかなか降りてこなくなりました。
無理矢理考え出した文章って、
まとまりづらいもので、
それは、
仕事でもプライベートでも同様で
仕事中もアタマをフルに使って
文書作成しようとしたり、
企画ものをつくろうとしても、
「思考」が疲れきってか、
あるいは、職場では精神的に
かなり気が張っているためか、
文章がスーっと「降りてくる」ことが
なかなかありません。
案外、
家への帰路の途中、自転車こいでるときや帰宅後にお風呂に入っていたりするときに
スーっと「降りてくる」。
「こんなときに思いつきたくないわー!」
と、思いつつ、
せっかく思いついた
「アイデア」「文章」を忘れないように
忘れないうちにメモ。
体や脳、
心のコンディションを保つためにも、
休養と「余裕」「余白」必要です。
学生時代、
音大でのピアノのレッスンで
恩師から
“感覚”で弾きすぎている。
もっと頭を使いなさい。
と、言われていました。
「もっと頭を使いなさい」と、
その後も言われていたように
思いますが、
先月、久々に師匠に見ていただいたとき、
頭で考えすぎている。
もっと“感じて”
と、アドバイスを受けました。
長らくレッスンでも
「感覚で弾きすぎ」と言われ続け、
自分でも自分のことを
「わたしは感覚の人」と思っていたので、
それが知らない間に
逆転していたことに、
結構な衝撃を受けました。
身を置く環境、習慣で
変わるものなのだと。
それと同時に、
確かにここのところ、
「頭を使いすぎて体もアタマもしんどい」
という自覚があったのは、
そういうことだったのかと、
腑に落ちました。
アタマは理性といいますが、
頭を使いすぎると、
逆に、
体や心で感じた感覚、
直感のようなものが、
鈍ってしまう傾向にあるように思います。
頭で考えることも大切だけど、
直感で感じたことは、
あながち侮ってはいけない、
むしろ、
大事にした方がいいのではないかと
思います。
本来の自分の根元の部分と
直結しているのではないかと。
ここを無視し続けると、
「感覚」がどんどん鈍ってしまう。
そのような訳で、
アタマを使いすぎて
心身疲弊していたようなので、
「感覚」を取り戻すべく、
まずは、身につけるものから、
体が直感で「いい!」と感じるもの
を選んで身につけるように
し始めました。
「頭の理性」と「体と心の感覚」
何事もバランスが大事ですね。
音大でのピアノのレッスンで
恩師から
“感覚”で弾きすぎている。
もっと頭を使いなさい。
と、言われていました。
「もっと頭を使いなさい」と、
その後も言われていたように
思いますが、
先月、久々に師匠に見ていただいたとき、
頭で考えすぎている。
もっと“感じて”
と、アドバイスを受けました。
長らくレッスンでも
「感覚で弾きすぎ」と言われ続け、
自分でも自分のことを
「わたしは感覚の人」と思っていたので、
それが知らない間に
逆転していたことに、
結構な衝撃を受けました。
身を置く環境、習慣で
変わるものなのだと。
それと同時に、
確かにここのところ、
「頭を使いすぎて体もアタマもしんどい」
という自覚があったのは、
そういうことだったのかと、
腑に落ちました。
アタマは理性といいますが、
頭を使いすぎると、
逆に、
体や心で感じた感覚、
直感のようなものが、
鈍ってしまう傾向にあるように思います。
頭で考えることも大切だけど、
直感で感じたことは、
あながち侮ってはいけない、
むしろ、
大事にした方がいいのではないかと
思います。
本来の自分の根元の部分と
直結しているのではないかと。
ここを無視し続けると、
「感覚」がどんどん鈍ってしまう。
そのような訳で、
アタマを使いすぎて
心身疲弊していたようなので、
「感覚」を取り戻すべく、
まずは、身につけるものから、
体が直感で「いい!」と感じるもの
を選んで身につけるように
し始めました。
「頭の理性」と「体と心の感覚」
何事もバランスが大事ですね。
先日、
世間においても職場においても
お盆明けにあたる日、
有給休暇を取って、
かねてから一度、
訪ねてみたかったところへ
行ってきました。
場所は、
JR塩屋駅または山陽電鉄塩屋駅が
最寄りになる、
旧グッゲンハイム邸です。

