🌿 日曜日(エルサレム入城)マタイ 21:9
「ホサナ、ダビデの子に。
主の名によって来られる方に、祝福があるように。」

 

🏛 月曜日(神殿の清め)
Gospel of Matthew 21:13
「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。
それなのに、あなたがたは強盗の巣にしている。」

 

📖 火曜日(終わりの教え)マタイ 24:44
「だからあなたがたも用意していなさい。
人の子は思いがけない時に来るからです。」

 

💰 水曜日(ユダの裏切り)マタイ 26:14–15
「ユダは祭司長たちに言った。『彼を引き渡したら、いくらくれますか。』
彼らは銀貨三十枚を支払った。」

 

🍞 木曜日(最後の晩餐)ルカ 22:19
「これはあなたがたのために与えるわたしの体です。
わたしを覚えて、これを行いなさい。」

 

✝ 金曜日(十字架)ヨハネ 19:30
「イエスは言われた。『成し遂げられた。』
そして頭を垂れて息を引き取られた。」

 

🪦 土曜日(墓)マタイ 27:60
「ヨセフはイエスを自分の新しい墓に納め、大きな石を墓の入口に転がして立ち去った。」

 

🌅 復活の日 マタイ 28:6
「ここにはおられません。言われたとおり、よみがえられたのです。」

他教会に通いながら、公園集会にたまに来ているAさんは、重い身体的・精神的な困難を抱えておられ、その影響もあって強い被害意識にとらわれることがありました。ある日、突然周囲の人々や私に対して激しく怒りを向け、敵対的な態度を示され、心配の電話をする牧師にもひどい暴言を吐くのです。

私たちはその姿の背後にある悪霊が、Aさんを縛っていることを知っていたので、主のあわれみを求めて心を合わせて祈りました。主が彼に付いてる悪霊を砕く祈りをして、真理の光を照らしてくださるように。そして、彼の夢の中でイエス様が現れて、誤りを正して、語りかけてくださるようにと願いました。

その後、Aさんは夢の中で主イエスが現れ、「牧師を敵にしてはならない」と語られたと話されました。そして、これまで見えなかった牧師の真心と善意が分かったそうです。

主イエスのなさることは、人の力を超えています。荒れた心にも、主は静かに語りかけ、和解への道を備えてくださるお方です。

京都の80代の井上さんは、高い崖から足が滑って、頭から落ちてしまうと即死する崖から、落ちてしまいました。その時、いつも礼拝の時、洪牧師の説教の時は、アーメンと答えるように!しつこく教えられていたお陰で、アーメン!!と叫ぶ瞬間、頭から落ちたのが、瞬間体の向きが変わり、背中が地面に当たりましたが、軽いけがで済んで無事でした。

 

**アーメン(Amen)**という言葉は、、ヘブライ語“āmēn” から来ています。

  • 「本当にその通りです」

  • 「確かにそうです」

  • 「真実です」

  • 「そのようになりますように」

という信仰の同意の言葉です。


誰かが祈ったり、神の言葉が語られた時に、「アーメン」と言うことで、

「私はその祈りに同意します」「その言葉は真実です」
「神よ、その通りにしてください」と心から認めることになります。

たとえば、祈りの最後にアーメンと言う理由はこうです。

祈りはただ言葉を言って終わるのではありません。
最後に「アーメン」と言うことで、「神様、私はこの祈りを信じます。」
「あなたが聞いてくださると信じます。」と信仰の印を押すようなものです。

聖書では、イエス様ご自身も「アーメン」を使われました。
英語の聖書ではしばしば

“Truly, truly, I say to you…”と訳されていますが、実は元の言葉は

「アーメン、アーメン、あなたがたに言います」という形です。
つまりイエス様は、「これは本当に真実だ」「神の前で確かなことだ」

という意味で使われました。

だからアーメンは、ただの宗教的な習慣の言葉ではありません。
それは 信仰の宣言です。祈りの最後の小さな言葉ですが、
その中には「神は真実である」「神の言葉は確かである」

という信仰が込められています。

 

人は一つのことに集中して、ほかのことに気を取られなければ、
その分野で**最大の力(限界値)**を引き出すことができます。

逆に、あれもこれも同時にやろうとすると、
• 時間が分散し
• 心が散って
• 深さがなくなり
• 結局、成果が弱くなります

だから聖書でも「一つの心」「全力」「ただ一つに」とよく言われます。

イエス様もこう言われました。

「だれも二人の主人に仕えることはできない」
(マタイ6:24)

