まずは、健診の結果から報告。
現在のところ、全てA判定の異常なしでした。
(気になる点があったので、一つは引っ掛かるのではないかと予測していましたが…)
こちらは、別日のランチ。
十数年ぶり?かも知れないな、ケンタッキーに行ったのは。
久しぶりに食べて美味しいと感じましたよ
(この時は、まだ7月上旬でしたが…現在の状況を考えると、外食も暫く無理っぽいな)
下記は、私の「ボヤキ」ですので…
受け取り方によっては良い気はしないと思われるので、見る見ないは御自由に。
そこまでではないものの、私自身も実感としてあるんです。
新興宗教の悪質さと恐ろしさ、問題点を。
父方の亡祖母は、創価学会(公明党の支持母体)の信者でした。
母方の伯母夫婦は、現在も創価学会の信者です。
もう一人の伯母は、現在も某新興宗教の信者です。
なので、私は新興宗教というものを身近に感じてきました。
別に、私や家族が金銭的な負担を強いられたといった影響はなかったです。
しかし、精神的な面で迷惑と感じる事は多々ありました。
子どもの頃から思っていたんです「信教の自由に制限を設けるべきだ」と…
祖母や伯母の言動を見ていて感じました。
「洗脳されると、教えに対する矛盾点にも気付けなくなるんだな…」と
伯母との関係性の中で、母も私も某新興宗教の支部に足を運んだ事が何度かある。
でも、不愉快な気持ちになる事の方が圧倒的に多かったという印象を覚えています。
深入りしなかったのは、私の「自我の強さ」なのかもしれません。
私の持論ですが「新興宗教に救いはない」と思っています。
入信している者たちは、心酔しているので幸せなのかもしれません。
しかし、家族や周囲が感じるのは不幸です。
良い事というものは、ただの幻想に過ぎず…その先にあるのは「犠牲」です。
本人が救いを求めれば求めるほど、結果的に救いがなくなるのです。
新興宗教から得られるものなんて何もありません。
私の状況とは異なるものの、容疑者は容疑者なりに苦しんできたのだろうなと…
見方を変えれば、容疑者もまた被害者(振り回された犠牲者)の側面を持っている。
本来ならば、社会として「救われるべき存在」だった筈なんですけどね…
こんなにも、日本社会は分断されていたのか…
まるでトランプ政権を見ているかのよう…
メディアから流れる映像、その偏向報道に嫌悪感を抱きました。
(特に、8~10日。 まあ、それ以降もですけど)
と同時に思った。
「おかしい事に、おかしいと声を上げる事すら憚られる社会になったのか…」と
「間違っている事に、間違っていると主張する事すら言えない国になったのか…」と
「なんだかんだ言いながら、結局は無かった事にするのも、メディアの役割か…」と
8日以降、私は日本社会の行く末に更なる危機感を覚えました。
森友問題の真相は、まだ明らかになっていません。
籠池夫婦に罪があるのは確かですが、国有地払い下げの件は夫婦の罪ではない。
8億円も国有地が払い下げられたにもかかわらず、誰も何も関与・介入していない?
公文書改竄は、自然発生的に起こるものじゃありません。
赤木俊夫さんが自殺した事は、あくまでも個人の問題だと?
忖度も指示も無かったという屁理屈は、あまりにも不可解です。
個人情報という理由付けすれば、書類の重要箇所を黒塗りにする事が許されるのか?
普通に考えれば、その黒塗り部分に真実が隠されているからでしょ?
では、何故、当時の関係者が後に全員出世を果たしているのでしょうか?
それは「見返り」「お礼」の意味が込められた特別人事だったのでは?
真実に蓋をする事に協力すれば、みんな出世できるというシステムなのでしょうか?
不起訴にしたのは、黒川検事長(当時)。
安倍晋三と親交が深い関係性…首相の意向を汲んだ可能性を全否定できるだろうか?
内閣総理大臣が司法にまで介入し、不当に国家権力を行使して真実を捻じ曲げた…
これは、前代未聞の事態であり、断じて許されない行為です。
その事の重大性を国民は全く理解していない。
で…今年、賠償金1億円で無理矢理カタを付けさせた。
これ以上は真実に迫られたくないからこそ、無理矢理に裁判を終結させたんでしょ?
