「書き出し小説」なるものを知っているだろうか。これは要するに、「書き出し」だけの小説というわけだ。何事も書き出しが肝要という訳で、最初の一行を書いたらそれは無限に広がる可能性の始まりなのだ。そのあとは何を考えるも読者次第。観測者が内部を観測するまでは内部の状態は確率の波でしかない。こうゆうのなんてゆったかな。たぶんシュレディンガーさんの犬だか、猫だか。
 そういうわけで、書き出し小説は想像力を掻き立ててくれる最高の読み物ではないかと思う。可能であるのならば私もこのブログを一文で終えたいものだ。解釈は全て諸君にまかせて。文章を書くのは好きだが、なんせ書き出しに迷う。鉤括弧から始まる文章は世間にありふれているらしいし、無用な自己紹介で始める必要もないはずだ。
 ここで私の気に入った書き出し小説をいくつか『書き出し文学大賞』から抜き出して紹介しよう。こんなものには興味がない?去るもの追わず。
・「牧場で曲がり角を見つけた。」(にかしど氏、第207回 自由部門)
 作者によれば「牧場」の対義語は間違いなく「曲がり角」なのだそうだ。期待や不安を感じさせる曲がり角を、平穏の象徴かのような牧場で発見する。これから始まるストーリーに胸を躍らせないわけがない。

・「ある夜から妻の寝言が英語になった。」(もんぜん氏 第248回 テーマ:夫婦部門)
シュールすぎて面白い。
むにゃむにゃ…can't eat anymore…というわけだ。

・「自動ドアが君を裂いた。」(タカタカコッタ氏、第253回 自由部門)
これに関しては説明不要だろう。意味がわからない。
こんな賞が250回も続いているのだから世界は平和に違いない。
 
 書き出し小説と出会ったのは高校生の頃だ。夜な夜な魑魅魍魎が跋扈するインターネットの海を泳いでいたところ、なぜか周りより大学に入るのが一年遅くなっていた。同じような境遇の新入生が大学入学までのこの期間、多少不安な気持ちを抱いているかもしれない。しかし意外にも君のことをそんなに深く気にしている人間はほとんどいないのである。いい意味でも悪い意味でも。心配は無用だ。
 誰しも大学に入りたての頃は、道に迷うだろう。薔薇色のキャンパスライフを送るためにはどんなサークルに入ったら良いのだろうか。どんな部活に入ったらいいのだろうか。もちろん後者を選ぶような人間は皆、狂人である。華の大学生活を目指し受験勉強に勤しんだというのに、麗しき乙女たちと戯れる機会をみすみす逃した上に汗臭く唾棄すべき男たちの中で週4.5日も部活に捧げるなんて。そう思う人も多いであろう。安心したまえ、君に乙女たちと戯れる大学生活が訪れる可能性はミドリムシの涙ほどもない。
 
 人は誰しも最初は初心者で、常に初心者であり続ける。ここでいう初心者とはフットサルをやったことがある、ないとかそんなくだらないことではなく、新たなことに挑戦する身、新たな場所に身を投じる存在であるということである。初心者とはすなわち「書き出す」存在である、そう私は思う。人はいつも新たな物語を書き出している。君がサッカーを始めたこと、大学受験に合格したこと、今日家を出たことだってそうだ。その一つ一つから枝葉が伸びていく。どう切り取るかによって人の物語は変化するが、「書き出し」こそ人間の物語を形作る大きなファクターだというわけだ。完結している物語など結果論でしかない。自分の一つの決断が君の選んだ、君だけの「書き出し」であり、その先に続く物語は自分だけが描くことのできる物だ。もしフットサル部に入ることを決めた自分を想像し、その先に続く物語が自分の中にあるのなら、それは挑戦の萌であろう。

自動ドアに裂かれてみたい諸君を待っています。

古荘景悟