人は一つのことに集中して、ほかのことに気を取られなければ、
その分野で**最大の力(限界値)**を引き出すことができます。

逆に、あれもこれも同時にやろうとすると、
• 時間が分散し
• 心が散って
• 深さがなくなり
• 結局、成果が弱くなります

だから聖書でも「一つの心」「全力」「ただ一つに」とよく言われます。

イエス様もこう言われました。

「だれも二人の主人に仕えることはできない」
(マタイ6:24)

つまり、心が二つに割れると力が落ちます。

集中する人は強くなります。
集中し続ける人は、その分野で必ず伸びていきます。

しかし大事なのは、
何に集中するかです。

世の成功だけに集中すると空しくなりますが、
神の国に集中すると、永遠の実を結びます。

集中は力であり、全心は祝福の道です。

悪魔は、占いや魔術、手相などを通して人を支配し、
神から引き離し、地獄へ導こうとする。

 

サムエル記上 15:22-23

サムエルは言った。 「主が喜ばれるのは 焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。 むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。

見よ、聞き従うことはいけにえにまさり 耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。 反逆は占いの罪高慢は偶像崇拝に等しい。 主の御言葉を退けたあなたは 王位から退けられる。」

 

主の言葉を拒絶するとき、

悪魔に扉を開くことになり、

悪魔は合法的に働く

 


                ローマ6:16-18
知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、 罪から解放され、義に仕えるようになりました。

 

 

テサロニケの信徒への手紙一 5:3-4

人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。

 

ヤコブの手紙 4:6-8

神は、高慢な者を敵とし、 謙遜な者には恵みをお与えになる。だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。

 

ヨハネの黙示録 21:8
8しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である

 

Ⅱペトロの手紙 2章

4神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。

6また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。

20わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。

21義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。 22ことわざに、 「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」 また、 「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」 と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。


         
 

*占いや魔術は、人を支配し神から遠ざける悪魔の道具

霊的なリーダーにとって一番最初に大切なのは、イエスの名によって

悪魔や悪霊との霊的な戦いに打ち勝つことです。


現代のキリスト教界における「間違った教えの流れ」をどのように見分け、正していくべきか。

1. 現代における「背教の流れ」の警戒 

現在、教会の中で「ひっくり返さなければならない間違った教えの流れ」が起きており、これに気づかずに従うことの危険性が強調されています。この流れを正さなければ、神の怒りが臨むと警告されています 。

2. 間違った伝道と「繁栄主義」への批判 

  • 現世利益を強調する伝道: 「イエスを信じれば病気が治る、金持ちになる、幸せになる」といった言葉で伝道しています 。

  • 問題点: このような動機で信者になった場合、抱えていた問題が解決すると信仰が必要なくなってしまいます。

  • 真の伝道: 伝道とは「道」を伝えることであり、現世での利益ではなく「永遠の命の救い」と「イエスこそが救い主であること」を伝えるべき。

3. 奇跡や現象への執着に対する警告

  • しるし(奇跡)のみを求める危うさ: 真理の御言葉を愛さず、奇跡や現象(例えば、人が倒れる現象など)だけを追い求める人々に対して、神は「偽りのしるし」を許されることがある。

  • 本質の欠如: 罪の悔い改めや、聖霊による「新しく生まれること(新生)」の教えがないまま、単に不思議な現象を起こそうとする動きを警戒するべきです。

4. 信仰者の備えと霊的戦い

  • 自己の改革: 世の流れに流されないために、普段から熱心に祈り、自分自身を霊的に強く保つ必要があります 。

  • 意識の変化: わずか5分、10分の時間の使い方や意識の持ち方が、霊的には大きな差を生む 。

5. 宗教混合主義(WCCなど)への反対

他の宗教でも熱心に信じれば天国で会えるといった、聖書とは正反対の教え(WCCなどの動き)を「サタンの運動」である。目先の支援やお金のために、真理を曲げてそれらに加担することの危いです。

 

結論として: 信仰の目的はあくまで「イエス・キリスト」そのものであるべきであり、奇跡や現世の祝福を第一とする「繁栄主義」の流れを、御言葉と聖霊の助けによって見分け、拒絶しなければならない!

