自分語り 前編 |   われら神の子カヌーの子

自分語り 前編

自分が今、大学でカヌーをやっている原動力になっている中学生時代の話を書きたいと思います。


自分のことを書くの普通に恥ずかしいですが、

ジャンプでも何でもキャラの回想シーンはお約束。

引退前にキャラの深掘りをしておきます。





小6になりたての頃、小1からサッカーを6年続けたが、中学からは新しいことがしたくて何か違う部活に入ろうと思っていた。


それが小6でトレセンという地元の選抜チームに入ったこと、中学の強豪クラブチームのセレクションに受かったことで、一気にサッカーを続ける意欲が沸き、中学でもサッカーを続けることにした。


中学生になると、クラブチームに入り、毎日1時間かけて練習場まで通った。

同期は30人ほどいたが、自分は所謂内定組というやつでセレクションを一次試験の時点で合格を貰い、後の試験が免除になる入り方をしたので、初めの方はスタメンだった。


サッカー面では充実してた一方で、チーム内の人間関係があまり上手くいかなかった。

チーム内のほとんどが小学生時代に試合や選抜で互いが顔見知りであるのに対して、自分は遠くからの通いでチーム内の知り合いはゼロだった。


最初は会話が少なかったが、段々と話すようになるといじられることが多くなった。

中学生らしいいじりは次第に度が過ぎて行くようになった。


スタメンだったからか、1人だけ近くに住んでいなかったからだろうか、性格の不一致か、今となっては原因はわからないが標的にされるようになった。


2年生になると、精神的に崩れてプレーにも影響するようになった。2年からはコーチも代わり、公式戦に全くでれなくなった。それどころか練習試合でもチームで1人だけ試合に使われない日もあるほどに嫌われた。


そのあたりから、自分でも限界だなと感じるようになった。

2年の夏に、両親に話をしてチームを辞めることにした。今思うともっと良いやり方があったんじゃないかと思う。それにたくさんのお金と時間を使ってくれた両親には罪悪感でいっぱいだった。


クラブチームを辞めてからは勉強に打ち込んだ。辞めたのがちょうど夏休みだったのが良かった。夏休み前に受けた初めての模試が偏差値40だったのに、夏休み明けには60を超えていた。


2年生の夏休み明けに、中学のサッカー部に入った。それまで帰宅部だったが、さすがにクラブチームを辞めても帰宅部はやばいなと思ったからだ。


今考えると中学でサッカー部に入って大正解だった。


自分が入った時、同学年の2年は5人(自分含めて)、1年が6人しかいなかった。ぎりぎり試合に出れる状況で、秋の大会に1人ユニフォームを忘れたとかでレッドカードも出てないのに10人で試合した記憶がある。当然めちゃくちゃ弱くて、市民大会でボロ負けして、冬の公式戦でもグループリーグで全敗して得失点-30とかだったと思う。


それでも顧問の人がめちゃくちゃ良い人で、同期も一緒にいて楽しい友達で、後輩は素直で自分のことをめっちゃ慕ってくれていて、部活が大好きだった。余談だが、顧問の先生が学芸大出身だったので自分も国立大学を目指すことに決めた。


クラブチームのこともあり、部活はほどほどに楽しければいいやと思っていたが、冬の大会後に本気でこのチームで勝ちたいと思うようになった。


そこからは夢中でやっていたなと思う。

毎日部活後にチームのキャプテンと近所の公園でサッカーしては、その後2年で集まって走り込み。

練習中も一分一秒無駄にしたくなくて、片付けは自分が1番にやって、練習中の移動はずっと走ってた。その姿勢とか想いが少しずつ伝染していって、気づいたら全員同じように動いてくれるようになっていた。


年が明けてから練習試合で初めて勝って、そこからは勝つことが多くなってきた。


後輩は特にセンスがある子が多くて、負け癖が抜けてから一気に伸びていった。


3月の大会、公式戦で初勝利をし、そっから勢いに乗って予選を勝ち抜いた。決勝トーナメントは一回戦で敗れたものの確実に強くなってきた。


春になり自分達3年は1人転校して4人になったが、新入生が入ってきたことで、初めてベンチメンバーが誕生した。


一年生キーパーがスーパー新人だったことで、センターバック2人組のスーパー2年(片方は後にフットサルでプロになる)、ボランチの自分とキャプテンを含めてセンターラインが固まった。

その結果、4月の練習試合は全勝した。特に守備力が向上し、ほとんど失点をしなかった。


最後の大会前、3月の決勝トーナメントの試合を見ていた強豪中学の顧問の先生が声をかけてくださり、都大会常連の強豪中学だけの交流大会に呼ばれた。


そこでも全試合pkまで持っていった。

今思うと完全にかみがかっていた。

この時期は正直自分も負ける気がしなかったし、チーム全員が感じていたと思う。


そして迎えた最後の公式戦、夏の地区大会が始まった。