9月23日、安倍首相とともに米国訪問をしていた安倍昭恵さんが、女性の社会進出について講演されました。
全文が見つからなかったので、文脈などが欠けていて、違う捉え方をしている可能性もあるのですが、この講演について、今の日本が向かっている女性活躍の方向性として、女性たちにとって追い風の部分と違和感を感じる部分があったので、特に今回はその違和感について少し書きたいと思います。
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参考)ワシントンで行われた安倍昭恵さんの女性の社会進出についての講演のニュース
http://www.news24.jp/articles/2014/09/24/04259777.html
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◎“女性らしさとは何か”という捉え方が多種多様な中、「女性らしく働く」ことを求められると混乱が生じる。
安倍昭恵さんが語られた一文。
「女性らしさ、男性らしさを持ったままでいろいろな働き方、社会貢献の仕方がある、そんな社会になるといいと思います。」
思うに、“男女同権”を目指すべきですが、“男女同質”になることは不可能です。
「女性らしさ」とはどういうことなのか、今、女性たちに対しても、社会に対しても、改めて問われているように思います。
問題だと思うのは、この「女性らしさ」という言葉から想起することが、捉える人によって全く異なるということです。
「女性らしさ」=?と問われた時に、
「共感力、横のつながり」や「感性的な価値観」、場合によっては「優しさ」や「強さ」と答える人もいるでしょう。
また、もしかすると、「家庭を守ること」「料理ができること」「美しいこと」「子どもを産むこと」「出しゃばらないこと」「男性をサポートすること」などと答える人もいるかもしれません。
私が10年前に心理学研究をしていた時に、「女性らしさとは何か?」という研究をしていたのですが、そのときに出て来た「女性らしさ」としての二大因子は『美』と『従順さ』でした。
私はその時にとても驚いたのを覚えています。
“女性らしさとは何か”という定義のないまま、「女性らしく働ける社会」を目指そうとすると、
捉え方によっては、固定的な、昔ながらのステレオタイプ的な、性役割分業意識やジェンダー意識を助長させてしまう可能性もあります。
私が以前にBiz Ladyで執筆していた、「働く中での母性革命」についての記事は、この「女性らしさ」の誤解を解くために、また新しい「女性らしさ」を考え、提唱していくための取り組みの一つです。
■Biz Ladyの記事はこちらから⬇️
http://bizlady.jp/archives/107200
http://bizlady.jp/summary/archives/110596
女性が女性らしく働けない、ある意味男性化(オス化)しないと活躍できない理由は、女性たちの意識の問題よりも、労働環境が多数派である男性を中心に、もしくは“仕事を中心に生きられる人”を中心に回っていることにあります。
本質的な意味で「女性らしく働く」ことを実現していくためには、
固定観念的な旧態の「女性らしさ」の概念を解放し、
現代の社会や未来の私たちの暮らしに即した新しい「女性らしさ」を再定義、再構築する必要があります。
◎女性の社会進出の課題は、「日本の女性は何かあれば一人で生きていけるという自覚が足りない」という女性の意識の問題なのか?