赤木さんの奥様は、決してお金が欲しいというわけじゃない。
「真実が知りたい」…ただそれだけだ。
黒川さんには、確か賭博容疑もありましたね。
常識的に考えれば懲戒免職が妥当な筈なのに、急展開で辞職して容疑もチャラ?
退職金を貰って、そのまま逃亡?
恐ろしいのは、この一連の流れを当時の法務大臣が容認したという事。
権力って、そういう為に用いるんですか?
加計問題も、何故あの大学だけが認可されて、他の大学は認可が下りなかったのか…
それに関する安倍晋三の説明も、全く整合性が取れていない内容ばかりだった。
ジャーナリストの伊藤詩織さんの件も、先日民事判決が下ったものの…
あの問題も、刑事事件としての追及を阻止された事が大きく問題視されたわけです。
元TBS記者 山口敬之の逮捕直前で、取り消しという異例の展開。
容疑が固まっていたにもかかわらず、突然の逮捕取り止め。
逮捕目前で、唐突で不可解な取り止め。
その逮捕中止を命じたのは、当時の警視庁刑事部長(現 警察庁長官の中村格)。
山口氏は、安倍晋三と親しい間柄とされていました。
「何らかの力(圧力)が働いた」と考える方が逆に自然なのではないでしょうか…
首相と接点があれば、女性をレイプしても罪には問われないの?
何故、直前で逮捕が取り止めになったのか…具体的な説明がなされてませんけどね。
全ての疑惑に於いて、その件に関わる者達が安倍晋三と深い繋がりがある。
偶然? そんな事が度重なるものでしょうか…
そして、全ての件に於いて「無かった事」として処理されている不可解さ。
安倍晋三にとって、あまりにも上手くいき過ぎている流れと言えるのでは…
こんなにも不自然な事が連続して起こり得るものでしょうか?
何もかも無関係とは考えにくい。
現在、報道されている事も、日を追うごとに関連性がないとは言えなくなっている。
自民党と旧統一教会との接点。
特に、「安倍派」が旧統一教会と深く関わりがあるようですね。
(その連中は、悪びれる様子もなく開き直っておられますけど)
一見すると無関係のように思えた点と点…それが、一つの線に繋がってきた。
今回の件に関する黒幕も…やはり、安倍晋三?
政府が新興宗教による犯罪を黙認し続けてきたのなら、それは国家ぐるみになる。
公明党の山口も、ダンマリ。
言えんわな…宗教が異なるとはいえ、自分達も創価学会とズブズブなんだから。
まあ、野党の中にも旧統一教会との接点がある議員が一部いるようですが…
旧統一教会の件は、警察庁と警視庁に圧力が掛かって捜査が中止された過去があり…
今回も、大きな力が働き、やはり握り潰されてしまうのだろうな…
昔から言われている事ってありますよね。
「自分にとって良い人が、誰かにとっても良い人だとは限らない」と…
人間には、いくつもの顔があり、その顔を使い分けて人間は生活しています。
多かれ少なかれ、それを使い分けているのが人間です(あくまでも程度の問題)。
良くも悪くも、それが人間なんです。
勿論、裏表が無いというのが一番素晴らしい事です。
しかし、これは理想論であり、受け手の願望(そうであって欲しい)に過ぎません。
つまり…自分に見せる姿だけが相手の本当の姿とは必ずしも言えないという事です。
私的感情のみで発信(発言)を展開している芸能人の方々や文化人の方々に問いたい。
「ご自身の目線だけで語る前に、日本社会を真正面から見つめようとしましたか?」
「社会の実情と照らし合わせて発信(発言)しておられますか?」
「ご自身が接した相手と日本の現状、そこにある大きな乖離に目を向けてますか?」
「社会的弱者の命より、国家権力を支配した安倍晋三の命の方が重いんですか?」
「新興宗教と安倍氏との関係が取り沙汰されたら、ダンマリを決め込むんですか?」
「親交のある人に関する不都合な事は目を瞑るという姿勢を貫かれるんですか?」
一部には、こういう見解を示された方々もいらっしゃいますよね。
「亡くなった人を悪く言うな」と…
そのご意見は、観点も論点もズレているのではないでしょうか?
お言葉を返すようですが…そのお考えを主張する場面としては不適切だと思います。
悪口と捉えるのではなく、負の遺産は事実として受け止めて正しく論評すべきです。
疑惑は、未だに疑惑のままなんですよ。
その疑惑が払拭されない以上、それは結果として罪と言えるのはないでしょうか?
