私は足早に急いでいた。
駆け出したくなる気持ちを抑えて。
坂の上に見える真っ赤なもみじ。
日没までにあそこにたどり着かなくては。
あの場所には、
『ありのまま』がある。
京都に来る度に足を運んでいる場所、東福寺光明院。
たどり着いた時に、
優しい家族のいる家に帰ってきたような気持ちになる。
『戻ってこれた』 という感覚。
いつもは受付に人はいなくて、
長い竹に参拝料を入れたら自由に入ることができる。
秋に訪れるのは今回が初めてで、
紅葉で賑わうこの時期は、
受付の方がいて、優しく話しかけてくれた。
『京都に来るとよくここに来るんですが、
今日は人が多いですね。』
『紅葉のこの時期は多いんですよ。
今の時期はお抹茶もあるので、ゆっくりしていってくださいね。』
念願叶って出会えた風景は、
想像を越える格別なものだった。
『美しくて泣ける』。
こういう経験を、
私はかつて何度かしたことがある。
一つは、親友の結婚式であまりの美しさに泣けてしまった時。
そしてもう一つは、
自然がかなわない美しさで迫ってきた時である。
モロッコで大きな山を越える時に、
強い日差しが照らす、水の気配が全くない大地に、
生命力を持って青々と生きていた緑と、
越えても越えてもさらに高い山が
どんどん迫ってくるその風景の、
自然の雄大さと生命力の美しさに、涙が止まらなくなった。
虹の苔寺と呼ばれる
光明院の紅葉を目にした時、
ぽろぽろと涙が出てきた。
周りの人達は笑顔で紅葉を楽しんでいるのに、
自分だけどうして泣いているのか分からない。
ただ、あまりにも美しくて、
美しくて涙が出てくる。
『心が喜んでいる』
まさにそんな体験だった。
圧倒的に美しいものに出会った時、
人はそこに美しさだけではない何かを感じる。
これだけ美しいものがこの世に在るということは、
間違いなくこの世界は愛されて創られた、
そんな気持ちになる。
自然の持つ雄大な愛情なのか、
それとも神様の愛なのか、
実体は分からないけれど、
確かにそこに在るあたたかいものを感じて、
涙せずにはいられないのかもしれない。