言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸 -28ページ目

言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸

言葉や音に思いをのせて。
心を、毎日を豊かに。

これまでピアノから学んできたことや、日々の気づきなどを綴っています。

職場は建物の構造上、室温調整が難しく、



夏場は、さんさんと降り注ぐLEDの蛍光灯に、

数多くのパソコン・プリンター・電話機から発生する人工的な熱の影響からか、

空調なしの状態では異様に暑くなります。



朝から室温30度を超えること多々あります。



さらに、廊下には空調設備もないため、最大40度を記録することも。



「これでは、業務に支障がある!」

ということで、朝から冷房が入るわけですが、



この状態で7時間、8時間と長い間居続けますと、

私の体の場合、これはこれで苦痛を伴ってきます。



室温と外気温の温度差が開きすぎると、

体温調節が追いつかなくなるのか、

体に負担が生じます。



実は、昔から冷房とのお付き合いが苦手です。



今は、節電節電と叫ばれていますので、以前程ではありませんが、

外出先で、冷房の影響でお腹が冷えて下してしまうことがあります。

高校生くらいから毎年、何回か起こっています。



夏場に外出するときは、



カーディガン持参

電車もなるべく弱冷車に乗る




などの対策をしていましたし、今も心がけています。



高校3年の9月上旬、初めて恩師にお会いしたとき、




学校の夏服にウール100%の冬用カーディガンを着ていたのですが、



あなた、こんな暑い盛りにウールのカーディガン着てるの

と、とても驚かれました。



さらに、短大1回生のとき、実技レッスンの一つ前の授業の際、

毎週、教室内の冷房が相当冷えていて、

ほぼ毎回、お腹を壊してから実技レッスンに行くはめになっていました。



その状況を察知されていたのか(わたしの顔色が白くなっていた?)、

恩師は暑がりの体質なのに、冷房の温度を高めにしてくださっていました。



お心遣いに感謝です。


自宅では、帰宅直後やピアノの練習中はやや低めにするとか、

冷房がきいてきたら温度を上げるとか、冷房を切るとか、

自由に調整ができますが、




集団生活の中では、なかなかそうはいきません。



だからといって、




無理して周りに合わせてばかりでは、限界がある



自分の体は、自分で守らないといけなんですよね。




近頃は、秋らしい気候となり、過ごしやすくなってきました。




冬までの間、この爽やかな季節を存分に楽しみたいものです。






ブラームスは、若い頃、



いわゆる今でいう“イケメン”だったのだとか。


ですが、生涯独身のまま、

一生を終えています。



ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833-1897)は、

ドイツのハンブルクで生まれました。




J.S.バッハ(Bach)、L.V.ベートーヴェン(Beethoven)と並ぶ、

ドイツ3大B”の一人です。



ベートーヴェンを崇拝していたことで知られ、


ブラームスが交響曲第1番を作曲する際、

崇拝するベートーヴェンの交響曲を意識しすぎてか慎重になりすぎて、



着想から完成までに21年(!)もの歳月がかかったといわれています。



ブラームスの代表作といいますと、

パっと思い浮かぶところでは、



ピアノの連弾曲であるハンガリー舞曲第5番は、



昔、テレビのCM(今でいうCF)のBGMで使用されていましたので、

「あ、聴いたことある!」という方は多いのではないでしょうか。



ちなみに、ハンガリー舞曲は全21曲あります。



ブラームスの子守唄も、

ブラームスの心優しい一面が曲に表れていると思います。



慎重で、頑固で、

自分の思いを言葉にして伝えるのが苦手で、



でも、



子どもに優しかったり、

口では厳しいことを言いながら

相手のことを思って、わざとそういう言葉をかけたり。



財政的に成功したあとも質素倹約の生活を好み、

名前は明かさずに若手の音楽家を支援していたのだそうです。



そんな、人間味あふれるブラームスには、

深いお付き合いをした方がいます。

 