こちらの踏切を渡って
すぐのところにあります。

1909年(明治42年)に
ドイツ系の貿易商
ジャック・グッゲンハイムによって、
イギリス人建築家A.N.ヘンセルを
設計者として迎え、
建てられたとされているそうです。



毎月第3木曜日の12:00〜17:00に
無料見学会が開催されており、
ガイドはありませんが、
資料を閲覧することができたり、
全館を自由に見ることができます。
なぜ、こちらを訪れたかといいますと、
旧グッゲンハイム邸は、
音楽会などのイベントをされていたり、
ウェディングや、
ヨガなどの教室でのレンタル利用が
可能なのだそうで、
将来、
私がピアノ教室を
主催することにしたときに、
こちらをレッスン会場にしては?と、
考えていたので、
一度見学してみたかったのです。
ネットで見るよりも、
やはり、現地に足を運んで、
実際に目で見て肌で感じて
初めて分かることは、
圧倒的に多いですし。
ちなみにピアノは、
とってもレトロな
アンティークなピアノでした。

JR塩屋駅から。
塩屋から滝の茶屋の周辺は、
見晴らしが最高です。
お盆の間、
頭フル回転、使い過ぎ?!で、
オーバーヒート気味でしたので、
頭の切り替え・リフレッシュに
よい機会となり、
それに、ちょっとだけ、
想像がリアリティを帯びてきたかな?
よい1日となりました。
世間においても職場においても
お盆明けにあたる日、
有給休暇を取って、
かねてから一度、
訪ねてみたかったところへ
行ってきました。
場所は、
JR塩屋駅または山陽電鉄塩屋駅が
最寄りになる、
旧グッゲンハイム邸です。

こちらの踏切を渡って
すぐのところにあります。

1909年(明治42年)に
ドイツ系の貿易商
ジャック・グッゲンハイムによって、
イギリス人建築家A.N.ヘンセルを
設計者として迎え、
建てられたとされているそうです。



毎月第3木曜日の12:00〜17:00に
無料見学会が開催されており、
ガイドはありませんが、
資料を閲覧することができたり、
全館を自由に見ることができます。
なぜ、こちらを訪れたかといいますと、
旧グッゲンハイム邸は、
音楽会などのイベントをされていたり、
ウェディングや、
ヨガなどの教室でのレンタル利用が
可能なのだそうで、
将来、
私がピアノ教室を
主催することにしたときに、
こちらをレッスン会場にしては?と、
考えていたので、
一度見学してみたかったのです。
ネットで見るよりも、
やはり、現地に足を運んで、
実際に目で見て肌で感じて
初めて分かることは、
圧倒的に多いですし。
ちなみにピアノは、
とってもレトロな
アンティークなピアノでした。