 

新しい年を真の希望とともに迎えるために必要な「霊的な準備」

 

1. 新年を汚さないための「精算」

神から与えられる新年は、本来真っ白で汚れのないものですが、過去の罪や問題を抱えたまま年を越すと、その新しい年をも汚してしまうことになります。過去の苦しみや病、神との間のわだかまりを新年に「繰り越す」のではなく、今のうちに神の前ですべてを精算し、改善することが重要です。

 

2. 行いの伴わない信仰は「死んだもの」ヤコブ書2章19節〜26節

単に「信じている」と口にするだけの信仰を厳しく戒めています。アブラハムが息子を捧げようとしたように、神への従順な「行い」があって初めて信仰は完成されます。行いが伴わない信仰は、神とつながっていない「死んだ信仰」であり、それでは神の助けを得ることはできません。

 

3. 聖霊が与えられる真の理由

人間は自分の力だけでは、肉体の欲望を抑えて神に従い続けることは困難です。そこで、イエスを信じる者には「聖霊」が約束されています。聖霊の役割は、信者が神に従う「行い」を全うできるよう助け、信仰を完成へと導くことにあります。

 

 聖霊を送った理由は何ですか?

主エスを信じる人の信仰が、行いによって完成できるように、

人は自分ではそういう力を持っていないから。

助けて行いが完成できるように、行いによって信仰が完成できて、

救いに至るようにするために、イエス様を信じる者に!聖霊を送る。

 

4. 突然の災いに備える生き方

人生には予期せぬ病や事故が起こり得ますが、日頃から神との関係を正している人は、ヒゼキヤ王のように神に助けを求める「根拠」を持つことができます。自分の中に「隠れた罪」という時限爆弾を抱えたままにせず、常に悔い改めの心を持つことが、安全で喜びのある人生につながります。

 

結論

新しい年を単なる形式的なお祝いにするのではなく、今この瞬間に自分自身を深く振り返り、神との正しい関係を再構築(精算)することで、真に勝利と希望に満ちた新年を迎えましょう。

16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 

17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

18「主の霊がわたしの上におられる。

貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、

19主の恵みの年を告げるためである。」僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』

24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 

25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 

26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。

27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 

 

 

列王記上 17

8また主の言葉がエリヤに臨んだ。 9「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」 10彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った 11彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った12彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられま

す。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけ

です。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それ

を食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」 13エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、

あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って

来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。 14なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。

主が地の面に雨を降らせる日まで,壺の粉は尽きることなく,瓶の油はなくならない。」

15やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事

欠かなかった。 16主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくなら

なかった。

 

創世記 12:3 地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。       

 

ガラテヤ 3:28–29

26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 27洗礼を受けてキリストに結ばれた、あなたがたは皆、キリストを着ているからです。 28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分

の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 29あなたがたは、もし

キリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

 

イザヤ 56:7

わたしの家はすべての民の祈りの家と呼ばれる。 

 

使徒言行録 10章

34そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 35どんな国の人

でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 36神がイエス・キリストによって――この方こ

そ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、

 

黙示録 7章

9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれ

ないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう

叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。

 

 

ヨブ記 37:23-24

全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。

神は優れた力をもって治めておられる。

憐れみ深い人を苦しめることはなさらない

それゆえ、人は神を畏れ敬う。

人の知恵はすべて顧みるに値しない。'

主なる神にささげる正しい信仰と心の大切さ

2コリント 8:4–5

彼らは、まず自分自身を主にささげた。

マケドニアの教会は、苦しみの中でも喜んで献げました。

理由は、“まず自分自身をイエス様に捧げた”から。

神であるイエス様にささげる信仰は、私自身が神のものです、という告白と実行から始まることを示します。


創世記 22章(アブラハム)