ロベルト・シューマン、クララ・シューマン夫妻です。

ブラームスが20歳のときに出会いました。



とりわけ、クララ・シューマンとは、

生涯を通じてのお付き合いになります。


ロベルト・シューマンは、ピアニストを目指していましたが

無理な独自の練習方法がたたって指を故障、

作曲家や評論家として活動していました。



妻のクララ・シューマンは、

女性ピアニストとしては初めて

ベートーヴェンのピアノソナタ第23番“熱情”を演奏、




確かな腕を持つピアニストとして

ヨーロッパでも知られる存在でした。



ロベルトは、ブラームスの音楽の才能を認め、

様々なメディアを利用し、彼の音楽を広めるため支援しました。

(今思うとすご腕広報マンだったのですね)


ですが、実は、このとき、

ブラームスは密かにクララに対して、

ただならぬ感情を抱いていたようです。



いわゆる、“道ならぬ恋心”。



この話については、様々な学説があります。



二人は愛し合っていた、

クララが7番目に出産したフェリックスは実はブラームスの子どもではないのか、


シューマンが結婚指輪をライン川に投げ捨ててから川に身投げしたのは、

二人の関係を知ってしまったではないか、


などなどです。



あるいは、二人はあくまでプラトニックな関係であり、

最後の最後まで確かな友情で結ばれていた、

という説もあります。


こればかりは、天国のご本人様方にしか分かりません。



ちょうど、20歳のときに作曲した

ピアノ・ソナタ第3番 へ短調 Op.5の第2楽章の冒頭に、

次の詩が記載されています。


たそがれせまり、月の光はかがやく

愛し合う二人の心はひとつに

至福の喜びの中で抱擁し続ける



ブラームスの密かな思いが

この詩に託されているような気がしないでもないです。



ブラームスの音楽は、



「ブラームスの音楽好き」という方と、

「どうも、白黒はっきりしないところがあって苦手だ」という方に

分かれる傾向にあるように感じます。



全体的に音楽に重みがかかっているからでしょうか。




わたしは、完全に個人的な理由ですが、




ブラームスと同じ誕生日であり、

そこから“応援したい”という気持ちがあり、

ブラームスの曲を選曲して弾くことがあります。




ちょっと(だいぶ?)重いですけど、




ザ・ドイツ正統派音楽はいかがでしょうか。

















かれこれ、4、5年ぶりになる


兵庫県新温泉町浜坂への
出張の旅。


13時すぎにJR浜坂駅に着、
このたびの会議&宿泊先へ向かいます。


1時間半ほど、
さまざまな良いアイデアや
建設的な良い意見がたくさん出た
充実した会議をしたのち、


観光資源の調査を名目に、


浜坂三山のひとつ、
観音山登山へ出発です。


当初、事前に聞いていた話では、


普段から山登りをされている
山に慣れた方であれば、
片道20分程度で登れる「やさしい山」


と、聞いていました。


が、


昨年、宮島の弥山を登った際、
「山をナメてはいけない」ことを
散々思い知っていたわたし。


かなり警戒していました。


長袖、デニムに帽子、スニーカーで
スタンバイ。
もちろん水分持参。


いざ、登山スタート!


やはり、ここで、
各々の「日々の運動量」が
明らかになる結果に。


あまり整備されていない山道。


さまざまな石や岩がゴロゴロ、
滑落しそうだと思えるほどの狭い山道。


「これ、結構“本気登山”じゃないの?
想像してたのと、違うんですけど。。。」


ああ、やはり、山はナメてはいけない!


