阪神淡路大震災より今日で25年。
あの日、経験したことのないような揺れに目覚め
突然の停電と止まない激しい揺れと
ガシャガシャバリバリと物が壊れる
今まで聞いたことのないような激しい騒音の中
何が起こっているのか分からないまま
この世の終わりのように思えた朝を迎えた
ご近所の一戸建ては全壊の家も多く
うちのマンションも一部損壊、
多くの方が亡くなり
全壊したお家の側には長い間供花が絶えず、
前を通るたびに手を合わせていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200117/08/kobe2016/88/d9/j/o0235027014697434392.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200117/08/kobe2016/c8/2d/j/o0720049114697434447.jpg?caw=800)
自宅のずっと南では阪神高速道路が倒壊し、
鉄道の線路や国道の交差点も隆起して
まるでパニック映画の中に迷い込んだみたいでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200117/08/kobe2016/ce/0f/j/o0750054814697434487.jpg?caw=800)
毎年この時期になると深江にある震災資料保管庫が公開されます。
倒壊した阪神高速高速の倒壊部分や残骸、
当時の貴重な資料などを見ることができます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200117/08/kobe2016/0f/c1/j/o0336044814697434508.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200117/08/kobe2016/62/d3/j/o0448033614697434564.jpg?caw=800)
当時幼稚園に通い始めたばかりの子供たちも
今は成人し社会人になり、
当時支えてくれた婚家の父母や実家の父兄も
病気や高齢で亡くなり
自分自身も乳がんに罹患し
それでも
街は復興しどんどん変わって
日々進化を続けて
私たちも年を重ねて半世紀を越えました。
25年という月日を振り返ってみるも、
段々と記憶も曖昧になってきました。
それでもこの日が近づいてくると、
記憶を呼び覚まし
心から黙祷