アブラハムの献げ物は、単なる宗教的行為ではなく、

神の約束を信じ切った信頼の決断。

「ささげる信仰」は、神がどんな方であるかを知るほど深まります。


ローマ 12:1

「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生けるいけにえとしてささげなさい。」

ここでいう「からだ」とは、人生・生活そのもの。

礼拝での献金や奉仕だけでなく、日々の選択・言葉・態度を神にゆだね、

御言葉通り生活することが、本当の意味での「ささげる信仰」です。


ヘブル 11:6

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」

神が求められるのは、量や形式ではなく、神を信頼する関係性そのもの。

ささげる行為の中心に“信頼”があるとき、そのささげ物は神の喜びになります。


詩篇 51:17

「神の求めるいけにえは、悔いた心。砕かれた心。」


神であるイエスの名によって、悔い改めて、父なる神に赦しを頂く事からが、信仰生活のスタートである。

 

罪と悔い改めの本質的な重要性

1. サタンの「合法的」な働き

説教の核心は、サタンが信者を攻撃する際、神の許しと法則に基づいて合法的に働く場合があるという点です。多くのクリスチャンは、自分が神の子になったからサタンの攻撃とは無縁だと考えがちですが、それは無知であると警告されています。

神は義であり、公正に世界を統治されるため、人が罪を犯した結果として、サタンがその人の弱い部分や罪のある部分を攻撃する許可を与えることがあります。これは、悪霊の攻撃から逃れるためには、単に祈りや追い出しの言葉を使うだけでなく、神の法則を理解する必要があることを意味します。

2. ヨブ記とペテロの事例からの教訓

  • ヨブ記の真実: ヨブが「無垢で正しい」とされたのは、世の人々と比較して正しいという相対的な意味であり、絶対的な罪がないわけではありませんでした。神がサタンにヨブを試すことを許したのは、ヨブにも気づいていない罪や欠点があったからです。ヨブの試練は、彼が自身の罪を認め、心から悔い改めるまで終わりませんでした。悔い改めた後、神は彼の失ったものの2倍を祝福として回復させました。

  • ペテロのふるい: イエス・キリストの弟子であるペテロでさえ、サタンが彼を「麦のようにふるいにかける」ことを神に求め、それが許されました。その結果、ペテロはイエス様を呪いの言葉を口にさえして、否認するという、信仰の危機に陥りました。この事例は、熱心な信者であっても、心に正しいでない部分があれば、サタンの合法的かつ許された攻撃を受ける可能性があることを示しています

3. 悪霊の追い出しと聖霊の働き

この法則を理解しないまま、いくら熱心に祈っても、悪霊の追い出しはできません。

  • 罪は壁: 罪は、神と人との間を隔てる**「壁」**となります。神の助けの手は長く、耳は遠くありませんが、この壁があるために、神の力は届かず、祈りも聞き届けられません。

  • 悔い改めが先決: 悪霊のいる状態は、腐った食べ物(罪)にハエ(悪霊)が群がっているようなものです。ハエを追い払っても、腐った食べ物が残っていればハエは戻ってきます。悪霊の追い出しを成功させ、聖霊の力に満たされるためには、まず徹底的に自分の罪を探し出し、悔い改めること(壁を取り払うこと)が先決です。

まとめ

信仰生活における困難や問題に直面したとき、闇雲に救いを求めるのではなく、まず自己点検し、神の前に正しい信仰に立ち返ることが、勝利への道である。悔い改めこそが、聖霊の働きと神の恵みを経験するための基本である。

神様の望まれる信仰生活とは、単に静かに待つ受動的なものではなく、絶え間ない霊的な戦いを通じて実現される動的な勝利の人生である。

 

1. 霊的戦いの本質

 

キリストがこの世に来られた第一の目的は、人類を闇の力から解放し、その支配の働きを根本から打ち砕くことでした。

  • 現状認識: 人間は生まれながらにして、この闇の力による縛り妨害の中に置かれています。この支配が解かれない限り、真に神様のもとへ立ち返ることも、神のメッセージを人々に伝える(伝道)こともできません。

  • 神の国の到来: 悪の力が追い出され、神の聖なる力が満たされるとき、私たちのうちにも、また周りの世界にも、神の統治(神の国)が現実のものとして現れ始めます。


 

2. 弟子としての道

 

キリストの教えを生きる者、すなわち弟子となることは、単に言葉や形式の上で信じることではありません。

  • 積極的な行動: それは、キリストがされたように、自らこの霊的な戦いに立ち上がり、悪の勢力を打ち破る戦士となることを意味します。

  • 敵への対峙: この戦いに参加せず、傍観したり、闇の力と手を組んで生きる者は、結果としてキリストの働きに反対し、人々を散らす側になってしまうと警告されています。