途中ところどころ、


「2丁目」やら「3丁目」やら、
お地蔵さまと一緒にかわいい看板が。


勝手に頂上は「10丁目」と決めつけ、
励みとすることに。
(10丁目がゴールという保証は
どこにもありませんでしたが)


わたしも、そんなに日々運動しているとは
言えない方だと思いつつ、


通勤時に自転車こいだり、
たまにヨガのポーズしたり、
ピアノの練習したり(←わたしにとっては立派な“運動”である) 


といった具合で、


毎日運動されている方々とは
比べ物にならないけれど、


まだ「運動してる方」ではあったようで、


気がつけば、
先頭と最後尾に距離が。


日々、何をするにも車利用の方や
完全に運動不足の方には、
厳しかったようです。


わたしも、途中
音を上げそうになりましたがこらえ、


去年、弥山に登ったのだから!と、
自らを奮い立たせながら、
なんとか“先頭集団”についていっていました。


黙々と歩き続けると、


お寺の山門が見えてきました。
そこをもう少し進むと鐘が。


さらに、もう少し進むと、


少しずつ、外の明るさが
山の中に差し込んできました。





8丁目あたりだったかな?
浜坂の町を見下ろして。素敵な里山です。


さらに、もう少し食いしばって登ると、





なんか、いい感じの雰囲気です。
この奥には毎年4月になると
一般公開されている観音さまをまつった
ほこらがありました。


皆、ここがゴールと思いそうになるものの


ここが頂上ではないと、
地元出身のメンバー。


さらにさらに、もう一息食いしばって
先に進むと、


















ここが観音山の頂上からの景色でした。
ああ、ここまでがんばって登ってきて
良かったと思える景色でした。


片道1時間かかりました。


時間は夕方。
日が暮れないうちに下山です。


下りは下りで
上りとは違った大変さでした。


この日、われわれが浜坂に集合する前に
雨が降ったらしく、
山道がいつも以上に滑りやすくなっていたそうで、


わたしも細心の注意を払いながら、
ときに横歩き姿勢になったり、
やじろべえみたいにバランスを取りながら
下山をしていましたが、


途中何度か滑り、
前の方に当たるか否かくらいの
スレスレのところまで滑ったことも。



一度登ってきた道だからか、
下りは45分程で
下りてくることができました。


山道の途中、


「観音山は、浜坂町民の誇りです」
という看板がありました。


地元の方々に愛されている山なのだなと、
とても感じたとともに、


大変だったけれども、
とても素敵な思い出となりました。


また、気持ち新たにがんばろう!