つまり、心が二つに割れると力が落ちます。

集中する人は強くなります。
集中し続ける人は、その分野で必ず伸びていきます。

しかし大事なのは、
何に集中するかです。

世の成功だけに集中すると空しくなりますが、
神の国に集中すると、永遠の実を結びます。

集中は力であり、全心は祝福の道です。

悪魔は、占いや魔術、手相などを通して人を支配し、
神から引き離し、地獄へ導こうとする。

 

サムエル記上 15:22-23

サムエルは言った。 「主が喜ばれるのは 焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。 むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。

見よ、聞き従うことはいけにえにまさり 耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。 反逆は占いの罪高慢は偶像崇拝に等しい。 主の御言葉を退けたあなたは 王位から退けられる。」

 

主の言葉を拒絶するとき、

悪魔に扉を開くことになり、

悪魔は合法的に働く

 


                ローマ6:16-18
知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、 罪から解放され、義に仕えるようになりました。

 

 

テサロニケの信徒への手紙一 5:3-4

人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。

 

ヤコブの手紙 4:6-8

神は、高慢な者を敵とし、 謙遜な者には恵みをお与えになる。だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。

 

ヨハネの黙示録 21:8
8しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である

 

Ⅱペトロの手紙 2章

4神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。

6また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。

20わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。

21義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。 22ことわざに、 「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」 また、 「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」 と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。


         
 

*占いや魔術は、人を支配し神から遠ざける悪魔の道具

霊的なリーダーにとって一番最初に大切なのは、イエスの名によって

悪魔や悪霊との霊的な戦いに打ち勝つことです。


現代のキリスト教界における「間違った教えの流れ」をどのように見分け、正していくべきか。

1. 現代における「背教の流れ」の警戒 

現在、教会の中で「ひっくり返さなければならない間違った教えの流れ」が起きており、これに気づかずに従うことの危険性が強調されています。この流れを正さなければ、神の怒りが臨むと警告されています 。

2. 間違った伝道と「繁栄主義」への批判 

  • 現世利益を強調する伝道: 「イエスを信じれば病気が治る、金持ちになる、幸せになる」といった言葉で伝道しています 。

  • 問題点: このような動機で信者になった場合、抱えていた問題が解決すると信仰が必要なくなってしまいます。

  • 真の伝道: 伝道とは「道」を伝えることであり、現世での利益ではなく「永遠の命の救い」と「イエスこそが救い主であること」を伝えるべき。

3. 奇跡や現象への執着に対する警告

  • しるし(奇跡)のみを求める危うさ: 真理の御言葉を愛さず、奇跡や現象(例えば、人が倒れる現象など)だけを追い求める人々に対して、神は「偽りのしるし」を許されることがある。

  • 本質の欠如: 罪の悔い改めや、聖霊による「新しく生まれること(新生)」の教えがないまま、単に不思議な現象を起こそうとする動きを警戒するべきです。

4. 信仰者の備えと霊的戦い

  • 自己の改革: 世の流れに流されないために、普段から熱心に祈り、自分自身を霊的に強く保つ必要があります 。

  • 意識の変化: わずか5分、10分の時間の使い方や意識の持ち方が、霊的には大きな差を生む 。

5. 宗教混合主義(WCCなど)への反対

他の宗教でも熱心に信じれば天国で会えるといった、聖書とは正反対の教え(WCCなどの動き)を「サタンの運動」である。目先の支援やお金のために、真理を曲げてそれらに加担することの危いです。

 

結論として: 信仰の目的はあくまで「イエス・キリスト」そのものであるべきであり、奇跡や現世の祝福を第一とする「繁栄主義」の流れを、御言葉と聖霊の助けによって見分け、拒絶しなければならない!