 

3. 勝利の条件

 

この戦いに勝ち続けるためには、特定の実践的な訓練が不可欠です。

  • 集中と断食: 勝利を得るためには、ひたすら神に集中する祈りと、肉的な欲求を抑える断食が必須の手段とされています。これらは、闇の勢力が特に抵抗し、その勢力を追い出すために必要な力強い権威を伴うからです。

  • 継続的な警戒: 霊的な戦いは一時的なイベントではなく、私たちがこの世を生きる限り、毎日続けるべき継続的な努力です。過去の経験や形式的な習慣に頼るのではなく、日々強くなることを目指さなければなりません。


 

4. 信仰の実践がもたらす変化

 

信仰生活を真剣に実践し、この霊的な戦いに勝利する者は、個人的な体験を通して神の力を知ります。

  • 解放と回復: 集中した祈りによって、病や身体の不調といった肉体の縛りから解放されたり、どうにもならないと諦めていた問題が解決したりする奇跡的な回復が起こり得ます。

  • 真の幸福: 神の御心に従って生きることは、魂の最も深い部分にある生きがいと幸福につながります逆に、その体験のない状態は、悪の力に縛られたままの空虚な状態である。

形だけの信仰から抜け出し、本質的な力真の自由を得るために、日々の生活の中で積極的に霊的な戦いに立ち上がるよう頑張るべきです。

感謝がどれほど大切かを悟らせる夢を見ました。


寝る前に「主よ、イエス様は私をどのように見ておられるのでしょうか」と祈って眠りについた時の夢である。

わたしは東京EMCの神学校と先生たちを前にして、説教台に立っていた。

言葉を開く前に、まず神様への感謝を告げていた。「ここまで来られたのは、ただ主の恵みです。」と口にすると、胸の奥がいっぱいになり、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえながら語っていた。自分の霊が、そのまま主への感謝を叫んでいるように感じた。

次に沈牧師へ感謝を伝えていた。「ここまで来られたのは、先生が私を忍耐深く導いてくださったおかげです」と語ると、また心の底から感謝の涙が込み上げていた。

続いてわたしに傷つけた人達へも感謝を述べようとたが、過去の記憶があり、一瞬ためらったが、その人たちの良さだけだけを思い浮かべ、否定的な思いは一切捨て、ただ心を尽くして感謝を告げた。その時も涙は温かく流れていた。(実際、悪い思いと常に戦ってる日々です。)

説教台の下には、神戸で働く信徒たちが座っていた。

現実には信仰の面で弱く、問題もある者たちで、わたしは常に悩んで苦しんでる事が多いけど、夢の中のわたしは彼らの良い面だけを見つめ、彼らを送ってくださった主に深く感謝していた。(現実でも、信者のことで、主によく感謝を言ってます。)

話し終えて東京EMCの神学校の前に立つと、沈先生が続けて語った。
「この牧師の性格は、本当に素晴らしい。人の悪いところを見ようとせず、判断せず、表に出さず、良いところだけを見ようとする。神様への感謝だけでなく、人への感謝も常に忘れない。悪い点に心を奪われず、良い点だけを大切にし、感謝をもって受け取る――その心の広さ、優しさ、善良さは、まさに人の模範だ」と韓国語で語られた。私は日本語で、沈先生は韓国語で話しながら、皆に「このような心を見習いなさい」と励ましていた。

目を覚ました時、胸に強く残ったのは、
感謝がどれほど尊く、どれほど主に喜ばれ、認められて祝福される事かを強く悟るようになりました。

主から感謝する心を認められたので、もう一つアップされた祝福を期待しています。

これから与えられ、証できる恵みと祝福にわくわくして、年末や新年が楽しみです。

 

愛する皆さんも、一つ一つ認められる事を忍耐強く継続して、救い主イエス様から、ボーナスを受ける年末、新年になる事を願います。


* 感謝の意を表す時は、

言葉だけではなく、お金がかかる感謝を表すのが信仰でしょう。