そして、もう一つネット上でも様々な議論を呼んでいる発言の一つが「何かあれば一人でも働いていけるという意識が欠けている」という発言です。
これは映像がないので、前後の文脈が分からないのですが、女性の社会進出問題について、「一人でも働いていけるという意識が欠けている」というのは、あまりにも今の日本の女性を捉えていない発言のように思います。
働いても働いても経済的に自立できる賃金を稼いでいくことがなかなか難しい女性たちもいるし、
労働条件を上げたくても、そのための実力を身につける機会が与えられずに、苦しんでいる女性たちもいます。
女性は男性と結婚して、男性が主な稼ぎ手で女性は補助的な稼ぎ手であるという固定観念からつくられた労働環境が、女性を経済的自立させるための弊害になっていることも多々あります。
特に子どもを持つ女性が子育てをしながら正社員の職につくのが難しかったり、女性たちの貧困の問題、それに伴う子どもたちの貧困の問題もあります。
どんなに意識を持とうと思っても、<現実的にそうできない>女性が多いことの方が問題だと思うのです。
その理由に触れずに、「女性たちの意識の問題だ!」と言われてしまうと、悔しくて泣けてくる。。。
私が目の当たりにしてきた女性たちは、目の前で泣きながらどうしようもなさを抱えて苦しんでいました。
「子育ては何よりも大事にしたい。社会の中で誰かの役にも立ちたい言うのは欲張りだよね。」
「女性の君はそんなことまでしなくていいよ、って言われて傷ついた」
「今の仕事が楽しいけど、子どもができたら続けられないよね。そうやって働いている人はほとんどいないし。」
「子育てが落ち着いたら復帰したいけど、待機児童で倍率の高い保育園に入れて、高い保育料で給料のほとんどが消えてしまう。子どもと離れてそこまでして働く意味あるかな?」
「産休、育休後の私を会社が必要としてくれるか、戻れる場所があるか不安…。自信ない。」
「今、仕事を頑張るべきか、それよりも結婚や出産を考えるべきか。どちらかを選ばないといけないのかな?」
女性たちの意識が変わっていくこと、もしくは自ら変えていくことは大切なこと。
でもそれ以上に、その今の意識を形成している”本質的”な理由があります。
その本質的な理由に目を向けない限り、女性の意識が変わっていくことも、働き方や暮らし方が変わっていくこともないように思うのです。
いつも私は、女性活躍のための三本柱「女性たちの意識」「実力」「環境(社会制度や労働環境、子育て環境、男性たちの意識など)」の3つともの向上が必要とお話しています。
どれか一つのせいにしてしまっては、バッドスパイラルに入って問題の解決にならない。
女性たちの意識はもちろん大切なことですが、意識だけのせいにしていても前に進まない。
海外と比較しても、社会制度や労働環境、子育て環境、ジェンダー意識やステレオタイプなど、様々な環境の難しさは日本の中にまだ根強くあります。
そんな現在の環境で、強い意識や意志を持てる女性は、本当に一握りです。
恵まれた一握りの人が活躍できる社会ではなく、社会の幸福の総量が上がるような未来にしていきたい。
全文が見つからなかったので、文脈などが欠けていて、違う捉え方をしている可能性もあるのですが、この講演について、今の日本が向かっている女性活躍の方向性として、女性たちにとって追い風の部分と違和感を感じる部分があったので、特に今回はその違和感について少し書きたいと思います。
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参考)ワシントンで行われた安倍昭恵さんの女性の社会進出についての講演のニュース
http://www.news24.jp/articles/2014/09/24/04259777.html
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◎“女性らしさとは何か”という捉え方が多種多様な中、「女性らしく働く」ことを求められると混乱が生じる。
安倍昭恵さんが語られた一文。
「女性らしさ、男性らしさを持ったままでいろいろな働き方、社会貢献の仕方がある、そんな社会になるといいと思います。」
思うに、“男女同権”を目指すべきですが、“男女同質”になることは不可能です。
「女性らしさ」とはどういうことなのか、今、女性たちに対しても、社会に対しても、改めて問われているように思います。
問題だと思うのは、この「女性らしさ」という言葉から想起することが、捉える人によって全く異なるということです。
「女性らしさ」=?と問われた時に、
「共感力、横のつながり」や「感性的な価値観」、場合によっては「優しさ」や「強さ」と答える人もいるでしょう。
また、もしかすると、「家庭を守ること」「料理ができること」「美しいこと」「子どもを産むこと」「出しゃばらないこと」「男性をサポートすること」などと答える人もいるかもしれません。
私が10年前に心理学研究をしていた時に、「女性らしさとは何か?」という研究をしていたのですが、そのときに出て来た「女性らしさ」としての二大因子は『美』と『従順さ』でした。
私はその時にとても驚いたのを覚えています。
“女性らしさとは何か”という定義のないまま、「女性らしく働ける社会」を目指そうとすると、
捉え方によっては、固定的な、昔ながらのステレオタイプ的な、性役割分業意識やジェンダー意識を助長させてしまう可能性もあります。
私が以前にBiz Ladyで執筆していた、「働く中での母性革命」についての記事は、この「女性らしさ」の誤解を解くために、また新しい「女性らしさ」を考え、提唱していくための取り組みの一つです。
■Biz Ladyの記事はこちらから⬇️
http://bizlady.jp/archives/107200
http://bizlady.jp/summary/archives/110596
女性が女性らしく働けない、ある意味男性化(オス化)しないと活躍できない理由は、女性たちの意識の問題よりも、労働環境が多数派である男性を中心に、もしくは“仕事を中心に生きられる人”を中心に回っていることにあります。
本質的な意味で「女性らしく働く」ことを実現していくためには、
固定観念的な旧態の「女性らしさ」の概念を解放し、
現代の社会や未来の私たちの暮らしに即した新しい「女性らしさ」を再定義、再構築する必要があります。
◎女性の社会進出の課題は、「日本の女性は何かあれば一人で生きていけるという自覚が足りない」という女性の意識の問題なのか?
