「さあ行け、フォルゲレ戦士」

 


11月5日をもちまして神戸大学フットサル部FORCA×Guerreillaを引退させていただきました、#20 服部将大です。久しぶりのブログになりますが、私の4年間の部活動人生の振り返りと伝えたいことを書きたいと思います。どうか、最後までお付き合い願えると幸いです。

 

私の大学フットサル人生を語るうえで欠かせないものは、怪我との戦いでした。コロナ禍の影響で1年生の10月に入部し、慣れないながらも楽しくフットサルを続けているさなか、足首の捻挫はしょっちゅうしていたり膝の皿が欠けて手術が必要になったりと1年生の終盤から2年生の間で満足できる状態でプレーができたことよりも、見学やリハビリをしている時間の方が長かったです。当時の事を後輩の川岡も「怪我ばっかりしている先輩いるな~」という印象を持つほどに。

 

もう本当に悔しかった。

自分よりも遅くに入った同回が活躍する姿を見ながらスタッツをかいてベンチに座っていたり、日々上達していく後輩がサテライトからトップに上がって活躍したりと自分だけ置いて行かれる気がしてならなかった。

 

当時それでも、部活を辞めることを考えたことはなく続けてこられたのは私が1年生の時の4年生の先輩から「将大は最後にはなんだかんだチームの中心で活躍してそう」という言葉をもらったからである。先輩は何気なく仰ったであろうこの言葉でも、ずっと心に残っていて私を「最後までやりきろう」と動かす原動力になった。それから、見学中でも復帰したときにみんなに少しでも早く追いつけるようにするための準備として怪我をする前から自分の持ち味であったフィジカルの強さをさらに強化したり、プロの選手の動画を見たり練習の様子を見て自分ならどう動くか考えたりした。

そうして、やっとの思いで復帰した後すぐの紅白戦で先輩から「めっちゃ上手くなってるやん!」と言われた時は得も言われぬような嬉しさが込み上げてきた。自分の努力がほんの少しだけ報われたような気がした。

 

時は流れ、去年の年明けに同期の一人が部活を辞めてしまった。辞める決断をする前に飲みに行ったときに言い放った言葉は今でも覚えている。

「何のために部活している?」

最上回生になり、キャプテンもしていた彼は重い怪我に何度も苦しまされ、次もう一回プレーして手術することになったら部活を辞めても後悔はないというところまでいって辞めていった。わざわざ貴重な大学の4年間のほとんどを高校までと変わらない、またはそれ以上に熱量をもって部活動をしているのはなぜか考えさせられる機会になった。飲み会のその場での自分の答えは端的に言うと「後輩のため」である。自分がそれまで部活を続けられたのは紛れもなく先輩たちの言動によって支えられたことが大きく、そんな先輩に自分もなって後輩たちを支えたいと思ったのだ。そんな思いをそれまでよりも明確に持って最後の4年目に突入した。

 

4年目の目標はサテライトのTOPリーグへの昇格。サテライトチームとしての目標でもあり、個人としてもこれを達成することは部活を続ける一つの大きな目標であった。また、チーム全体としての目標であったインカレ全国出場も同期と共に戦う最後の大会になるということもあり気持ちの入り方は今までのインカレで一番強かった。本番の前半入って直ぐに応援で喉をつぶしてしまい、応援のリードを後輩に任せてしまうくらいに力が入っていた。

 

結果はご存じのとおり、同志社大学さん相手にPK戦までに及ぶ激戦の末、敗退した。負けた瞬間の記憶はあまり残っていない。負けてしまったことを後輩たちに謝られたが、ピッチで戦う実力が足らなかった自分は何も答えられなかった。

 

試合が終わった後、監督の川岡と4年生の間で今後の進退について話す場が設けられた。

 

川岡の隣にいた私は、「続ける」と即答した。

こんな無力感を抱えて終われるわけがない。

 

 

インカレが終わってリーグ戦に本格的に照準を合わせた時には私は怪我で選手として空白だった時の分まで出し切ってやろうとそれまで以上に全力で練習から取り組んだ。

 

ミドルリーグでは昨年までよりも個人としてもサテライトとしても順調な結果を出し続けていた。多少のトラブルがあって自動昇格は困難になったものの、リーグ前期では2位につけることができた。

当初はこのリーグ前期で引退するつもりでいたが、チームの方針や大会日程の都合、自分が初めて出た公式戦が全日ということもあり、全日まで残ることにした。

 