 

新しい年を真の希望とともに迎えるために必要な「霊的な準備」

 

1. 新年を汚さないための「精算」

神から与えられる新年は、本来真っ白で汚れのないものですが、過去の罪や問題を抱えたまま年を越すと、その新しい年をも汚してしまうことになります。過去の苦しみや病、神との間のわだかまりを新年に「繰り越す」のではなく、今のうちに神の前ですべてを精算し、改善することが重要です。

 

2. 行いの伴わない信仰は「死んだもの」ヤコブ書2章19節〜26節

単に「信じている」と口にするだけの信仰を厳しく戒めています。アブラハムが息子を捧げようとしたように、神への従順な「行い」があって初めて信仰は完成されます。行いが伴わない信仰は、神とつながっていない「死んだ信仰」であり、それでは神の助けを得ることはできません。

 

3. 聖霊が与えられる真の理由

人間は自分の力だけでは、肉体の欲望を抑えて神に従い続けることは困難です。そこで、イエスを信じる者には「聖霊」が約束されています。聖霊の役割は、信者が神に従う「行い」を全うできるよう助け、信仰を完成へと導くことにあります。

 

 聖霊を送った理由は何ですか?

主エスを信じる人の信仰が、行いによって完成できるように、

人は自分ではそういう力を持っていないから。

助けて行いが完成できるように、行いによって信仰が完成できて、

救いに至るようにするために、イエス様を信じる者に!聖霊を送る。

 

4. 突然の災いに備える生き方

人生には予期せぬ病や事故が起こり得ますが、日頃から神との関係を正している人は、ヒゼキヤ王のように神に助けを求める「根拠」を持つことができます。自分の中に「隠れた罪」という時限爆弾を抱えたままにせず、常に悔い改めの心を持つことが、安全で喜びのある人生につながります。

 

結論

新しい年を単なる形式的なお祝いにするのではなく、今この瞬間に自分自身を深く振り返り、神との正しい関係を再構築(精算)することで、真に勝利と希望に満ちた新年を迎えましょう。

16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 

17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

18「主の霊がわたしの上におられる。

貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、

19主の恵みの年を告げるためである。」僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』

24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 

25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 

26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。

27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 

 

 

列王記上 17

8また主の言葉がエリヤに臨んだ。 9「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」 10彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った 11彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った12彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられま

す。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけ

です。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それ

を食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」 13エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、

あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って

来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。 14なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。

主が地の面に雨を降らせる日まで,壺の粉は尽きることなく,瓶の油はなくならない。」

15やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事

欠かなかった。 16主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくなら

なかった。

 

創世記 12:3 地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。       

 

ガラテヤ 3:28–29

26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 27洗礼を受けてキリストに結ばれた、あなたがたは皆、キリストを着ているからです。 28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分

の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 29あなたがたは、もし

キリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

 

イザヤ 56:7

わたしの家はすべての民の祈りの家と呼ばれる。 

 

使徒言行録 10章

34そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 35どんな国の人

でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 36神がイエス・キリストによって――この方こ

そ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、

 

黙示録 7章

9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれ

ないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう

叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。

 

 

ヨブ記 37:23-24

全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。

神は優れた力をもって治めておられる。

憐れみ深い人を苦しめることはなさらない

それゆえ、人は神を畏れ敬う。

人の知恵はすべて顧みるに値しない。'

主なる神にささげる正しい信仰と心の大切さ

2コリント 8:4–5

彼らは、まず自分自身を主にささげた。

マケドニアの教会は、苦しみの中でも喜んで献げました。

理由は、“まず自分自身をイエス様に捧げた”から。

神であるイエス様にささげる信仰は、私自身が神のものです、という告白と実行から始まることを示します。


創世記 22章(アブラハム)

アブラハムの献げ物は、単なる宗教的行為ではなく、

神の約束を信じ切った信頼の決断。

「ささげる信仰」は、神がどんな方であるかを知るほど深まります。


ローマ 12:1

「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生けるいけにえとしてささげなさい。」

ここでいう「からだ」とは、人生・生活そのもの。

礼拝での献金や奉仕だけでなく、日々の選択・言葉・態度を神にゆだね、

御言葉通り生活することが、本当の意味での「ささげる信仰」です。


ヘブル 11:6

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」

神が求められるのは、量や形式ではなく、神を信頼する関係性そのもの。

ささげる行為の中心に“信頼”があるとき、そのささげ物は神の喜びになります。


詩篇 51:17

「神の求めるいけにえは、悔いた心。砕かれた心。」


神であるイエスの名によって、悔い改めて、父なる神に赦しを頂く事からが、信仰生活のスタートである。