双方向の授業 生徒が教師を超えるとき | 神戸国語教育研究会カプスのブログ

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生徒が教師を超えるとき、というのがある。

 

特に、講義形式ではなく、グループで問題の教え合いをやっているときに感じる。「これって、ここにこう書いてあるから、こうなんじゃないの?」と指摘する声があちらこちらから上がる。その考え方の中には、「なるほど、そういう考え方もあるのか」と納得してしまうことがある。私の想定した範囲にはないやり取り。まさしく。教師よりも生徒が超えてた瞬間。

 

もちろん、講義形式の授業でも感じること春。授業を終えたときに、「先生はこう言ったけど、こう考えたほうがわかりやすくないですか?」と言ってくる生徒。あるいは、「こう考えてこの答えではダメですか?」と質問してくる生徒。うむ、とうならされることが少なくない。

 

このような生徒が教師を超えるときは、生徒とのやり取りが成立しているから起こりえる。

 

教師が一方的に説明して、黒板に内容をまとめて、それを生徒がノートに書き写して終了、という一方通行の授業をしていては、生徒が教師を超えるという時間を味わえない。頭の中で、生徒には「?」マークが浮かんでいても、それを口にする機会がない。もしくは、一方的すぎて教師から与えるだけだから、「?」マークを浮かべることすらないかもしれない。生徒が思考停止をしていても、授業は終わるからだ。

 

だから、私は、「こいつ、すげえ!」と思ったら、素直にそう言うことにする。「いいところに気づいたね。僕よりも上を行ってるよ。次からはあなたに授業をしてもらおうかな」とまで言う。生徒が教師を超えた瞬間は、決して恥ずかしいことではなく、そのくらい生徒が授業に集中しているから生じたものだ。むしろ、やりがいを感じて、その生徒たちとお互いに高まり合っていけばいいと思う。

 

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