JR塩屋駅から。
塩屋から滝の茶屋の周辺は、
見晴らしが最高です。
お盆の間、
頭フル回転、使い過ぎ?!で、
オーバーヒート気味でしたので、
頭の切り替え・リフレッシュに
よい機会となり、
それに、ちょっとだけ、
想像がリアリティを帯びてきたかな?
よい1日となりました。
ピアノの練習中、
「なんか、外が暗くなってきたなぁ。
そろそろカーテンしめようか」
と、時計を見たら、
19時過ぎ。
夏至が過ぎ、お盆を迎え、
日が暮れる時間が
徐々に早くなってきました。
まだまだ暑いものの、
日に寄っては秋の近づきが感じられる
瞬間もあるように思います。
お盆という時期だからか、
そういうことを考える時期だからか、
自分が生きている意味、
また、
その役割は何なのだろうか
と、いったことを考えています。
今年は日航機墜落事故から
32年になりますが、
身近に、
ギリギリでこの便に乗らずに済み、
助かったという方がいらっしゃることを
このほど知りました。
別便で、
羽田から大阪へ帰ってこられ、
伊丹空港で、
搭乗していたかも知れない飛行機で
事故が起こったことを知られ、
大変驚かれたそうです。
この他にも何度か、あわよくば、
という場面に遭遇しつつ、
助かってこられたそうです。
いつ、何が起こるか分からない。
でも、これまで何度も助かってきた。
きっと、それには
何か意味があるのではないか。
理由は分からないけれど、
生かされているのではないかと思う。
と、仰っていました。
毎日、大切にしよう。
「なんか、外が暗くなってきたなぁ。
そろそろカーテンしめようか」
と、時計を見たら、
19時過ぎ。
夏至が過ぎ、お盆を迎え、
日が暮れる時間が
徐々に早くなってきました。
まだまだ暑いものの、
日に寄っては秋の近づきが感じられる
瞬間もあるように思います。
お盆という時期だからか、
そういうことを考える時期だからか、
自分が生きている意味、
また、
その役割は何なのだろうか
と、いったことを考えています。
今年は日航機墜落事故から
32年になりますが、
身近に、
ギリギリでこの便に乗らずに済み、
助かったという方がいらっしゃることを
このほど知りました。
別便で、
羽田から大阪へ帰ってこられ、
伊丹空港で、
搭乗していたかも知れない飛行機で
事故が起こったことを知られ、
大変驚かれたそうです。
この他にも何度か、あわよくば、
という場面に遭遇しつつ、
助かってこられたそうです。
いつ、何が起こるか分からない。
でも、これまで何度も助かってきた。
きっと、それには
何か意味があるのではないか。
理由は分からないけれど、
生かされているのではないかと思う。
と、仰っていました。
毎日、大切にしよう。
ずーっと、
おしゃべりしっぱなし。
かれこれ4時間だったり、5時間だったり。
その間、
めっきりお話に夢中で、
時計を見ることもなく、
時間のこともすっかり忘れ、
あっと言う間でした。
その、「おしゃべり」の話題は、
ピアノに関することのあれこれ。
「おしゃべり」というより、
意見交換であったり
情報共有であったり、
立派な「学び」の場であったように
感じますが、
もう、どんどん、
「そういえば、◯◯について、〜」
「あ、◯◯は〜」
といった具合に、
泉がコンコンと湧き出てくるように
話が尽きず。
やっぱり、好きなことであり、
いつも考えていることだから
だと思います。
ピアノの練習のみならず、
曲のことをいろいろ調べたり、
ある特定の曲の演奏の聴き比べをしたりと、
音楽にまつわることをしていると、
あっと言う間に時間が経っているのも、
やはり、
好きなことで夢中になっているので
時間の経過を感じないからだと思います。
時間が経つのも分からないほど
好きなこと。
逆に言えば、
時間の経過も分からないほど
集中して楽しくし続けられることは、
自分にとって、好きなことである
証拠なのだろうと思います。
おしゃべりしっぱなし。
かれこれ4時間だったり、5時間だったり。
その間、
めっきりお話に夢中で、
時計を見ることもなく、
時間のこともすっかり忘れ、
あっと言う間でした。
その、「おしゃべり」の話題は、
ピアノに関することのあれこれ。
「おしゃべり」というより、
意見交換であったり
情報共有であったり、
立派な「学び」の場であったように
感じますが、
もう、どんどん、
「そういえば、◯◯について、〜」
「あ、◯◯は〜」
といった具合に、
泉がコンコンと湧き出てくるように
話が尽きず。
やっぱり、好きなことであり、
いつも考えていることだから
だと思います。
ピアノの練習のみならず、
曲のことをいろいろ調べたり、
ある特定の曲の演奏の聴き比べをしたりと、
音楽にまつわることをしていると、
あっと言う間に時間が経っているのも、
やはり、
好きなことで夢中になっているので
時間の経過を感じないからだと思います。
時間が経つのも分からないほど
好きなこと。
逆に言えば、
時間の経過も分からないほど
集中して楽しくし続けられることは、
自分にとって、好きなことである
証拠なのだろうと思います。