それ以外にも、内閣総理大臣として打った政策の失敗は、立派な「罪」です。
その政策の失敗を軌道修正することなく突き進んだわけだから、それは大罪ですよ。
亡くなったからといって、疑惑はチャラになりません。
亡くなったからといって、罪はチャラになりません。
非正規の雇用形態で働いている人々が約3割から約4割に増加したという事実。
つまり、低賃金で不安定な生活を送っている人々が以前より増加したという事です。
それを「功績」と言うんですか? また、自己責任で一蹴ですか?
子ども食堂の数も、この10年間で約11倍に増加しました。
確かに、現代の社会においては、様々な意味合いで必要不可欠な存在でもあります。
ただ、それでも、経済的困窮で利用している子どもたちと親御さんたちが殆どです。
それも含めて「功績」と言うんですか?
数年前ぐらいから、社会人の貧困を支援する為の大人食堂も少しずつ増えています。
そんな日本の社会状況であっても「功績」と言うんですか?
あしなが育英会に関する記事を目にしても、社会情勢の悪化を感じざるを得ない。
毎日三食キッチリ摂取する事も難しい困窮家庭が増加しているといわれています。
その一食分を削って、翌日の一食に回す家庭も多いと記事にありました。
ある母親は、こう語ったそうです。
「弱者は、生きていちゃダメですか?」と…
それも含めて「功績」と言うんですか? また、自己責任で一蹴ですか?
生活保護受給者も増加傾向を辿り続けています。
新型コロナの影響もあったとはいえ、困窮者が増え続けていく事は大問題です。
それも含めて「功績」と言うんですか? また、自己責任で一蹴ですか?
外国人の技能実習生を呼んできて学ばせ、資格取得を口実に時給300円ほどで雇用。
彼等や彼女達は、労働基準法の適用外だから、奴隷として扱っても違法性はないと…
それでも、日本は世界に誇れるような国ですか?
ひきこもりの数が約70万人(実際の数は、約120万人とされています)。
日本の労働人口が減少?
だから、それを埋める為に海外から人を連れてきた挙句、安い賃金で働かせるの?
そもそも、何故こんなにも日本でひきこもっている人が多いのかを考えたか?
もっともっと前に、そういった人々に支援を講じていたら…
(数年・数十年ひきこもっている人が社会復帰するというのは非常に困難)
現在のような、労働人口減少に至っていなかったのでは?
自殺率も、以前よりは減少したものの、それでも毎年約2万人以上が自殺しています。
(特に、若年層の死因のトップは自殺と言われています)
それも含めて「功績」と言うんですか? 社会は正しいと?
年金2000万円問題(国民年金は5000万円)、国民はもう忘れたのか…
私が年金をもらう年齢まで生きていると仮定して…
その時に受け取れる額は、今以上に減額されている事を想定すると約3万円。
消費税が25~30%にまで上がっているだろうから…いっそ、自殺した方がマシだ。
こういった事の全てが、政治とは無関係の問題と言えますか?
アベノミクスで恩恵を受けたのは、富裕層と一定水準以上の生活を送っている者達。
上の世界に居る連中が手にしたカネは、下の層で暮らす人々には降りてこなかった。
結局のところ、アベノミクスは格差拡大に繋がった。
(この結果は、政策を講じる以前から予測されていた事)
これらは、紛れもなく【長期政権による弊害】ですよ。
政府や行政は、ただデータを抽出するだけで、支援は一切してくれません。
手を差し伸べてくれるのは、社会問題と真摯に向き合うNPOや地域住民の善意です。
そういった方々が居なければ、自ら命を絶つ人はもっと多いように思う。
今回の事件を受けて「民主主義への挑戦」と安易な事を言う方々もおられますね。
非常に残念ながら、日本の民主主義は随分前に崩壊しています。
2019年、選挙演説中に安倍晋三がマイクを握りながら仰ったじゃないですか。
自身の政治を批判した者に対して「あんな人たちに…」と。
それ、民主主義ですか?
自分を批判する人に対して「あんな人たちに…」と強い口調で言い放った安倍晋三。
その言葉を発したのは、内閣総理大臣です。
日本の首相の姿として本当に適切だったのでしょうか?
これが、本当に民主主義の姿と言えるのでしょうか?
