私が大学院時代、病院勤務医の夫と二人の保育園児を残し、研究のために毎月1~2回2泊3日の出張をしていた。

そのときの乗り切り方をこ紹介したい。

(1)日程の調整:夫の当直やカンファレンスがないときを選んで日程を調整する。

(2)万全の準備:保育園に預けている子供は、出張前は早目に迎えにいき、子供の体調を整えておく。

留守中の食料、着替えなども夫とともに準備しておく。

(3)保育園をフル活用:留守中、子供は延長保育を利用し、夕食も保育園で済ませ、帰宅してからは入浴して寝るだけで済むように手配しておく。

(4)連絡はまめに:出張先からは、毎日必ず電話をいれ「子供がいうことをきかない」と機嫌の悪い夫を励ます。

(5)帰宅後もうひと踏ん張り:帰宅後、信じられないほど散らかった家の片付けが待っていた。

思わず怒りがこみあげるのをぐっとこらえ、夫に感謝の気持ちを伝える。

準備とあと片付けが出張と同じくらい大変だったが、たまには実家の母にも応援をたのみ、家族の協力と保育園に支えられて実現した私の出張生活だった。

永田診療所
無用なアプローチを防ぐ目的で、配偶者がいることを示すシンプルな結婚指輪をつけている医師は少なくない。

患者さんや器具を傷つけるおそれがあるような指輪は不適である。

指輪をしていると手洗いが不十分になるため、院内感染防止の面から指輪をつけないとする施設もある。

手洗いのたびに指輪をとってなくさないようにするのがたいへんなので、結婚指輪はしないという外科医もいる。

イヤリング、ブローチ、大きなネックレスは落ちやすく、不潔にもなりやすいので避ける。

もし、つけるとしたらピアスやデザインのすぐれた眼鏡など実務的なもので楽しむ。

においにも気をつかいたい。

口臭や汗のにおいに気をつけるのは当然として、香水も病院では不可である。

タバコのにおいも患者さんにしてみれば不快で気になるものである(医師が喫煙すべきでないのは身だしなみ以前の問題)。

永田診療所
忙しい合間の束の間のプライベート・タイムを有効に使うには、ある程度のお金をかけることも必要だ。

時間をやりくりするためのグッズを用意したり、家政婦さんに短時間だけきてもらうことも有用である。

こうしてできた時間を自分を磨くために使うこともできる。

自分の体調や個人的な理由で勤務形態を職場に考慮してもらう必要が生じることもある。

とくに子供が生まれるとそれ以前とは仕事のペースが違ってくる。

無理な計画をたてると達成できずに周囲にも迷惑をかけ、自分自身も落ち込むことにもなりかねない。

まずは、自分のペースを知ること。

そして目標の半分を達成できたら素直に喜ぶ。

そうすることが、明日への活力にもつながってくる。

永田診療所 神戸

元緑時代元禄時代は5代将軍綱吉の時代であり、神戸地方では、青山幸督の時代である。

 

兵庫のこの時代に神戸地方で喧伝されているものに、徳川光囲の宇治川畔の楠木正成の建碑がある。

 

同地は太閤検地のさい除地になっており、青山幸利は自領内に正成の墓のあるのをよろこんで、梅松2樹を植え5輪塔を建てた。

 

その後寛文4(1664)ここに参拝した福岡藩の貝原益軒は、兵庫の福岡藩の浜本陣絵屋右近右衛門に託して建碑のことを計画したが、潜越であると考え直して中止したといわれる。

 

徳川光囲の建碑は元禄3(1690)にはじまり、碑陰文(朱舜水の文)・碑屋をつくり大供養をおこなったのは元禄81125日、正成死後360年であった。

 

元禄時代といえば人々は、赤穂義士の討入りを思い出すかもしれないし、また太平の時代としてもろもろの文化を思うかもしれない。

 

ただ兵庫では事件らしいものがなかったのか、記録が存しないのか、楠木正成の建碑以外事件らしいものが伝えられていない。

 

しかし、ちょうど「元禄八部郡郷帳」と「元禄兵庫津絵図」がのこされて、当時の状態の1部を具体的に知ることができる。

 

「元禄八部郡郷帳」は、はじめに「八部郡の内、家数人数神社仏閣方間名所旧蹟書出帳、元禄381日、於大阪天満7丁目惣会所に摂河両国之御国絵図御改相成候に付此帳面之通書上候」とあるように、元禄3年に作成されたものである。

 

これによって八部郡内の家数人数その他がわかってすこぶる貴重だが、まず気付くのは、皮田村が1般部落と分離してまとめて記載されていることである。

 

このころからようやく差別が制度的に強化されてきたことを思わせる。

 

しかし、それにしては、これらの家々がすべて高持であることはどうしてであろうか。

 

逆に池田村・白川村など半数が無高である。