このほど、


兵庫県美方郡新温泉町にあります
浜坂温泉へ、


仕事で行ってきました。


浜坂は、


兵庫県の北の端、
日本海側に位置し、


西は鳥取県、
兵庫県日本海側の海岸線や
豊岡市の玄武洞(げんぶどう)、
東は京丹後までの一帯、


世界ジオパークネットワークに認定された
山陰海岸ジオパーク内に位置し、


鋭く切りだった岩肌、
珍しい形をした岩など、


地質学上、素晴らしい地形を有し、


雄大な豊かな大自然に
恵まれた土地です。


新温泉町といえば、


NHKの朝の連続テレビ小説
「夢千代日記」で有名になった湯村温泉が
有名で、


新温泉町から
1時間から1時間半ほどのところには
城崎温泉があり、


浜坂温泉はどうしても
両温泉に押されがちですが、


滑らかなツルツルお肌になれる
湯量豊富な温泉、


海あり山あり里あり
豊かな大自然があり、


長閑な、
ゆったりとした時間の流れの中に
身を置き、


日々の都会の喧騒で疲れた
心身を癒すのには、
ふさわしいところではないでしょうか。


浜坂へは、電車の場合、


JR尼崎駅から豊岡駅まで
特急こうのとりに乗り、
その後、山陰本線に乗り換える方法、


途中、姫路駅から播但線になる
特急はまかぜで浜坂駅まで行く方法、


京都駅や大阪駅から出ている
特急スーパーはくとで鳥取まで行き、
山陰本線に乗り換える方法


が、あり、
約3時間の旅となりますが、


わたしはできるだけ、


乗り換えが多く、
「休憩」ができるインバータルが
ある方が良いので、


最寄駅から相生(あいおい)駅まで、
相生駅から上郡(かみごおり)駅、


上郡駅で1時間ほど休憩してから
特急スーパーはくとで鳥取駅へ向かい、


山陰本線・城崎温泉行で
浜坂に向かいました。


朝8時15分くらいに家を出て、
浜坂には13時02分着の
約5時間の旅でした。




特急スーパーはくと内で。





岡山県の湯郷温泉へは、
こちらの大原駅で乗り換えます。





JR鳥取駅で途中下車。





いよいよ浜坂に向かいます。





鳥取・福部周辺。











東浜。ここは思い出の地です。
中学2年のときに水泳キャンプで来た、
鳥取県岩美町の羽尾海岸。




サーファーの方々が
よく訪れるのだとか。


今思うと、


わたしと山陰地方との縁は、
中学のときから繋がっていたのだろうか。





海を越えて山一色に。
いよいよ浜坂駅に着です。





浜坂駅に着いたら、
豪華列車「瑞風」が停車中でした。


わたしが乗り物が
苦手になってしまったのは、


浜坂出張が事の始まりでした。


一時は日常生活に支障が生じるまでに
なってしまったこともありましたが、


4年、5年かけて、
何度も乗り換えしつつ、
よく効くと言われる酔い止めを飲みつつ
でしたが、


途中辛くなることなく、
元気なまま神戸から浜坂まで行けたことは、


わたしにとって、
とても大きなことを得られた旅路と
思っています。


山陰・ノルスタジックの旅、つづく。


















8月末の2日間の休暇を利用して、


少し手間がかかる整理整頓を
しました。


◯使わなくなった古いスマホの処分
◯手放す本と手元に残す本の仕分け
◯手放すことにした本で、記録しておきたい部分のノート等への転記
◯手作り化粧品を作ろうとしたものの間違えて購入したものの処分
◯今は必要のなくなった書類の整理
◯合わなくなった、もしくは古くなった衣類の整理


などです。


定期的に整理整頓しているので
それほど部屋が片付いていないとかは
ありませんが、


確かに本は、日々増えており、
収納スペースに限りがあるので
全部を全部置いておけないし、


使っていないもの、使えなくなったもの、
合わなくなったものを
そのまま置いておくのは、


やはりスペースの問題と、


身軽にして新しい風を吹き込みたい、
空間にも「余裕」「余白」を持つことで、
ゆとりと流れの良さを保ちたい


との考えからです。


そう考えると、


まだまだスッキリできるな!と。


まずは、古くなったスマホから。


こちらはまずは、
データの移動もしくは消去。
それからSDカードとSIMカードを抜く。


情報化の時代、
個人情報を守ることが年々難しくなりつつある昨今。


自分では消去したはずのデータが、
プロの手にかかると、
ある部分が残っていると復元できる!
とやらで、


情報の仕分けをし、
消去すると決めたデータは、
個人情報を守るためにも、
確実に消去したいものです。


これでもか!と、自分なりに
消去できているかしっかり確認し、
それから携帯電話ショップの直営店へ
引き取っていただきに行きました。


最後の仕上げをしていただいて、
無事に完了。


なお、携帯電話ショップによって、
スマホを引き取ってくださる会社と
そうでない会社があるようです。



次に、手作り化粧品を作ろうとしたものの、
間違えて購入したものの処分です。


こちらは、購入店に持参して
事情を説明、


返品・交換ではなく、
処分の仕方が分からず困っている旨を
お伝えしたところ、


お店で引き取って処分してくださることに。


一件落着しました。


一気にドカン!という
整理整頓ではありませんが、


着実に本当に必要なもののみを
残していっているので、


1つひとつのものに対する時間であったり
使用頻度といったものが
多くなっているように思います。


今の自分にとって必要なもの、
そうでないものの分別と整理によって、


その他の場面でも起こる
その時々の選択をするための直感が
養われていっているようにも
感じます。


部屋がスッキリして、
気分もスッキリして、
直感も養われて、


一石三鳥ではないでしょうか。