そして、もう一つネット上でも様々な議論を呼んでいる発言の一つが「何かあれば一人でも働いていけるという意識が欠けている」という発言です。
これは映像がないので、前後の文脈が分からないのですが、女性の社会進出問題について、「一人でも働いていけるという意識が欠けている」というのは、あまりにも今の日本の女性を捉えていない発言のように思います。
働いても働いても経済的に自立できる賃金を稼いでいくことがなかなか難しい女性たちもいるし、
労働条件を上げたくても、そのための実力を身につける機会が与えられずに、苦しんでいる女性たちもいます。
女性は男性と結婚して、男性が主な稼ぎ手で女性は補助的な稼ぎ手であるという固定観念からつくられた労働環境が、女性を経済的自立させるための弊害になっていることも多々あります。
特に子どもを持つ女性が子育てをしながら正社員の職につくのが難しかったり、女性たちの貧困の問題、それに伴う子どもたちの貧困の問題もあります。
どんなに意識を持とうと思っても、<現実的にそうできない>女性が多いことの方が問題だと思うのです。
その理由に触れずに、「女性たちの意識の問題だ!」と言われてしまうと、悔しくて泣けてくる。。。
私が目の当たりにしてきた女性たちは、目の前で泣きながらどうしようもなさを抱えて苦しんでいました。
「子育ては何よりも大事にしたい。社会の中で誰かの役にも立ちたい言うのは欲張りだよね。」
「女性の君はそんなことまでしなくていいよ、って言われて傷ついた」
「今の仕事が楽しいけど、子どもができたら続けられないよね。そうやって働いている人はほとんどいないし。」
「子育てが落ち着いたら復帰したいけど、待機児童で倍率の高い保育園に入れて、高い保育料で給料のほとんどが消えてしまう。子どもと離れてそこまでして働く意味あるかな?」
「産休、育休後の私を会社が必要としてくれるか、戻れる場所があるか不安…。自信ない。」
「今、仕事を頑張るべきか、それよりも結婚や出産を考えるべきか。どちらかを選ばないといけないのかな?」
女性たちの意識が変わっていくこと、もしくは自ら変えていくことは大切なこと。
でもそれ以上に、その今の意識を形成している”本質的”な理由があります。
その本質的な理由に目を向けない限り、女性の意識が変わっていくことも、働き方や暮らし方が変わっていくこともないように思うのです。
いつも私は、女性活躍のための三本柱「女性たちの意識」「実力」「環境(社会制度や労働環境、子育て環境、男性たちの意識など)」の3つともの向上が必要とお話しています。
どれか一つのせいにしてしまっては、バッドスパイラルに入って問題の解決にならない。
女性たちの意識はもちろん大切なことですが、意識だけのせいにしていても前に進まない。
海外と比較しても、社会制度や労働環境、子育て環境、ジェンダー意識やステレオタイプなど、様々な環境の難しさは日本の中にまだ根強くあります。
そんな現在の環境で、強い意識や意志を持てる女性は、本当に一握りです。
恵まれた一握りの人が活躍できる社会ではなく、社会の幸福の総量が上がるような未来にしていきたい。