民主主義を愚弄したのは…安倍晋三さん、貴方ご自身ですよ。
「暴力に屈せず」と語った岸田首相。
いやいやいや…あなた方の言動も、立派な暴力であり、民主主義への冒涜ですよ。
更に「蛮行」というご発言ですか?
そのお言葉、そっくりそのまま、岸田首相と他の自民党議員達にお返し致します。
あなた方の言動が如何に愚かで醜いか…
それらの行為を、加害者の立場として省みては如何ですか?
「暴力は間違っている」
それは、確かに正論です。
だったら、権力を私物化して国を支配し続けた輩の行為も立派な暴力なのでは?
つまり「国家権力を最大限に行使した暴力」も間違っている行為と言えるのでは?
綺麗事だと思います、暴力は間違っているという論理は。
暴力というのは、何も直接的行為だけを意味するわけではありません。
間接的行為であっても、人に何らかのダメージを与えたなら、それは暴力です。
悪政が打ち出す愚策により、誰かの生活が脅かされる程の影響を受ける事もある。
それらは、決して自己責任なのではなく、政治による間接的な暴力です。
社会の責任、政治の責任は絶対にあるんです。
「強き(財界)を助け、弱きを挫く」という安倍の政治理念は根本的に間違ってます。
立場次第で何をしても許されるという論理など絶対に容認してはならない事です。
客観的目線を持たず、無責任に自己主張する芸能人や文化人に申し上げたい。
「社会の実情を捉えようとする姿勢が皆無ならば、最初から黙ってろ(怒)」
「言論の自由を履き違えるな(怒)」
「国内情勢を読み取ろうという意思が無いのなら、日本から出て行ってくれ(怒)」
誤解のないように申し上げますが、私は容疑者の行為を肯定も容認もしていません。
もう一つ付け加えると、決してダークヒーローだとも思っていません。
ただ、それでも私は思うんです。
彼自身が意図しないものの、結果的に誰かの声を掬い上げる形に繋がったのなら…
容疑者が放った一発は、誰かにとって何らかの「救い」になったのかもしれないと。
少なくとも、私は救われましたから。
あの銃弾には、社会から排除された人々の恨みと憎しみが込められている。
勿論、そこには、私の強い恨みと私の強い憎しみも…
安倍晋三へ
「ご自身が愚弄してきた民主主義、それによって迎えた最期…今のお気持ちは?」
「もう十分でしょ、貴方は今まで権力を振り翳してヤリタイ放題に歩んだのだから」
「安倍さん…これは、ご自身が蒔いた種なんですからね。」
「これが【因果応報】ってやつですよ。」
「こういう時に【自己責任】という言葉を使うんですよ、安倍さん。」
「ご自身が投げたブーメラン、それが違う形で返ってきただけの事なんですよ。」
「安倍さん…貴方は、この世で犯した罪と向き合わず、逃げ続けましたよね。」
「今迄に犯してきた悪行の数々、閻魔様にキッチリ裁いてもらってください。」
「そして、地獄で永遠に苦しみ続けてください。」
私自身、神社に参拝する事はあっても、神様の存在は信じてこなかった立場でした。
ずっと思っていたからです。
「そもそも、神は架空の存在…居たとしても、神は悪に力を貸し続けるものだ」と…
でも、8日の出来事を目にした際、自分の意識に少し変化が起こりました。
「神は、時として、握り続けた悪の手を振り解く事もあるのか」と…
「神も、たまには弱者の味方をする事があるのかもな」…
ちょっとは信じてみようかな、神様という存在を。
8日は、気分が高揚して酒を飲み…
休みの日は、昼から酒を飲むようになった。
いや~、8日以降、酒がススムススム。
こんなに美味い酒は、私の人生で初めての経験。
2022年7月8日、私にとって『最高の日』だ。
国葬なんて、とんでもない。
悲しまなければ、非国民という扱いですか?
私は、7月8日を、いっそ『祝日』にしても良いぐらいだと思っているのに。
個人的に、こんな嬉しい事はないですから。
大袈裟に報道する程の事ではない。
「司法をも手中に収めた巨悪が、銃撃されて死亡した」
「法で裁けぬ巨悪が、違法行為によって裁きを受けた」
ただそれだけの事です。
如何なる立場であろうと、犯した罪は真っ当に裁かれなければならない。
それは、(現職・元)内閣総理大臣であっても…