その全日の一回戦である意味自分らしい?締めくくり方をしてしまった。

前半の終盤にひざを負傷。靭帯を損傷してしまった。

恥ずかしながら、ハーフタイムに泣きそうになった。

最後まで怪我かよ...と一瞬落ち込んだ。

 

だが、まだ試合は終わっていない。めちゃくちゃ膝が痛いし、かくついてまともに走れないかもしれないが声は出せる。みんなに頑張ってもらわなくちゃいけない、そう思っていると涙は引っ込んだ。

 

そうして声を出していると、なんか動ける気がした。テーピングをすれば出られるかもしれない。今できるベストを尽くさないと、と思って必死で巻いた。

状況は負けてる、残り2分。まだ間に合うと思って出場した。

まっすぐ走る分には遜色なく、十分戦えると思った。

 

しかし結果的には得点できず、敗退してしまった。

 

最終試合だったこともあり、会場の片付けをしているとそこで初めて引退する実感が湧いた。次の日がミドルリーグの順位決定戦で、自分が出場できるか非常に厳しい状態だったためチームのみんなには本当に迷惑をかけたと思う。

 

引退試合であると周知していたこともあり、その試合に出場できないことは普通だったら残念なことかもしれないしやり切れないことかもしれない

 

しかし、私はチームのためを思うと自分はいつまでもいてはいけないと思った。

目標であるTOPリーグへ昇格をしたとしても、その後残留し続けるために、更に昇格を目指していくためにはどんどん新しい選手が活躍できるようにするべきだ。全日で当たったチームも自分たちが目指すリーグで結果を残しているチームであり、そこを相手にとてもいい勝負ができていた。あの強度があればやっていけると思った。

さらに、自分が完全に出ていなかった翌日の順位決定戦も、先制点を許す悪い流れであったがそんな相手の雰囲気を払拭する逆転勝利であった。神大フットサル部の長年の課題であった、逆転する力や逆境を乗り越える力がついてきた証拠だと感じた。

 

そんな後輩たちの姿を見ていると、自分がここまで残ってやってきてよかったと満足した。この瞬間がこの部活動を引退するときだろうとも感じた。

 

最後に、後輩のみんなに伝えたいことを書きます。

まずは感謝しかありません。

4年生として一番長く在籍させてもらいましたが、こんな私を最後まで必要としてくれてありがとうございました。

サテライトのみんなには特にお世話になりました。トップに行くかサテに残るかという選択でサテに残ってくれた人、半分新入生という中でも辛抱強くフットサルを教える姿で見せて引っ張ってくれた人、入ったばかりで困惑しながらも必死に食らいついてくれた人。本当に一緒に戦ってくれてありがとう。

 

みんなに特に大事にしてほしいことは「機会」を逃さないように準備を怠らないでほしいということです。

自分はいろんなタイミングで貴重なチャンスを棒に振ってきました。フットサル選手として一番成長できるであろう2年生の時期にまともにプレーができなかったこと、トップに一度練習で上げてもらっても大した活躍ができずにすぐ逆戻りしたこと、試合で決定機を外したことなど、あの場面でこうできれば、あのときもっとこうしていればという後悔は数えきれないです。その結果が私の選手としての最終的な立ち位置にも繋がってきてしまっています。

残酷ながらそんな機会も不平等にしか訪れません。身をもって味わいました。

ちゃんと準備してきた、結果を残すだけの努力をしてきた人にしか「機会」は訪れません。

 

薄々1年生でも気づいてきたのではないかと思いますが、

セットの組み方、セットの序列、トップとサテライトなどはっきりと差を見せつけられます。そこで序列を上げる「機会」を掴むためには少しでも長く練習に臨む必要があります。当然ですね。体調を整え、怪我をせずピッチに立ち続ける。それがスタートラインです。

そこから、日々の練習でどれだけ目標を持ち主体的に練習に参加できるかで成長度合いが大きく変わります。

 

自分は最後までサテライトに居続けていたけれど、そこで共に頑張ってきた後輩たちには特にトップで活躍してほしいと思っています。

もちろん、今トップにいる選手にも更なる成長を遂げて素晴らしい結果を残してもらいたいです。

 

そうやってみんなが前を向いて競い合い、時には支えあうチームとして一体となって目標に向かっていく。そんなフォルゲレをスタンドから応援したいです。応援しています。

 

本当に楽しい、満足できる最高のフォルゲレ生活でした!

みんなが引退するときに笑っていい部活動人生だったと言えることを願っています。

 

VAMOS 神大!!

#20 pivo 服部 将大